村上春樹は、『凍った海と斧』でいったい何を言いたかったのか?
村上が、カフカ賞受賞式で語った英語原稿を日本語で表記。 自身による逆翻訳です。
村上は言います、
『本と言うのは、僕らの 内なる凍った海に対する斧でなくてはならない』
カフカの言葉であり、村上の魂でもあると・・・・・
2006年10月30日にチェコのプラハで行われた「フランツ・カフカ賞」授賞式で読み上げた挨拶。英語で書かれた元の原稿を日本語に訳したもの。タイトルの『凍った海と斧』は、フランツ・カフカが1904年1月27日に友人のオスカー・ポラック宛に書いた手紙からとられている。
挨拶:
このたびフランツ・カフカ国際文学賞をいただきましたことを、深く喜んでおります。フランツ・カフカが僕にとって、長いあいだ愛好してきた作家のひとりであることも、その大きな理由になっております。
彼の作品に初めて出会ったのは、十五歳のときで、僕はそのとき大きな衝撃を受けました。最初に読んだ彼の作品は『城』でした。そこに描かれているものごとは極めてリアルでありながら、同時に、極めてアン‐リアルであり、読みながら僕の心が二つに引き裂かれたような気がしたものです。
僕はそのような非日常的な、また時として落ち着かない「分裂」感をもったままその本を読み終えたことを記憶しております。
現実感と非現実感、正気と狂気、感応と非感応。
そしてそれ以来、僕はそのような基本的感覚をもって―――すべては、多かれ少なかれ分裂しているという感覚をもって―――世界を見るようになったのかもしれません。それが僕の文学的原風景になったかもしれません。
僕は4年前に『海辺のカフカ』という長編小説を、ある意味ではフランツ・カフカへのオマージュとして書きました。
この小説の主人公は自らをカフカという名前でよぶ15歳の少年です。先ほども述べましたように、僕はこの年齢のときに初めてフランツ・カフカの作品を読みました。カフカ少年は家を出て、一人ぼっちで新しい世界に足を踏み入れていきます。彼を待ち受けているのは、どこまでもカフカ的なる世界であり、そこで彼の抱く感覚は引き裂かれた感覚です。
僕はここで、フランツ・カフカが友人にあてた手紙の中の一節を引用したいと思います。この手紙は一九〇四年に書かれました。今から百二年前のことです。
「思うのだが、僕らを噛んだり刺したりする本だけを、僕らは読むべきなんだ」
『本と言うのは、僕らの 内なる凍った海に対する斧でなくてはならない』
それこそがまさに、僕が一貫して書きたいと考えてきた本の定義になっているのです。
甲村記念図書館 ステンド・グラス
使用書籍
村上 春樹 | 2015/10/28