村上作品の英語翻訳版から(逆)検証できる村上表現のすばらしさ。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を梃子にして。

 

副題:原作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」と、Philip Gabrielの英語翻訳版Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage」 の検証的比較

 

注意:もし、この文章を(すこし真面目に)読んでおられる方がおりましたら、文章内容が、ほんの少しづつ(進行形)変化しておりますので注意です。以前の、ブログでさえ、(英語を含む)論文ぽいやつは修正しております。性格なんです。文章が ある程度長くなるとどうしてもミスは出てきます(そして、ミスに気が付くと結構悔しいんですよね。経験多数)。血液型・・・決まっているじゃありませんか。

 

[緒言]

この物語「色彩をもたない・・・巡礼の年」は、主人公の 多崎つくる が、大学二年のときに突然親友だと思っていた四人(男女2人づつ)から、仲間のひとりであるシロ(白根柚木:しらねゆずき)をレイプしたとの冤罪(もっぱらシロの自己告白・申告による、その後シロの死)をかけられ、・・・・結果として仲間から排除される。

長じて、つくる36歳になり、ふたつ年上の恋人、沙羅の励ましもあり、心を決め、大学2年のときに親友四人からされた仕打ち、―――つまはじき:つくるにとっての死刑宣告―――すなわち、つくるにとっての人格を壊されたような大事件の原因を確かめるべく、沙羅の協力のもと真実の解明に乗り出す、・・・・巡礼の旅が始まる。そんな物語です。

 

この物語はつの主経路(あるいは主経路と副路)、①:大学2年生の時に突然起こった、多崎つくると4人(男女2人づつ)、合計5人の仲間たちの友人関係の破壊――-現実にはつくる君一人の仲間外れ―――の原因とその結末、加えて、副経路 ②:多崎つくるが社会人(36歳)になり、恋人の沙羅(つくる君の2つ年上)と協力しての大学時代につくるが受けた人間性を失うほどの仕打ちの原因さがしの旅、から成っている。

副路では、村上の小説ですので、つくると沙羅の簡単な恋愛模様であるはずもなく、特に沙羅の不思議な振舞いがこの物語に(絶妙の)変化を与えている。

 

  ここでは、① :多崎つくるが大学2年(二十歳)の時に突然他の4人から仲間はずれの宣告を受けた事件についての記述に限定した。すなわち、つくる36歳になり恋人の沙羅に励まされ、共にその謎解きをする、この主経路に焦点をしぼり、Philip Gabriel による英語翻訳版(2015)ではどのように表現されているのかを調べてみた。

物語のひとつの経路(主経路)に限定するとはいえ、その長さは膨大で、ここに村上の全ての日本語原文、そして、それに相当する英文を記述するのは不可能です。従って、① :主経路の中でも、わたしが物語として興味深いパラグラフ、あるいは連続した数センテンスを9か所抜粋し、その部分がどのような英文に翻訳されているのか、ここに提示してみます。 わたしの作業をとっかかりとして、村上の小説家としての素晴らしさ、また、その日本語原文を英語に翻訳した、Philip Gabriel 氏の努力の跡を辿っていただければ幸いです。

 

※:当然、わたしの独断と偏見も、(かなり?)含まれておりますので、お許しください。ただ、村上は言います。「あなたが聞いた話に、過剰や欠損があったとしたら、それは本当の話、真実だからです。すべてが、丸く収まっているとしたら、それは物語」と。

 

 

 

[方法]

緒言で述べたように、まずわたしが任意に、小説として興味深く思うパラグラフを9か所抜粋して記述した。次に、その各パラグラフ(9か所)の日本語に相当する翻訳英文を、同様に、抜粋した。その英文をわたしが “素直な日本語” に翻訳してみた。ここで言う “素直な日本語” とは、高校受験答案での英文和訳(逐語訳)のレベルではなく、わたしのプライドも、ある程度保たれる、逐語訳と意訳との中間レベルの、スムーズで自然な日本文という意味です。ただ、日本語特有の主語の省略は最小限にしました。

 

 

 

[結果]

この小説は三人称(いわゆる万能の“神の視座”から俯瞰)で書かれている小説です。もちろん主人公は多崎つくるです。つくる一人が東京の大学に通っている時(大学二年生の時)に、名古屋の高校時代からの親友四人から、唐突に絶交を宣言されてしまいます。それから6カ月の間、つくるは人生のあきらめ、精神の崩壊、死の深淵を見るまでになった。ただ、そんな中、ある夜の不思議な夢、その中でつくるは名も知らない女性に強く嫉妬の感情を持っている、・・・・そこから目覚めてつくるはこの世界、現世に帰って来た。

あの仲間たちからの、意味不明な宣告から16年の年月を経過し、現在、つくるは社会人となっている。二歳年上の恋人沙羅に促がされ、あの時つくるが、何故あのような理不尽な仕打ちを仲間から受けなければならなかったのか、つくるは、過去にさかのぼって、精神の再構築のための巡礼の旅に出た。

 

 

1:物語の始まり。この小説の主人公の多崎つくるの、高校時代からの親友四人からの突然の仕打ち、そしてその際の、つくるの精神的状況を記述している。

 

【原文:《ページ5、後ろから3行目から》】

多崎つくるがそれほど強く死に引き寄せられるようになったきっかけははっきりしている。彼はそれまで長く親密に交際していた四人の友人たちからある日、我々はみんなもうお前とは顔をあわせたくないし、口をききたくもないと告げられた。きっぱりと、妥協の余地もなく唐突に。そしてそのような厳しい通告を受けなくてはならない理由は、何ひとつ説明してもらえなかった。彼もあえて尋ねなかった。

 

【翻訳英文とわたしの日本語訳】

[Page 3, line13]

  The reason why death had such a hold on(持続する) Tukuru Tazaki was clear. One day his four closest friends, the friends he’d known for a long time, announced that they did not want to see him, or talk with him, ever again. It was a sudden, decisive (きっぱりとした、決定的な)declaration, with no room for compromise(妥協). They gave no explanation, not a word, for this harsh(残酷) pronouncement(宣告). And Tukuru didn’t dare ask.

 

なぜ死がそれほど多崎つくるに取りついていたのか、その理由は明らかだった。ある日、長い間つくるが親友と信じていた四人から、お前とはもう会いたくない、二度と話もしたくない、と宣言されたのだ。それは突然のきっぱりとした宣言で、妥協の余地のないものだった。そこには、この残酷な宣告に対する一言の説明もなかった。つくるも、あえて 尋ねなかった。

 

(  ):はわたしによる付け加え。以下の記述も同様。主に英文中。

 

 

 

2:彼ら五人の中の女性二人、シロとクロのうち、事件の主人公となる美人のシロの性格・容姿の説明。

 

【原文:《ページ11、5行目から》】

  シロは古い日本人形を思わせる端正な顔立ちで、長身でほっそりして、モデルのような体型だった。髪は長く美しく、艶のある漆黒だ。通りですれ違った多くの人が、思わずふり返って彼女を見た。しかし彼女自身にはどことなく自分の美しさを持て余しているような印象があった。生真面目な性格で、何によらず人の注目を引くことが苦手だった。美しく巧みにピアノを弾いたが、知らない人がいる前でその腕を披露することはまずなかった。

 

【翻訳英文とわたしの日本語訳】

[Page 8, line13]

 

  Shiro was tall and slim, with a model’s body and the graceful features of a traditional Japanese doll. Her long hair was a silky, lustrous  (光沢のある ) black. Most people who passed her on the street would turn around for a second look, but she seemed to find her beauty embarrassing. She was a serious person, who above all (とりわけ)else drawing attention to herself. She was also a wonderful, skilled pianist, though she would never play for someone she didn’t know.

 

  シロは優美でほっそりしており背が高く、モデルのような体型で、伝統的な日本人形のような上品な容姿をしていた。彼女の長い髪は光沢のある黒だった。通りで彼女とすれちがったほとんどの人は、ふり返ってもう一度彼女を見返すものだった。しかし、彼女は自分の美しさを恥ずかしがっているようにさえみえた。彼女は自分自身が他人の注意を引くことを好まないような、真面目な人柄だった。また彼女は素晴しく上手なピアニストでもあったが、知らない人のまえでは、ピアノを弾いてみせることはなかった。

 

 

 

3:大学時代、自分のマンションで、この世界と隣の世界の両方で生きていると思われる、後輩友人の灰田と眠り、不思議な夢を見ている(おそらく、灰田に見せられている)。 夢の中で、つくるは二人の女性、シロとクロとを交えての性愛行為をしており、とりわけ、いつもは遠慮がちなシロからの積極的で執拗な愛撫を受けている。結局、自分の極限まで硬くなった物を、シロの溢れるほど濡れた部分に吸い込まれるように導かれ、挿入する。

 

【原文:《ページ117、8行目から》】

  長い執拗な愛撫のあとで、彼女たちのうち一人のヴァギナの中に彼は入っていった。相手はシロだった。彼女はつくるの上にまたがり、彼の硬く直立した性器を手にとって、手際良く自分の中に導いた。それはまるで真空に吸い込まれるように、何の抵抗もなく彼女の中に入った。それを少し落ち着かせ、息を整えてから、彼女は複雑な図形を描くようにゆっくりと上半身を回転させ、腰をくねらせた。長いまっすぐな黒髪が、鞭を振るように彼の頭上でしなやかに揺れた。普段のシロからは考えられない大胆な動きだ。

 

【翻訳英文とわたしの日本語訳】

[Page 95, line 14]

   These insistent (執拗な) caresses (愛撫) continued until Tsukuru was inside the vagina of one of the girls. It was Shiro. She straddled him, took hold of his rigid, erect penis, and deftly (巧みに) guided it inside her. His penis found its way with no resistance, as if swallowed up into the an airless vacuum. She took a moment, gathering her breath, then begun slowly rotating her torso (上半身) as if she were drawing a complex diagram in the air, all the while twisting her hips. Her long, straight black hair swung above him sharply, like a whip (むちを打ち). The movements were bold (大胆;文字のボールド体) , so out of character with the everyday Shiro. 

 

  つくるが少女たちの一人のヴァギナに挿入するまで、このような執拗な愛撫は続いた。それはシロであった。彼女は彼にまたがり、硬く勃起したペニスを握って、巧みに彼女の中に導き入れた。彼のペニスは、まるで空気のない空白にでも吸い込まれるように、何の抵抗もなく彼女の奥へと導かれた。彼女は、すこし待って息をととのえ、ふたたび自身の上半身をゆっくり回転させはじめた、あたかも空中に複雑な図形でも描くかのように、絶え間なく腰を振りながら。その動きは大胆で、日頃の彼女には考えられない種類のものだった。

 

 

 

4:現在は車レクサスの販売に関わっている男の友人、アオと直接に会い、大学時代につくるが受けた酷い仕打ちの経緯を聞こうとしている。

 

【原文:《ページ162、後ろから5行目から》】

   つくるはミネラル・ウォーターをプラスティックのボトルから一口飲み、喉の奥に潤いを与えた。「どうして僕はあのとき、グループから追放されなくてはならなかったんだろう?」

  アオはひとしきり考えを巡らせていた。それから言った。「お前の方に思い当たる節が全くないというのは、どう言えばいいんだろう、それはつまりお前はシロと性的な関係を持たなかったということなのか?」

  つくるの唇はとりとめのない形をつくった。「性的な関係?まさか」

  「シロはお前にレイプされたと言った」とアオは言いにくそうに言った。「無理やりに性的な関係を持たされたと」

  つくるは何かを言おうとしたが、言葉は出てこなかった。いま水を飲んだばかりなのに、喉の奥が痛いほど乾いていた。

 

【翻訳英文とわたしの日本語訳】

[Page 132, line 13]

   Tsukuru took a drink of mineral water from the plastic bottle. “Why did I have to be banished(追放される) from the group?”

   Ao considered this for some time before he spoke.  “If you’re saying that you have no idea why, it means – what? – that you – didn’t have any sexual relationship with Shiro?”

   Tsukuru’s lips curled up in surprise.  “A sexual  relationship?  No way.”

   “Shiro said you raped her,”  Ao said, as if reluctant(気が進まない) to even say it. “She said you forced her to have sex.”

   Tsukuru started to respond, but the words wouldn’t come. Despite the water, the back of his throat felt so dray that it ached.

 

つくるはプラスティック・ボトルからミネラル・ウォーターを一口飲んだ。「どうして、ぼくが仲間から追放されなきゃならなかったんだ?」

  アオは、そのことを話す前に、少しの間、考えていた。「もし、お前に全く心当たりがないと言うんだったら、おれはどう説明したら、・・・・お前はシロと何の性的関係もなかったのか?」

   つくるの唇は驚きで変な形になってしまった。「性的な関係? まさか」

  「シロは、お前が彼女をレイプしたと言ったんだ」 アオは、そんな事を言うのが気が進まないかのように、つくるに告白した。「彼女は、お前が無理やり犯したと」

つくるは何か言おうとしたが、言葉は出てこなかった。水を飲んでみても、彼の喉は痛いほどの渇きを感じていた。

 

 

 

5:つくる、「社員教育のアウトソーシング会社」を立ち上げているアカを訪ねての会話。

 

【原文:《ページ192、6行目から》】

 

  「シロは気の毒だった」とアカは静かな声で言った。「あまり楽しい人生を送ることができなかった。美人だったし、豊かな音楽の才能もあったのに、死に方はひどいものだった」

  そんなふうに二行か三行でシロの人生が要約されてしまうことに、つくるはいささか抵抗を感じないわけにはいかなかった。しかしそこにはたぶん時間差のようなものがあるのだろう。つくるがシロの死を知ったのはつい最近のことであり、アカはその事実とともに六年の歳月を送ってきたのだ。

 

 

【翻訳英文とわたしのーの日本語訳】

[Page 155, line3 from the bottom]

   “I feel sorry for Shiro,” Aka said quietly. “Her life wasn’t very happy. She was so beautiful, so musically talented, yet she died so horribly (恐ろしく). ”

   Tsukuru felt uncomfortable at the way Aka summed up her life in just a couple of lines (2,3行で). But a time difference was at work here, he understood. Tsukuru had only recently learned of Shiro’s death, while Aka had lived with the knowledge for six years. 

 

 「僕は、シロには気の毒なことをと感じているんだ」とアカは静かに言った。「彼女の人生はあまりには幸せなものではなかった。彼女は非常に美しく、音楽の才能もあった。だけど彼女は酷いかたちで死んでしまった」

つくるはアカが彼女の人生をたった2行か3行でまとめたことに不快感を覚えた。まあ、だけど、時間の経過が違うのだから、と彼は理解した。(何と言っても)つくるはつい最近シロの死を知り、アカは6年間も、そのことと一緒に生きてきたのだから。

 

 

 

6:この物語の最終章にかかったところ。

生存している仲間、三人(アオ、アカ、そしてフィンラドのクロ)と話をしてみて。いろいろな情報を考えあわせての、つくるなりに到達した推論・結論

 

【原文:《ページ363、5行目から》】

  高校時代の五人はほとんど隙間なく、ぴたりと調和していた。彼らは互いをあるがままに受け入れ、理解し合った。一人ひとりがそこに深い幸福感を抱けた。しかしそんな至福が永遠に続くわけはない。楽園はいつかは失われるものだ。人それぞれに違った速度で成長していくし、進む方向も異なってくる。時が経つにつれ、そこには避けがたく違和が生じていっただろう。微妙な亀裂も現れただろう。そしてそれはやがて微妙なというあたりでは収まらないものになっていったはずだ。

 

【翻訳英文とわたの日本語訳】

[Page 292, line 11 from the bottom]

   Their group in high school had been so close, so very tight. They accepted each other as they were, understood each other, and each of them found a deep contentment(満足) and happiness in their relationship, their little group.  But such bliss(至福;cf. bless) couldn’t last forever. At some point paradise would be lost.  They would each mature at different rates, take different paths in life. As time passed, an unavoidable sense of unease (不安、心配)would develop among them, a subtle fault line(小さな亀裂), no doubt turning into something less than subtle.

 

   高校時代の彼らのグループは極めて密接で、きわめて固い結びつきだった。彼らはお互いをあるがままに受け入れ、お互いを理解し、各々がそのこと―――小さなグループの関係性――-に深い満足と幸福を見出していた。しかし、そのような至福は長くは続かなかった。ある時期がくれば、パラダイスは失われるものなのです。彼らは、各々異なった時間経過で成熟し、人生の異なった道を歩むことになるのです。時間の経過とともに、避けがたい不安の感覚が彼らの中に増大し“小さな亀裂”が間違いなく“小さな”では済まなくなるのです。

 

 

 

7:ほぼ、6:のつづき。つくるの推論・結論

 

【原文:《ページ364 2行目から》】

  シロはおそらくそんな状況から逃げ出したかったのだろう。感情のコントロールを絶え間なく要求する緊密な人間関係に、それ以上耐えられなくなったのかもしれない。シロは五人の中では疑いの余地なく、最も感受性の強い人間だった。そしておそらく誰よりも早く、その軋みを聞きとったのだろう。しかし彼女には、自らの力でその輪の外に逃れることはできない。そこまでの強さを彼女は具えていない。だからシロはつくるを背教者に仕立てる。つくるはその時点で、サークルの外に出て行った最初のメンバーとして、その共同体の最も弱いリンクになっていた。言い換えれば、彼には罰される資格があった。

 

【翻訳英文とわたしの日本語訳】

[Page 293, line 11]

   Shiro had wanted to escape from that situation. Maybe she couldn’t stand that kind of relationship anymore, the close relationship that required constant maintenance of one’s feelings. Shiro was, unquestionably, the most sensitive of the five, so she most have picked up on that friction(あつれき、摩擦) before anyone else. But she was unable, at least on her own, to escape outside that circle. She didn’t possess the strength. So she set Tsukuru up as the apostate(変節者). At that point, Tsukuru was the first member to step outside the circle, the weakest link in the community. To put it another way, he deserved(価値がある) to be punished.  

 

   シロはそのような状態から逃げたかった。おそらく彼女はそのような密接な関係――-すなわち各々の感情のコンスタントな維持を要求されるような―――にもう耐えられなかったのです。シロは間違いなく5人の中で最も感受性が強く、誰よりも早く、敏感に彼らの間に生じつつある軋みを感じとったのです。でも彼女には、少なくとも彼女自身から、サークルの外に逃避することはできなかった。彼女は(それほどの)強さを有していなかった。それで、つくるを変節者に仕立て上げた。あの当時、つくるはサークルの外に飛び出した最初の人間だった。言い換えれば、彼には罰せられる価値があった。

 

 

 

8:ほぼ 7のつづき。つくるの推論・結論を述べている。

わたしの更なる説明的解釈:シロは―――村上の作品では、いつも雨の降る静かな夜に隣の世界との扉が開く―――“壁の通り抜け”によってやってきた、もう一人のシロ、すなわち「悪霊」によって殺された(自死)。

 

【原文:《ページ365、7行目から》】

  それでも彼はシロを―――ユズ(白根柚木)―――-赦すことができた。彼女は深い傷を負いながら、ただ自分を必死に護ろうとしていたのだ。彼女は弱い人間だった。自分を保護するための十分な堅い殻を身につけることができなかった。迫った危機を前にして、少しでも安全な場所を見つけるのが精一杯で、そのための手段を選んでいる余裕はなかった。誰に彼女をせめられるだろう? しかし結局のところ、どれだけ遠くに逃げても、逃げ切ることはできなかった。暴力を忍ばせた暗い影が、執拗に彼女のあとを追った。エリが「悪霊」と呼んだものだ。そして静かな冷たい雨の降る五月の夜に、それが彼女の部屋のドアをノックし、彼女の細く美しい喉を紐で絞めて殺した。おそらく前もって決められていた場所で、前もって決められていた時刻に。

 

【翻訳英文とわたしの日本語訳】

[Page 294, line 15]

   And yet he was able to forgive Shiro, or Yuzu, she carried within her a deep wound and had only been trying, desperately(死に物狂いで、必死で), to protect herself. She was a weak person, someone who lacked(欠く) the hard, tough exterior(丈夫な外側) with which to guard herself. It was all she could do to find a safe refuge(避難) when danger came, and she couldn’t be particular about the methods. Who could blame her?  But in the end, no matter how far she ran, she couldn’t escape, for the dark shadow of violence (暴力)followed her relentlessly(容赦なく). What Eri dubbed(称する) an evil spirit(凶悪な魂). And on the quiet, cold, and rainy May night, it knocked at her door, and strangled(絞め殺す) her lovely slim throat. In a place, and time, that had, most likely, already been decided.      

 

  それでも彼はシロ―――ユズ―――を許すことができた、彼女は内に深い傷を負っていたし、死に物狂いで自身を守ることしかできなかったのだ。彼女は弱い人間で、彼女自身を守るための、堅くて丈夫な外郭を持っていなかった。危険が迫って安全な避難路を見つけること、それが彼女のできるすべてだった。そして、それ以外の方法は彼女にはなかったのだ。誰が彼女を責められるだろうか? でも結局、どれほど遠くまで逃げようとも逃げ切る事は不可能で、凶暴の暗い影が容赦なく彼女を追いかけた。エリが “悪魔の魂” と呼んだもので。そして、静かな寒い、5月の雨の降る夜、それはドアをノックし、彼女の美しい細い喉を絞めて殺したのだ。殺る場所も、時間も、ほとんどあらかじめ決められていた通りに。

 

 

 

9:この物語の最後のシーン。

村上の、小説では(エッセイでも)物語の最後のパラグラフは、わたしの言葉では表現(説明)できない鋭さ・美しさを有しております。 何が?どうして? といわれても、説明に困るのですが。

 

【原文:《ページ370、6行目から》】

  「すべてが時の流れに消えてしまったわけじゃないんだ」。それがつくるがフィンランドの湖の畔で、エリ(クロの本名:黒埜恵理)に別れ際に伝えるべきこと―――でもそのときには言葉にできなかったことだった。「僕らはあのころ何かを強く信じていたし、何かを強く信じることができる自分を持っていた。そんな思いがそのままどこかに虚しく消えてしまうことはない」

  彼は心を静め、目を閉じて眠りについた。意識の最後尾の明かりが、遠ざかっていく最終の特急列車のように、徐々にスピードを増しながら小さくなり、夜の奥に吸い込まれて消えた。あとには白樺の木立を抜ける風の音だけが残った。

 

【翻訳英文とわたしの日本語訳】

[Page 298, line 12 from the bottm]

  “ Not everything was lost in the flow of time. ”  That’s what Tsukuru should have said to Eri when he said goodbye at the lakeside in Finland. But at the point, he couldn’t put it into words. 

   We truly believed in something back then, and we knew we were the kind of people capable of believing in something – with all our hearts. And that kind of hope will never simply vanished.

   He calmed himself, shut his eyes, and fell asleep.  The rear light of consciousness, like the last express train of the night, began to fade into the distance, gradually speeding up, growing smaller until it was, finally, sucked into the depths of the night, where it disappeared.  All that remained was the sound of the wind slipping though a stand of white birch trees.

 

  「全てが時間の流れの中に消えてしまったわけではないんだ」 フィンランドのレイクサイドで別れに際してつくるがエリに言い残すべき言葉だった。ただその時は、言葉にすることができなかった。  

   「我々は以前、確かに何かを信じていたし、信じるべき何かを、4人の心の中に、持っている人間だということを知っていた。そしてそのような希望が、決して単純に消え失せた訳ではないのだ」

  彼は心を静かにし、目を閉じ眠りについた。夜の最終急行列車の意識の後尾灯が遠ざかるとともにはっきりしなくなり、だんだんスピードを増し夜の深さに吸い込まれて消えた。あとに残ったのは、白樺の木立を抜ける風の音だけだった()。

 

『グレート・ギャツビー』 の最後のシーンに似ている? もっと適当な、他の例もあるかもしれません。中途半端でスミマセン。

村上:ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。・・・・そうすればある晴れた朝に・・・・

 だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。

 

 

[考察]

この村上の長編『色彩を持たない多崎つくる・・・・』Philip Gabriel による英語翻訳版Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage.の(比較的)詳細な比較検討を行った (Comparison of every sentence in the interesting 9 paragraphs between the original and translation. )

 

  言うまでもないことですが、英語翻訳文が、村上の手による原作よりも優れている、などと言うことは最初からわたしは想定しておりません。例えば、小説を書くことが趣味の学生さんや、そこらに沢山いる小説家が書いた作品なら、英語翻訳者が仁義をはずれて上手な小説に改変してしまうということもあるかもしれません(ないですよね)。村上の原作は、詳細に―――たとえば、センテンスごとに―――読めば読むほど彼の精緻な、完璧主義的な特徴が伺われます。ですから、あくまで村上の原作の良さが翻訳文に十全に保持されているかに焦点を当てて考察します。

 

  と、大きな風呂敷を広げた割に、当たり前の考察と結論になるのですが、Philip Gabriel の英文は村上作品の良点をほとんど外しておりません。

ただ、わたしの英語能力・日本語能力には一旦目を瞑っていただくとしてですが、わたし訳文と村上の原作を―――たった9カ所ですが―――比較すると、その内容、文章の鋭さの優劣は明確であった。あえて、村上 >> Philip Gabriel (わたし?) と不等号で記すまでもなく。

 

  村上のような世界的に人気の作家の翻訳では、それが多言語におよぶことが多い。その際、日本語から英語とか、日本語からフランス語、または日本語からチベット語のように一回の翻訳の場合はその問題はほとんどないが、日本語から英語、さらにそこから、チベット語やもうひとつの他の言語(重翻訳)となると、原作の有していた特徴・良点・要点は無事に生き残っているのだろうか、という村上主義者としては余計な心配をしてしまう。村上は、どこかで、「重翻訳? 大丈夫! 作品としての強さがあれば」「翻訳していただけるだけで幸せ」 のような記述を残していたがPhilip Gabriel の英文を読むとちょっとだけ心配です。翻訳を繰り返せば・・・・・伝言ゲーム? 杞憂ですよね。

 

 

 

付記:【村上の原文と英語翻訳版との比較検証から離れて: 物語そのものに関してのわたしの印象的考察】

男女5人の、一見、美しく見えるが、脆いバランスの上に成り立っている五角形を永久に保つことの不自然さを、誰もが感じていたのでしょう。 それは、いずれ崩れる、いびつな五角形であることは自明なのですが、とりわけ、「つくる」を愛してしまったことによって、その関係を、事実上、壊しつつあるのが自分であるという事実に耐えられなくなった女性 「シロ」 は、自分の罪を強く感じ、5月の “雨の降る静かな夜” (この世界と次の世界の扉が開きやすくなる、という著者が好んで使うメタファー)、この世界から隣の世界へと旅立ちます。 それは自死でもよいですし、隣 (死?) の世界から遣わされた “死神” によって、でも良いのですが・・・。

 「シロ」 は「つくる」への愛を告白するほどには、心 (愛) が強くなかった、とも言えるし、5人での五角形の形状の厳固さを過大評価、もしくは壊すことを恐れていたのかもしれない。 ただ、「シロ」の悲しい行為 (仮に、自死としておきます) の底にある思惟を感じ取ったかのように、残された4人は、それぞれの道を、戸惑いつつも進み始める。 とりわけ女性である「クロ」は、3人の男たちとは異なり、もはや「シロ」、「クロ」・・・、などとあだ名で呼び合ってじゃれ合った時期が、とうに過ぎ去ってしまったことを、いち早く自覚している (いつまでも大人に成り切れない男たちとは異なる、女性の特性?)。

 

 

[総括的要約]

つくると四人の仲間との決裂についての物語を焦点にし、村上の原作日本語とPhilip Gabriel の英語翻訳文の詳細な比較を行った。その結果、当然ではあるが、原作と日本語の間に許容できないような齟齬は認められなかった。ただし、英語翻訳文が、村上の日本語原文と相同のクオリティーを有しているのではと錯覚させるような、鋭い翻訳文・翻訳パラグラフは認められなかった。わたしの日本語翻訳能力の多少の稚拙さは否定しないが、そのことを考慮に入れても、村上の表現能力の高さが際立っていた。

 

 

 

[使用小説]

1.  村上春樹:色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

ハードカバー: 376ページ、出版社: 文藝春秋 (2013/4/12)

 

2.  Philip Gabriel (翻訳),:Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage. (written by Haruki Murakami)

ペーパーバック: 304ページ、出版社: Vintage (2015/7/2)

 

3.グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー) 単行本(ソフトカバー) – 2006/11/1

スコット フィッツジェラルド (著), & 2 その他