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くうのメッセージ

トラウマ開放の過程などで過去を遡って行くと、『あれっ?! こんな所でこんなわだかまりがあったのか』と気づく事がよくあります。
真実は深く、全ての体験に意味がある。そう思える瞬間です。
感じた事、伝えたい事を更新していけたらなと思います。

認知症の数、400万人とか予備軍入れて800万人とか報道されています。


うちは私の両親、そして義母の3名が認知症であることから、この問題についてどうしても深く考えることがたびたびあります。


『どうしてこれほどの人たちが認知症になってしまうのか?』


こうした現象は社会にいったい何をもたらしているのだろう?、といったふうに。


うちの両方の母親やまわりの一般の女性を見つめているとこんなことを感じました。

どうも子育てが終了し子供が独立してしまうと、心にぽっかりと空間ができてしまう人が多いようだな、と。


子育てというのが女性の人生にとってとても大きな部分を占め、子供が親離れしてしまったり、新たな家族を形成し独立したり、『は~~……』、といった具合に、生活の張りが一気に消えてしまう人も多いのかもしれないと思ったのです。


『20年や25年をかけてじんわりと進行し発症』という経緯を考えると、50代からすでに病気が潜在的に始まっていることになるのです。


これはちょうど子供が離れてしまう時期とも一致。


つまり、体力がありエネルギーもあるのに『人生の張り』がなくなってしまう…。


私の母のケースでは、50代半ばには冷蔵庫のお弁当箱に入ったご飯が10ケースくらいカビを生やしたままでした。


義母はよその家の洗濯機などの機械の使い方がわからなかったりトイレの電源がわからなかったりして怒鳴り散らすといった事がすでに起こっていました。


この時点では、私自身 認知症というものの知識がまったくなく、こうした現象をとくに気に留めたりもしていませんでした。


それから20年~25年が過ぎると、どっぷりと介護が必要となって現在に至っています。


核家族化の中で暮らしてきたどちらの両親も、彼ら自身の親の最後の面倒を見ていなかったので、介護や看取りや葬式といったものに対して、子供である私たちもわからないことだらけでした。


ただ、知らないことだらけの中、懸命に親と関わって行くと、実の親とも義理の親ともそれぞれつながりが強化されたなという感覚があります。


認知症が進行してしまうと、必ず誰かが面倒をみなくてはならなくなります。


核家族やまたは単身で暮らしていて親との関わりが薄れてしまっていても、否応なしに過去の家族との関わりへと引き戻されてゆくのです。


そして、介護に関わるといろんな学びもありました。これはわたくしの体験ではありますが、実際に親と深く関わる事で、様々な出来事や問題にもぶち当たりました。


それらを乗り越えて行くのに、夫婦間の協力や兄妹同士の協力が必要とされます。


この間に、親子のそれまでの関係の修復、夫婦間での相互理解の深まりや、兄妹間の互いの長所の認識といった事が起こった年月であったなと、つくづく思うのです。


つまり、家族への回帰、つながりの再認識であったと……。


もしかしたら、世の中に認知症の人の数が爆発的に増えてしまったのは、核家族化が行き過ぎるところまで行き過ぎてしまった事への提議づけなのかな、ふと感じました。


これは、かならずしも大家族化を継承すべきだという意見ではないです。

複数の世代が大きく関わる事に大きな意義があったのではないだろうか。

今や、核家族内ですら、親が共働きで子どもがひとりで食事をするとか、部屋にひきこもってしまうとか、夜遅く外出してまうとかといった個の孤立ということも起こってしまっています。

また、お年寄りも孤立しやすくなっています。


もちろん、すべての認知症の人に介護できる家族がいるわけでもなく、一人で複数の親の介護を受け持たなければならない人がいるのも現実です。


『つながり』は家族だけのものではなく、社会の中で、個々が孤立してしまうのではない社会。

互いが関わることの大切さ。


たとえば、世代間の隔離がもっと少ない社会や、お年寄りがよその子でも良いので見守れる社会のあり方だとか、年を取ってもいろんな分野で打ち込める事が実在する社会といったものを模索してゆかなくてはいけませんよ、方向転換しなければいけないよ、ということかもしれないなと思ったしだいです。


読んでいただきありがとうございました。


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前回の記事にて、人探しの続きです。


母と母の弟である私の伯父は30年以上に渡ってほぼ絶縁状態にありました。


絶縁状態になる前、伯父が何市に住んでいたかまでは覚えているのですが、私の兄も私もその先がまったくわからないままでした。


駅から20分以上歩いた所でもあり、その頃伯父が新築した家で、1、2回しか訪れていないので、覚えていないのも無理もない状況でした。


そこで市役所の職員さんに相談して得た人探しの手順はこんな感じでした。


まず、母の戸籍謄本を取り寄せる。


次に母の旧戸籍の住所所在地の市役所にて祖父母の除籍謄本そして戸籍の附表を取り寄せる。直系の間柄だと簡単に入手可能となります。


こうやって取り寄せて行って、その附表というものに祖父母の最期に住んでいた住所が記載されているというわけでした。


伯父が祖父母の面倒を看ていたので、その住所さえわかればと思いつつ、祖父母は亡くなってすでに30年経過…。


亡くなって5年ほどで、除籍謄本の附表に載せてある住所も消去されてしまうことを途中で知ってしまい、ガーンとなっていました。


こうなると『興信所』といった所へ依頼するのか、しかしそこまでするのもどうだろう? そもそも母の勝手で絶縁状態になってしまったのだし、母が自分の身内に会えないのも運命なのかもしれないし、等と悩む微妙なところでした。


そこで、市役所の人の薦めもあり弁護士さんの無料相談にて面談。


弁護士さんの説明では、喧嘩別れしたのを仲直りさせたいとの理由だけでは、案件として裁判所をとおしたとしても伯父の住所を調べる許可が得られるかどうか、この可能性は低いとのこと。


私から見て直系である祖父母の遺産相続が遺されているかどうか調べるためとの口実であれば、許可されますよという話でした。


しかし、祖父母の面倒を最期までみられた伯父の心証を鑑みると、こんな方法は避けたいなと思いあきらめました。


ちなみに弁護士さんを通じて親戚の住所を調べるのにかかる料金は5万円くらいだそうです。


『物事がうまく進んで行かないな。もしかしたら、やらなくていいことを私はしているのかな?』

と自問自答しながら、伯父が30年以上前にマイホームを建てた時、伯父は両親そして独身の妹と伯父自身の障害を抱えた娘を男手ひとつで支えていたような状況でした。


75歳を超えた今、伯父はさすがに心細くなってられるのではないだろうか?


私たちから見放されているのではと思ってられるのではないだろうか?、と心配なところです。


速達で取り寄せ手配をしていた祖父母の除籍謄本が私の家に結局届かない状態で、母の孫にあたる私の娘を面会させるために関西へ3泊4日で帰郷。


母は、現在枯れてゆく段階にありますが、この日は食欲もあり元気そうで、無事孫との面会は終了。


母自身も弟妹に会いたいという気持ちがあります。


再び伯父探しのために、父方の親戚から、従姉妹がどこかの市役所に勤めているという話も聞いていたので、該当する所へ問い合せてみました。


事情を話したところ、人事課の人が名簿で調べてくださったのですが、該当する人はみつかりません。


『ああ~、最終日には大阪市役所へ直談判して住所調べてもらおうかな』と思っていたら、なななんと、夜遅く夫から連絡で、速達来ていると……。


ありました!! 住所。


不思議です。祖父母はとっくに亡くなっているのになぜ記載されていたのだろう?、と。


伯父が引っ越してなければ無事再会です。


いました。家も街の雰囲気もすっかり変わっていましたが、無事会えました。


兄や私が探しまくっていた経緯を説明し、伯父は感激してくださいました。


私たちはまったく知らなかったのですが、伯父自身はこれまで節々に何度もお祝いなどを母を通じて私たちに送ろうとしてくださっていたそうで、すべて母が突っ返していたということでした。


他にもたくさんもめ事があったようなのですが、母は伯父とのやりとりを他の人にはすべて隠していたようです。


伯父は多くの重荷を抱えたまま、もしかしたら甥や姪からも見放されているのかなと、やっぱりそう感じてられたそうです。


従姉妹は伯父の知り合いの人たちと一緒に旅行で留守で、会えませんでしたが伝言をお願いしました。


『あなたのお父さんとお母さんは、あなたが生まれたから離婚されたわけではないんだよ。私の母が裏であなたのお母さんに悪い事をしたから離婚されたんだよ。』、と。


ずっと過去の事ですが、私も最近知った真実でした。伯父も目をうるませてられたように見えました。


また、別の日に母に会いに行ってくれるそうです。


そして、なぜ除籍謄本の附表に住所が残っていたのか?


独身の伯母がいてくださったからでした。


伯母は無口な人で私はあまり話をしたことがなかったのですが、このかたのおかげでつながっていたのだなとちょっと感動です。


こうして無事再会できたことには感謝なのですが、さすがに血は争えない。


母と伯父はかなり気性が似ていて、圧倒されるままお別れしました。


新幹線に乗って自宅へ戻ると、もともと体力が普通の人の1/5くらいの私はしばらく(1週間くらいで回復できるとよいのですが…、(ノ_-。))寝込んでしまっています。


帰宅の翌日には今度は特養に入所中の義母が骨折ということで、重なるものだなと実感。(・_・;)


亀の速度で更新しています。

   
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家族や身内の者がもうじき『旅立つ』、つまり逝こうとしている時に、その本人に会うことは魂にとってどんな意義があるのだろう?


そんな事を確認したくてヒプノセラピーにおいて私自身のハイヤーセルフに尋ねてみました。


答えは『バトンタッチ』でした。


魂は巡り廻っています。


地上での生活を終えひとつの魂が死を迎える時、これからを地上で生きようとしている別の魂へバトンタッチするといった事を再確認しているとのことでした。


もちろん、必ず死に目にあわなければならないというわけではないのです。


魂と魂はつながっているので死に目にあわなければ親不孝というわけでもないのです。


ただ魂は私たちの表面的にはわからない部分でのやり取りもあり、バトンタッチが一つの再確認となるのだということでした。


今世で母だった人が、前世でも母であったり、子どもであったり、または親戚であったり、知人だったり。


こうした輪廻転生を信じていない人でも、たとえば命を持つどんな生き物も『繁殖し生命を繋げて行く』ことが、その寿命の中での一大イベントであることは理解できると思うのです。


生から次の生命へと繋げていって実は巡り巡っている。


地球上の水があらゆる所で循環しているように、自然界の生物がサイクルを形成しあっているように、宇宙の星々や惑星が互いの引力で回転しているように、すべてがサイクルをなしているのが面白いなと感動しつつ、なぜこのような質問をしたかということですが……。


母がいよいよかなという状況らしいのです。意識はまだしっかりあります。


私自身は6月にすでに会いに行っていて、なすべき事はすべてなしてきた感があります。

ですから、会うまたは会わないということにそれほどの支障や問題はないのですが、母はあちこちで喧嘩していて、長年絶縁状態になっている親族がいます。


30年に渡って絶縁状態のケースだと、私自身子どもの頃に訪れた叔父の家の行き方を覚えていないですし、住所もわからないといった問題が生じていました。


今の母は、認知症のおかげもありキャラが変わって穏やかになっているので仲直りしやすいです。(自分から勝手に絶縁状を渡していてもそのことをすっかり忘れていると思うのですが…)

そして私自身も、ハンディキャップを抱えている従姉妹に会っておかなければと思うのです。

小さい頃、よく一緒に遊んだにもかかわらず、親の都合でずっとやりとりもなかったことが気がかりでした。


そして、その従姉妹へと伝えたい真実があるのです。私自身、最近になってはじめて知った真実でもあります。


私自身、母のついた嘘や作り話で傷つき長年苦しんできましたが、やがて真実を知ってから目の前が開けたような感覚がありました。


『真実』には人を苦しめていたものからその人を解放させる強い働きがあるのだなと実感したものです。


核家族化していて親族が少ないなか、今連絡をとっておかないと生涯会えなくなってしまう可能性が高いなと思われます。


8年ほど前に父をとおして住所を確認しようとしたのですが、この父がまたその時すでにボケ始まっていたのかもしれません。『今度調べておく』の一点張りで、結局確認できなかったのでした。


そして母の方は、兄弟の住んでいた街の名前すらわからない現状です。


…まずは戸籍謄本等を入手し現在も調査中です。(_ _。)