『翻訳の神様』から村上へのプレゼントがあった、というお話。

ここでは、文学をするにおいての、翻訳の持つ―――ある意味―――(普遍的な?)効力、意味・意義みたいなことを提示しております。

 

 

『村上春樹ハイブ・リット』という本の序文に書いた文章。

『翻訳の神様』というのはきっとどこかに実在している、と村上は考えているようです。

 

でも空の上にはいないかもしれない。わりに地味な性格の神様で、わりに地味な地区の、わりに地味な家に住んでいて、わりに地味な格好をしていて、通りを歩いていても目立たない。  そんな神様らしいです。

 

     まあ、コーヒーでも?

 

本文:

僕は、いちおう小説家が本業で、翻訳は副業ということになっている。実際にそのとおりで、小説を書いているときは、なによりもまず小説の仕事を優先する。毎日早朝に起きて頭がクリアな時間に集中して小説を書いてしまう。それから食事をするか、運動をするかして、「さあ、これで今日のノルマは成し遂げた。あとは好きなことをしてもいい」というところで、おもむろに翻訳にとりかかる。

 

つまり翻訳という作業は僕にとっては「仕事」というよりはむしろ、趣味に近いものなのだ。もう日課としての、責務としての仕事は終わって、(たとえば)これから魚釣りに行ってもいいし、クラリネットの練習をしてもいいし、しゃくなげのスケッチをしてもいい、何をするのも自由だというところでそれらの選択肢に進むことなく、あえて机に向かって翻訳するわけだから、要するにそれだけ純粋に翻訳が好きなのだということになるだろう。自分で言うのもなんだけど、趣味としてはなかなか悪くないと思う(クラリネットが吹けるのも楽しそうだけど)。

 

 

これまでずっと翻訳をやってきてよかったなあと思うことは、小説家としていくつかある。

 

まず第一に現実問題として、小説を書きたくないときには、翻訳をしていられるということである。 

 

エッセイのネタはそのうちに切れるけど、翻訳のネタは切れない。

 

それから小説を書くのと翻訳をするのでは、使用する頭の部位が違うので、交互にやっていると脳のバランスがうまくとれてくるということもある。

 

 

もうひとつは、翻訳作業を通して文章について多くを学べることだ。外国語で(僕の場合は英語で)書かれたある作品を読んで「素晴らしい」と思う。そしてその作品を翻訳してみる。するとその文章のどこがそんなにすばらしかったのかという仕組みのようなものが、より明確に見えてくる。

 

実際に手を動かして、ひとつの言語から別の言語に移し替えていると、その文章を ただ目で読んでいる時より、見えてくるものが遥かに多くなり、また立体的になってくる

 

そしてそういう作業を長年にわたって続けていると、「良い文章がなぜ良いのか」という原理のようなものが自然にわかってくる。

 

 

そんなわけで小説家の僕にとって、翻訳という作業はいつも変わらず大事な文章の師であったし、それと同時に気の置けない文学仲間でもあった。

 

僕には実際には師と呼ぶべき人もいないし、文学仲間と言えるような個人的な友だちもいない。もう三十年近くずっと一人で小説を書いてきた。それは長く孤独な道のりだった・・・・・というとずいぶん月並みな表現になるが、まあなんというか、多くの局面において実際にその通りだった。

 

もし翻訳という「趣味」がなかったら、小説家としての僕の人生は ときとして耐え難いものになっていたかもしれない。

 

そしてまたある時点から、僕にとっての「翻訳」両方向に向けたモーメントになっていった。僕がほかの作家の作品を日本語に翻訳するだけでなく、僕の書いた小説が多くの言語に翻訳されるという状況が生まれてきたからだ。

 

今では42の言語に翻訳され、僕の作品を外国語で読む読者の数は驚くほど増えている。外国を旅行して書店に入り、自分の作品が平積みにされているのを目にすることも多くなったそれは本当にうれしいことだ。もちろんどんな作家にとってもそれは嬉しいことであるに違いないが、とりわけ翻訳というものに深く関わって来た僕のような人間にとって、自分の本が「翻訳書」としてそこに並んでいるのを目にするのは、実に感慨深いものがある。

 

 

いちばん最初に外国の雑誌に売れた僕の作品は(たしか)短編小説「TVピープル」だった。一九九〇年のことで、それは「ニューヨーカー」に掲載された。

 

「ニューヨーカー」は僕にとっては長いあいだまさに憧れの雑誌だったし、そんな「聖域」にも近いところに自分の作品が掲載され、名前が印刷されるなんて、にわかには信じがたいことだった。おまけに原稿料までもらえるのだ。それはどんな立派な文学賞をもらうよりも、僕にはうれしいことだった

 

ロサンジェルス・ドジャーズ **  のユニフォームを着て初めてマウンドに立った 野茂秀雄 も、程度の差こそあれ、きっと同じような気持ちを味わったのではないかという気がする。

 

そのときに僕がつくづく思ったのは「世の中にはきっと翻訳の神様がいるんだ」ということだった。志賀直哉に「小僧の神様」という作品があるが、それと同じ意味合いでの個人的な神様だ。僕は自分の好きな作品を選び、僕なりに心を込めて、ひとつひとつ大事に翻訳してきた。まだまだ不足はあるにせよ、すこしずつではあるが翻訳の腕も上がっていると思う。翻訳の神様は空の上でそれをじっとご覧になっていて、

 

「村上もなかなかよく頑張って翻訳をしておる、この辺で少し褒美をやらなくてはな」と思われたのかもしれない。

 

 

翻訳の神様を裏切らないためにも、これからも頑張って翻訳をしなくてはなと日々自戒している。まだ先は長いし、翻訳したい作品もたくさん残っている。そしてそれは、小説家としての僕にとってもまだ成長する余地が残されている、ということでもあるのだ。

 

ここに収められたレイ・カヴァーやティム・オブライエンの作品からも翻訳作業を通して、僕は大事なことを数多く学んだ。

 

彼らから学んだ最も大事なものは、小説を書くということに対する姿勢のよさだったと思う。

 

そのような姿勢の良さは、必ず文章に滲み出てくるものだ。そして、読者の心を本当に引きつけるのは、文章のうまさでもなく、筋の面白さでもなく、そのような佇まいなのだ。僕が心がけたのは、彼らの「姿勢の良さ」を、できるだけあるがままに素直に日本語に移し替えることだった。うまくいっているといいのだけれど。

 

 

 

*:「ニューヨーカー」に掲載といえば、(学術)雑誌の「ネイチャー」とか「サイエンス」に受理・掲載されるのに似ている、という話を聞いたことがあります。でも、真実は「ネイチャー」の10-100倍(適当です)難しいような気がします。

 

**:野茂さんがドジャーズに入団し、アメリカで旋風を巻き起こしたあの時も楽しませていただきましたが、大谷選手や山本選手もおりますので、次期シーズンもほんとうにアメリカ野球が楽しみです。

前にも書いたかもしれませんが、野茂さんが登板している時には、1台のPCが試合経過のモニター、もう一台のPCで真剣に仕事をしておりました。

 

 

 

使用書籍

村上春樹 雑文集 単行本 – 2011/1/31

村上 春樹 (著)