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くうのメッセージ

トラウマ開放の過程などで過去を遡って行くと、『あれっ?! こんな所でこんなわだかまりがあったのか』と気づく事がよくあります。
真実は深く、全ての体験に意味がある。そう思える瞬間です。
感じた事、伝えたい事を更新していけたらなと思います。

意識というのは、いくつかの層に分かれていることが知られています。


まず普段、一見、人が最も使っている部分のように思えるものが、『表層意識』です。


その部分が意識全体の数パーセントほどのものだと言われています。


その表面部分で行われている思考を、多くの人は『自分の考え』とも捉えています。


そしてそれ以外の大きな部分は『潜在意識』と呼ばれている所です。


さらにその人の最もコアな部分(核)となるのが『超意識』と呼ばれています。


この表面的に浮かび上がってくる表層意識からの考えと、超意識からの考えが非常にかけ離れたものであることはよく起こることのようです。


実際、超意識からの自分の考えに気づくと、驚いたり、感動したりすることがあります。


予想もしてなかった『真実の深さ』への感動というものでしょうか。


こうしたそれぞれの意識からの考えがどんなものであるか、

また、意識の変革によりどのように心の傷やトラウマが癒されていったか、私自身で起こった具体例から紹介したいと思います。


私の場合(実例)ー母から受けた虐待やいじめに対する私の怒り


ふと過去に母から受けたいやがらせといった出来事を思い出したり、大人になって独立した家族を持ってからも、ストーカーのように執拗に関わってこようとする母に対して、怒りが湧き起こっていました。


頭にきだすと、次々と同じ内容のテーマの思考で頭の中いっぱいになってしまうのです。


しかもそうした思考が雲のように湧いてきて、『考えるのをよそう』と振り払おうとしてもグルグル頭の中で回ったままになってしまうことが頻繁に起こっていた時期がありました。


今度、母が強引に自分の考えを押し付けてきたり、私をコントロールしようとしてきた時に、『どうやって言い返しはねのけてやろう』といった思考です。


内面がもっと荒れている時はさらに過激になり、「あんな人は精神病院へ放り込まれるか、刑務所に入るのが最もふさわしい!」や「さっさと死んじゃえ!」と思う事もあります。


そして、こうした考えが自分の本音なのだと思ってしまうのです。


すると、自分の中にそんな荒んだ気持ちが存在するのだと考え、自分はどうせこんなもんだと、落ち込んだりもします。


こうした母を排除したい気持ちは、実は自分の中にあるトラウマ、つまり潜在意識の中に溜まったままの心の傷が突発的にそのように思わせてしまうのです。


幼少の頃からずっと親から押さえつけられ支配され続けたので、『人からコントロールされる事への恐怖』といったものが内面にあった事が大きな原因にもなっていたようです。


上記のような思考はかなり極端なものですが、その一方で『いつまでも怒りの気持ちを抱いたままではいけない』という考えもでてきます。


また、家族からこんな忠告も受けました。


『どんな人もありのままを受け止められるようにならなければいけない』とか、または『いつまでも(虐待を受けたという)被害者意識に心をとらわれてはいけない』とか。


こうした理想を挙げ、自分で自分を説き伏せようともがいてみます。

ところが、理屈で自分の考え方を変えようとしてもなかなか上手くは行かないものでした。

理屈による考えは表層意識によるもので、潜在意識の中の問題を解決することができないのです。


しかも、親をなかなか許せないでいる自分をかえって責めてしまうことにもなり、逆効果でした。


『許した!』と自分で実際思えたこともありました。


しかしそのすぐ後に再び生まれた時から潜在意識へとせっせこ溜め込んでいた心の傷が、パカパカと表面へ出現してきたりするのです。


だから、いつまでたっても怒りと深い悲しみが湧き出てしまうという状況。


受け止められないほどの苦しい出来事が起こると、その時の感情を感じないようにして、心の奥底へ感情を封じ込め蓋をして閉じ込めてしまいます。


こうして封じ込められた感情はどうなるのか?


どれほど時を経ても、消えることはありません。


こうしてネガティブな感情は潜在意識の中に留まり、それが『トラウマ』となってしまうのです。


実はこうした行いも、自分が悲しみなどで押しつぶされてしまわないようにこの時の自分を守っているのですね。


そして、こうした潜在意識に溜まったトラウマはどのように解放すればよいか?


まず、押し込められた感情に気づくこと。


そしてその感情が喜ぶ言葉、『大変だったね』『辛かったね』と心の中で言葉をかけてあげ、慰め癒してあげることも大事です。


また、トラウマの中でも、特に大きな出来事のものをピックアップし、封じ込めてしまった感情へ意識の光をあててあげる事で、トラウマが解放されてゆきもします。


大きなものを解放することで、数珠つなぎ的に小さなものも解放されてゆくこともあります。


また、最も問題のある過去を再体験し、『実際その時、自分はどんな事を感じていたのか』を知ることでも大きな変化をもたらしてくれることがあります。


たとえば、私の場合、母から虐待を受けていた時の出来事を再体験した時、その虐待に対してよりも、実は、それを助けようとしてくれなかった他の家族のメンバーの冷たい対応に、疎外感を受け傷ついていたという真実に気づきました。


そこで、幼少期から自分の中にあった、『家族への深い嫌悪感』の存在の意味を知りました。


ただ、その真実を知っただけで、なぜかそうしたトラウマが消えていったのです。


ただ、これではかなり時間もかかっているなとも思えました。


そこで最もすごいパワーを発揮するのは『超意識』へつながってしまうことです。


『自分の経験は何のためだったのか?』


こうした事への答えが、『すべてを水に流す』という出来事をもたらしたのです。


超意識から見えてきた感覚は次のようなものでした。


家の中がどれほど厳しい環境にあっても、精一杯、目の前に広がる外の世界を見つめていたインナーチャイルド。


悲惨な過去があっても『いったいそれがなんなのよ!』といったふうに自分の道を進んで行こうとする、もろともしない強さを本当は持っているそんな強さを表現すること。


サザエさんに出てくるようなごく平凡な家庭環境といったものは自分にとってはまったく退屈なもので望んでいなかったということ。むしろ単調な人生ではなく、激しいものを自分は望んでいるらしいこと。


母の虐待といった行為は、私がその経験を乗り越え、自分で自分の殻を打ち破るためにもたらされた負荷にすぎなかったこと。また、母自身がその役を担ってくれていたこと。


こうしたことが本当の真実なのだと知ったのでした。


これらは、一度に見えた真実ではなく、その時折に見る事ができたものです。


一つ一つの真実を見るたびに深い感動を覚え、『真実』には凄い力が秘めていると知りました。


また、内面にある『わだかまり』が一気に昇華し消えてしまうような感覚があります。


トラウマというのはある意味、『障害』のようなものです。


障害を乗り越えると、本来の自分らしさといったものが表へ出てきます。


そして、自分らしさを表現することで、生きる力が蘇ってくるのです。


もちろん、そののちに自分の過去を振り返ることで、たまにネガティブな感情が出てくることもあります。


しかし、悲しみや憤りで心押しつぶされるような事はもう起こらなくなっています。


また、浮き出てきたネガティブな感情による思考からもすみやかに抜き出ることができるようになっています。


お読みいただき、ありがとうございます。



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『鏡の法則』という言葉をご存知の人も多いと思います。


これは、普段関わっているある人に、例えばむしゃくしゃするとします。


相手は自分のある部分を示す鏡であって、自分が変わることで、相手も変わるという事です。


これは人と人との出会いの例ですが、起きている現実のすべてが、私たち自身が何かを気づくべきために起きているのとしたら、社会で起きている事も、やはり『私たちの社会の鏡』となっているのかなと考えさせられる事があります。


昨今しばしばニュースで出てくる『テロ』について考えてみました。


テロとはどういった存在なのか、ちょっと高い所から見つめてみます。


すると、『これまで築き上げられてきた社会の中の、金や権力による支配の最たるものの例』として存在しているのが見えてきました。


つまり、力で人々を恐怖に陥れ、略奪支配するという方法。そうです、その最も極端で情け容赦ない情景を私たちに見せてくれているようなものだということでした。


つまり、私たちの生み出した社会の『鏡』としての側面。


さらに、この時、上の存在から、


「格差や豊かさの不平等などへの不満を誰も抱かないような世界であれば、こうした紛争は大規模にもなれずに消えてしまうだろう」


との言葉が。


今の世界の国々は昔のように封建社会ではなくなっていますが、先に豊かになったものが、他を豊かにするのではなく自分たちだけがさらに豊かになるような社会システムを構築してしまっていて、結局、力で牛耳ってしまっているのですね。


しかも、一握りの人々が不必要なほど莫大な財産や資産を握りしめていて、お金を社会へ循環させようとしなくなっている場合、非常に硬直した世の中になってしまうだろうことが推測できます。


やはりお金は循環してゆかないと世の中が巡ってゆかない。


豊かなものが豊かさを占有してしまっていたり、社会の弱者となったものに対し無関心であったり。


そうした硬直した世界の中で、どうしても窒息してしまいそうな人々がでてきてしまう。


こういった人々が過激な方法で世の中を改善できるのではと考えてしまうといった構図。


要するに、こういった社会を生み出してしまったのは私たち自身でもあり、過激な紛争といった最たるものに化けてしまったものは今の社会の分身、つまり極端な形で進化してしまった分身のようなものであるわけなのだなと。


またちょっと違った形でイメージしてみます。


例えばこの現象を抗生剤が効かなくなった耐性菌の出現とも例えてみると……。


病気に対し抗生剤をばかばか多量投与し、細菌をぶったたく。


そして、その抗生剤に対する耐性菌が出てきたら、また別の抗生剤を生み出してぶっ叩く。


だんだん人々は過剰になっていって、不要な所にまで抗生剤を乱用し、最終的にはどの抗生剤も効かない耐性菌が出現してきたという現象です。


力でどれほど押さえ込んでも、また新たな別の組織が暴れだすという現象。しかもどんどん手のつけようがないほど相手も巧妙で強力になってしまう。


こうした現象から何を学び、私たちはどう進んでゆくのか?


大きく問われているのだなと思うのです。


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身体や脳は年とともに老化してゆきます。


しかし一方で、心や魂は老化しないものなのだな、としみじみ感じることがあります。


年老いた両親やまわりのさまざまな年配の方達を見ていてもそう感じます。


義理も実のほうも、私の親はかなり重度の認知症です。


彼らをみていてもそう感じるのです。


もちろん、心と脳をつなぐパイプのようなもの?が、かなり老化で壊れているだろうなと思いますが、それでもやはり心は老けてないなと思い知るのです。


むしろボケると、思考などのフィルターの機能が劣ってしまったのか、


それとも生活における『不安』といったものが圧倒的に少なくなってしまったからなのか、


以前はなかなか見れなかったその人本来の素直さが前面に出ていたりするので、会話をしていると時にみずみずしい感情が溢れ出ているのが感じられるのです。


うちの親は認知症の薬を飲んでいないので、薬による変な効果もなくなおさらストレートにそう感じられるのかもしれません。


また、認知症になって逆に攻撃的になったり、大部分の時間を空虚な表情をしている方もたくさんおられるようですが、彼らの内面では魂や心は豊かに反応しているのかもしない、そんなふうに考えることもあります。


数年前のことです。


ふと、父の魂からこんなふうにたしなめられました。


「『ゾンビみたいだ!』なんて言っているけど、認知症の人間も自分が周りからどんなふうに扱われているのか、魂はちゃんと見ているのだよ」、と。


おや、まあ。父はちゃんと私の心の中をお見通しでした。


これは私が義母の介護にいろいろと手こずっていた頃で、父はこの時、遠く離れた関西の老健にいました。


義母はせん妄が激しい時期があり、「『まだご飯食べさせてもらっていない』と、(誰かから)言われた!」とか、「寝ちゃダメだと(誰かが)言っている」とか、家にいながら「帰る!」と言ってきかなかったり。


こうした状態の義母の眼つきもまた異様でした。


『どうも非常に奇妙な世界を彼女は自分の頭の中に作っていて、その中で生きているのだな』、と私は思っていました。


実際のところ、非常に腹もたっていたのです。


異質の世界に住んでいて、


そう、ゾンビのようだと。


時々、家族や友人にもそんな失礼な事を言っていました。


だけど、頭がボケてしまっている人もほんとはちゃんと見ている。


介護を受けていることすらも、彼らにとっては経験であり、そこからいろんなことを感じているのかもしれない、と。


認知症である父の魂が送ってくれたメッセージ、大事にしたいなと思います。


ボケる前の父は、こんな気の利いたことを言ってくれたことはなかったのですが…。


長く生きていると不思議なことが数々あり、これはこれでおもしろいものです。

お読みいただきありがとうございます。


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