村上春樹の長大な物語『海辺のカフカ』に関して、Philip Gabriel氏による英語版の翻訳のクオリティーを検証してみた。

 

この小説だけではありませんが、村上の長編小説には過分の性的表現が含まれますので、そういった類の表現が苦手な方は読まない方がよいかもしれません。

 ただ、村上は言っております。「僕は必要な時に、必要に応じて文章を紡いでいる。それだけですだそうです。

もちろん、彼流の冗談も少し入っていると思いますが・・・。

 

 

タイトル:

『海辺のカフカ』に関してのPhilip Gabriel氏による英語版の翻訳のクオリティーの検証。

 

 

[緒言]

村上のたくさん(?)の小説は英文に翻訳される際、少人数、だいたい4-5人の方がもっぱらその任を担っている。その翻訳者の代表的なひとりにPhilip Gabrielがいる。彼は、これまでいくつかの村上作品を英文に翻訳しているが、何といっても彼の翻訳英文は、村上原文の日本語に忠実なのです。

  彼の翻訳では、原作日本語の内容の省略・内容の丸め表現、そのような振舞いはほぼ皆無で――― 一般論で、多くの翻訳者にみられる ―――勝手な表現の言い換えも極めて少ないのです。

  ここでは、村上が紡いだ長大な物語『海辺のカフカ』の原作から、僅か半ページほどですが、Philip Gabriel英語翻訳文】、【わたしの日本語訳】、そして【村上原文】の順で例示してみます。どうぞ、お暇な方は読んでみて比較してみてください。Philip Gabrielの努力が見えると思います。

 

※:何も議論するつもりがない、徹底的につまらない緒言です。緒言の悪例。

 

[方法]

Philip Gabrielの英語翻訳文と村上の原作を比較しやすいように、原作の連続した文章を抜粋した。英語翻訳には逆翻訳した【わたしの日本語訳】を附与した。村上の『海辺のカフカ』は、文庫版の「上」を使用した。

 

村上の原作:≪上巻 ページ2055行目から≫

Philip Gabrielの英語版:≪ Page 105, line 9 from the bottom

 

 

[結果]

≪ここで取り上げた場面≫

 

戦時中(1944年 秋)、結婚して間もなく、夫を戦地に送り出した先生の―――小学校の子どもたちを引率して―――近所の「お椀山」への遠足で、生徒たちと山を登っている最中に、前夜の自身を思い出して・・・・。

 

 

Page 105, line 9 from the bottom (●部は記述の印刷が消えていた、誤植、あるいはバグ部分です。わたしが推定して書いております)。この英文は【村上の原文】では、文庫版:上巻 ページ205、5行目からの2/3ページに相当する複数センテンスです。

 

【Philip Gabrielの翻訳文】

The night before I took the children up into the hills, I had a dream about my husband, just before dawn(夜明け). He had been drafted(徴兵される) and was off at war. The dream was extremely realistic(現実的) and sexually charged (満ちている)– one of those dreams that’s so vivid(鮮明な) it’s hard to distinguish between dream and reality.

 

【Philip Gabriel翻訳文の、わたしの日本語訳】

子どもたちを山に引率してゆく前夜、ちょうど夜明け前の頃、わたしは夫の夢を見ました。彼は徴兵され戦地に行っておりました。夢はきわめて現実的で非常に性的なもので―――その一部を表現するとすれば、実際に行われているのか、夢の中での事なのかを区別するのが難しいほど鮮明だったのです。

 

【村上原文 ≪上巻 ページ205、5行目から≫】

  子どもたちを引率して山に参ります前夜のことですが、私は夫の夢を見ました。夜明け前のことです。出征して戦地に言っております主人が夢の中に出て参りました。それはひどく具体的な性的な夢でした。ときどき夢と現実の境目が見定められなくなるような生々しい夢でありますが、まさにそのような夢でした。

 

 

【Philip Gabrielの翻訳文】

   In the dream we were lying on a large flat rock having sex. It was a light grey rock near the top of mountain. The whole thing was about the size two tatami mats, the surface smooth and damp. It was cloudy and looked as though we were about to have a storm(あらし), but there wasn’t  ●ny (any?)  wind.  It seemed near twilight (薄暮), and bird were hurrying off to their nests. So there the two of us were, under that cloudy sky, silently having intercourse(性行為). We hadn’t been married long at this time, and the war had separated us. My body was burning(燃えるように) for my husband.

 

【わたしの日本語訳】

  夢の中で、わたしたちは大きくて平らな石の上に寝そべり行為をしていました。その石は大きな灰色で、山頂近くにありました。全体の大きさは二枚分くらいの広さで、表面は滑らかでしっとりしておりました。空は曇っており風は全くなかったのですが、今にも嵐が来そうな雰囲気でした。夕暮れになり、鳥たちがねぐらに急ぐ頃です。そんなとき、わたしたち二人は、曇り空の下、なにも言わず行為に耽ったのです。当時、わたしたちは結婚まもなくで、戦争のために離れ離れにされたのです。わたしの身体も主人のために熱く燃えたのでした。

 

【村上原文】

  私たちはまな板のように平らな岩の上で何度も交わりました。それは山の頂上近くにある岩で、淡い灰色の岩でした。広さは畳2枚分くらいあります。表面はつるつるとして、湿っています。空は曇っていて、今にも激しい雨が降り出しそうです。風はありません。夕暮れが近いようで、鳥たちもねぐらに急いでいます。そのような空の下で、私たちは口もきかずに交わっておりました。まだ結婚して間もないうちに、私たちは戦争のせいで離ればなれにされておりまして、私の身体は激しく夫を求めておりました。

 

 

【Philip Gabrielの翻訳文】

   I felt an indescribable(名状できない) pleasure. We tried all sorts of positions and did it over and over, climaxing again and again. It’s strange, now that I think of it, for in real life the two of us were calm(穏やか:calm down!ー落ち着いて!), rather introverted(内向的)people.  W●● (We’d?) never given in to our passions like this or experienced such soaring(舞い上がる) pleasure. In the dream, though, for the first time in our lives we’d thrown away all restraints(抑制、慎み) and were going at it like animals.

 

【わたしの日本語訳】

わたしは言葉で現わせないほどの喜びを感じました。いろいろな体位で何度も交わり、何回も昇りつめました。今考えてみるとそれは不思議なことなのです。と言うのは、実生活では、わたしたち二人とも穏やかで、どちらも内向的な性格なのです。決して自分たちの感情をこんなに直截的に表したことはなく、こんな昇り詰める喜びを経験をしたこともないのです。でも夢の中では、わたしたちは、生まれて初めてすべての慎みを捨て動物のように交わったのです。

 

【村上原文】

  言葉あらわせないほどの肉体の快感を私は感じました。いろいろな姿勢でいろいろな角度で私たちは交わり、その間に何度となく絶頂感を覚えました。これは考えてみれば不思議なことでした。と申しますのは、私たちはどちらも内気な性格で、そのようにどん欲にいくつもの体位を試したこともなく、そのような激しい絶頂を感じた経験を一度としてなかったからです。しかしとにかく夢の中では私たちは普段の抑制を取り払い、まるで獣のように交わりました。

 

 

【Philip Gabrielの翻訳文】

  When I opened my eyes it was still dim outside and I felt very odd(奇妙:発音、アッド.  My body felt heavy, and I could still feel my husband deep inside me.  My heart was pounding強打 and I found it hard to breathe(呼吸する). My vagina was wet, just like after intercourse. It felt as if I’d really made love and not just dreamed it.  I’m embarrassed to say it, but I masturbated at this point.  I was burning with lust(渇望、色情) and had to do something to calm down(落ち着く).

 

【わたしの日本語訳】

目を開けた時、あたりはまだほの暗く、わたしは非常に奇妙な感じを受けました。 わたしの身体が重く感じられ、わたしは中にいる夫を感じておりました。心臓は早鐘のように打っており、息をするのも苦しいほどでした。わたしのヴァギナは性行為の後のように濡れておりました。 それは夢の中の出来事ではなく本当に愛の行為をしたように感じました。 恥ずかしい話ですが、そのまま自慰をしました。わたしは渇望しており、それを鎮めるためにはそうするしかなかったのです。

 

【村上原文】

目がさめたとき、あたりはほの暗く、私はひどく妙な気持になっておりました。身体がどんよりと重く、腰の奥の方にまだ夫の性器の存在を感じておりました。胸がどきどきして、息が詰まりました。私の性器も性行為の後のように濡れておりました。それは夢ではなく本物の交わりであったように、ありありと切実に感じられました。お恥ずかしい話ですが、私はそのまま自慰をしました。そのときに私の感じていた性欲はあまりにも強いものであり、それを何とか鎮めるためのものでした。

 

 

【Philip Gabrielの翻訳文】

  Afterwards I rode my bike to school as usual and escorted(付き添う) the children on our field trip to Owan-yama.  As we walked up the mountain path I could still feeling the lingering(長引く、未練そうな) effects of sex. All I had to do was close my eyes and I could feel my husband coming inside me, his semen(精液) shooting against the wall of my womb(子宮).  I’d clung(しがみつく) to him for all I was worth(値して), my legs spread as wide as possible, my ankles entangled(からめる) with his thighs. I was, frankly, in a daze(ぼーっとさせる) as I took the children up the hill.  I felt as if I was still in the middle of that realistic, erotic dream.      

  

【わたしの日本語訳】

それからわたしは、いつものように自転車に乗って登校し、子どもたちを引率して「お椀山」に遠足に行きました。山道を登っている時にわたしが感じていたのは、昨夜の行為の余韻でした。わたしは目を閉じ、夫が入って来て、精液が子宮の壁に当たるのを感じておりました。 私は全身で夫にしがみ付きました。両足をこれ以上広げられない位広げて、足首を夫の太股にからめました。正直なところ、子どもたちを連れて山を登りながら、わたしは一種の放心状態の中にありました。 わたしは、自分が今も扇情的な夢のど真ん中にいるような感じでした。

 

【村上原文】

  それから私は自転車に乗って学校に出勤し、子どもたちを引率して「お椀山」に向かいました。山頂を歩いている途中でも、まだ私は性交の余韻を味わっておりました。目を閉じると子宮の奥に夫の射精を感じることができました。子宮の壁に、夫の放つ精液が当たるのがわかるのです。私はそれを感じながら、夫の背中に夢中になってしがみついていました。これいじょう大きく開けないくらい脚を大きく開いて、足首を夫の太股にからめていました。子どもたちを連れて山を登りながら、私は一種の放心状態の中にいたようです。生々しい夢の続きの中にいたと言ってもいいかもしれません。

 

 

[考察]

正直なところ(Honestly speaking)―――村上の原作を読みながらなら―――Philip Gabrielの英文の和訳を限りなく「村上に寄せる」ことは可能です。ただ、寅さんではありませんが「それをやっちゃ、お終いよ!」という声も聞こえます。ズルはしていない、ということでご理解下さい。

 

この作業を終えてのわたしの認識では、Philip Gabrielの英文翻訳は村上の紡いだ原文に真摯な姿勢で対峙し、極めて正直な翻訳をする方、という印象でした。

ただ、翻訳において最も大切なことなのでしょうが、村上のシグニチャーでもある原文にある、あの独特の雰囲気・空気感を Philip Gabriel 翻訳英文がどの程度保持しているのか否かについては、わたしは英語母国語の環境で生活してきたわけではありませんので、残念ながら断定的なコメントはできません。私の日本語訳が相当程度正しいという前提において、全体的な印象では、過剰に抑制的な英文翻訳のようにも感じた(修行僧のような)。もう少し、原文から離れるくらいで、ちょうど、良いのではないかと・・・・(前文との整合性がありませんが、・・・葛藤なのです)。

 

※:どなたか、この [結果] にぴったりの [緒言] [考察] を書いてみて下さい。ついでに [結果] もかな? 

 

 

『海辺のカフカ』についての簡単な解説。

著者村上がこの作品『海辺のカフカ』で書こうとしたのは――――『ライ麦畑でつかまえて: キャッチャー・イン・ザ・ライ』で書かれている、魔の十五歳 の通り抜けを失敗し精神を病む主人公ホールデン君との対比で――――周りの力を借りつつも、なんとか自分の力で十五歳という危険な時期を通過しようとしている主人公 カフカ 君の姿なのでしょう。

この物語について: 四国(死国)の高松にある“甲村図書館”が、この世とあの世のつなぎ目にある、この世での最後の停留所ともいうべき場所です。その 甲村図書館 であの世に行くための 関所が開くのを待っているのが佐伯さん、そして、この物語で最も魅力的な人物 ナカタさんです

 

  お二人とも、この世界にはいてはいけない、あるいは、いることができない人たちなのです佐伯さんと、ナカタさんが、本来、あの世で暮らすべき人であることは、ふたりの影の濃さが 普通の人の半分しかない ことで明示されております

佐伯さんの息子、カフカ君は、お父さんとの確執で傷つき、自分の損なわれた心を修復するために過去のお母様に会いに行こうとしてます。その関所を開けるカギともいうべき 重い石 を探しているのがナカタさんと、それを助けるトラック運転手の星野さんで、この2つの魅力的なお話が、徐々に収斂していく様が丁寧に描かれております。

 

※:村上の小説では、「音もなく静かに雨が降る夜」、とか「四国」が出てくると、ほぼ100%、誰かが隣りの世界、異世界に行きます。

 

 

[使用した村上原作と英文翻訳本]

原作

村上春樹

海辺のカフカ (上) 、(新潮文庫)  ペーパーバック – 2005/3/1

 

英語版:

Haruki Murakami

『Kafka on the Shore』  translated by Philip Gabriel,  Vintage Press   Copyright 2003, English Copyright 2005