つい先日、同世代(40代後半)の友人に
「ルミナが5月に引退したわ」 と 言うと
「えっ ルミナってまだ現役やったん?」
と返されました。
若い世代の格闘技好きのファンの友人には
佐藤ルミナ をよく知らない人も多く、ある程度の年齢でも PRIDE や Hero's の盛り上がりが総合格闘技への入り口となるファンには、佐藤ルミナ は、それほど馴染みのある選手ではないのかも知れません。
それを 寂しいとか残念だとは思いません。
むしろ ギラギラして強かったルミナをリアルタイムで体感できた自分達は幸運だったのだろうと思います。
佐藤ルミナ の 名前が世に知られ初める少し以前。
シューティングとして日本で産声をあげた世界初の総合格闘技は、打 投 極 をうたい 高い志しの下に歩み始めました。
しかし高い理念とは反対に、地味で分かりづらく 観て楽しむことは難しく。 プロレスを観なれたファンの支持はなかなか得られませんでした。
アマチュアからプロへと道を進めながらも苦戦は続き、コアなファンに支持されながらも試行錯誤し、少しづつルールを改正。
そして バーリトゥードJapanを開催。
このバリジャパを機に日本の格闘技界は変革の道にはいります。
グレイシー最強の男ヒクソン招集、ヒクソンの際立った強さとは対照的に結果の出ない日本勢。 トーナメントは 94年95年とヒクソンがアブなげなく連覇。
1996年ワンマッチ形式のバリジャパでブラジリアン柔術を中心とした外国勢に1試合も勝てず "日本最弱" という屈辱的な文字が格闘技通信(雑誌)の表紙を飾りました。
シューティングは本当に強いのか?!
日本の格闘技は本当に強いのか?!
そしてそこから地鳴りのように始まる日本人の逆襲の最先端、一番先頭を走った男それが佐藤ルミナでした。
それまでのモヤモヤを吹き飛ばすアグレシブな闘い。一般的な男性に比べても、けして大きくない身体を徹底的に鍛え上げ、ゴングと同時に狙いに行くファイトスタイル。
相手を圧倒する連勝秒殺劇!。
そのインパクトと説得力は誰の目にも解りやすく、大げさでなく観る者すべてを魅了したと思います。 私自身にとっても生まれて初めて見る、 "強いコトはカッコイイ" を嘘のない形で体現する男でした。
修斗でジョエル.ギャルソン に一本取られ連勝はストップしたし、バリジャパ98ではブラジル・ノバァユニオンのドン、アンドレペデネィレスに初のKO負けを喫しました。
ただこの二つの敗戦は、相手が強かったというよりルミナ自身の自信過剰が招いた油断、という印象が強く、再戦したら負けるわけないと思われる内容でした。
当時修斗の牽引者として、朝日昇・エンセン井上・桜井マッハ速人にルミナを含めた四人が"修斗四天王" と一部で呼ばれていました。 その中でもルミナとマッハの人気は突出していて、特にルミナ人気は凄まじく格闘技界スポーツ界のみならず、あらゆるメディアへ露出していきました。
柔道の五輪メダリストでもない
空手の王者でもない
プロボクシングの世界チャンプでもない
もちろんプロレスラーでもなく数年前までアングラだった総合格闘技、修斗のいちシューターである
佐藤 ルミナ
という選手がテレビで雑誌で取り上げられていきました。関東圏のテレビでは特集が組まれるほどの盛り上がりを見せ、既存のスポーツとちがう新しい格闘技の時代の到来を感じました。それは総合格闘技の立ち上げのために苦労を重ね、あまり陽の目を見るコトのなかった先人達が間違っていなかった "証し" でもありました。
その着火点となったルミナは良くも悪くも"時代の寵児"と言ってもよかったかも知れません。
それは高田延彦が高額な賞金でヒクソンを
引っ張り出した""リング" の盛り上がりとは またちがう次元の"リング"の 出来事でした。 しかしこの時代から起こる格闘技のさまざまな波は融合し。世界中探しても類のないくらい、日本格闘ブームを巻き起こしました。
かつてない異様な盛り上がりをはじめる格闘ブーム 総合格闘技ブーム。
修斗十周年大会、空位であったウェルター級世界選手権
ルミナは宇野薫に3ラウンド
チョークスリーパーで一本負け。
挑戦者として 王者宇野に挑んだリターンマッチは1ラウンド
KO負け。
この、対宇野薫 二連敗。
これはルミナの格闘技人生での初めての完全な敗北であり挫折だったと思われます。
そしていつも総合格闘技の一番先頭を走り、これからも先頭を走るだろうと思われていた修斗のカリスマは、徐々に失速し、後ろから来た成長著しい後輩達の波の中に呑み込まれていきます。
しかし、その波の中をもがき苦しみながら、それでも佐藤ルミナは闘いの舞台から降りようとしませんでした。
Android携帯からの投稿
「ルミナが5月に引退したわ」 と 言うと
「えっ ルミナってまだ現役やったん?」
と返されました。
若い世代の格闘技好きのファンの友人には
佐藤ルミナ をよく知らない人も多く、ある程度の年齢でも PRIDE や Hero's の盛り上がりが総合格闘技への入り口となるファンには、佐藤ルミナ は、それほど馴染みのある選手ではないのかも知れません。
それを 寂しいとか残念だとは思いません。
むしろ ギラギラして強かったルミナをリアルタイムで体感できた自分達は幸運だったのだろうと思います。
佐藤ルミナ の 名前が世に知られ初める少し以前。
シューティングとして日本で産声をあげた世界初の総合格闘技は、打 投 極 をうたい 高い志しの下に歩み始めました。
しかし高い理念とは反対に、地味で分かりづらく 観て楽しむことは難しく。 プロレスを観なれたファンの支持はなかなか得られませんでした。
アマチュアからプロへと道を進めながらも苦戦は続き、コアなファンに支持されながらも試行錯誤し、少しづつルールを改正。
そして バーリトゥードJapanを開催。
このバリジャパを機に日本の格闘技界は変革の道にはいります。
グレイシー最強の男ヒクソン招集、ヒクソンの際立った強さとは対照的に結果の出ない日本勢。 トーナメントは 94年95年とヒクソンがアブなげなく連覇。
1996年ワンマッチ形式のバリジャパでブラジリアン柔術を中心とした外国勢に1試合も勝てず "日本最弱" という屈辱的な文字が格闘技通信(雑誌)の表紙を飾りました。
シューティングは本当に強いのか?!
日本の格闘技は本当に強いのか?!
そしてそこから地鳴りのように始まる日本人の逆襲の最先端、一番先頭を走った男それが佐藤ルミナでした。
それまでのモヤモヤを吹き飛ばすアグレシブな闘い。一般的な男性に比べても、けして大きくない身体を徹底的に鍛え上げ、ゴングと同時に狙いに行くファイトスタイル。
相手を圧倒する連勝秒殺劇!。
そのインパクトと説得力は誰の目にも解りやすく、大げさでなく観る者すべてを魅了したと思います。 私自身にとっても生まれて初めて見る、 "強いコトはカッコイイ" を嘘のない形で体現する男でした。
修斗でジョエル.ギャルソン に一本取られ連勝はストップしたし、バリジャパ98ではブラジル・ノバァユニオンのドン、アンドレペデネィレスに初のKO負けを喫しました。
ただこの二つの敗戦は、相手が強かったというよりルミナ自身の自信過剰が招いた油断、という印象が強く、再戦したら負けるわけないと思われる内容でした。
当時修斗の牽引者として、朝日昇・エンセン井上・桜井マッハ速人にルミナを含めた四人が"修斗四天王" と一部で呼ばれていました。 その中でもルミナとマッハの人気は突出していて、特にルミナ人気は凄まじく格闘技界スポーツ界のみならず、あらゆるメディアへ露出していきました。
柔道の五輪メダリストでもない
空手の王者でもない
プロボクシングの世界チャンプでもない
もちろんプロレスラーでもなく数年前までアングラだった総合格闘技、修斗のいちシューターである
佐藤 ルミナ
という選手がテレビで雑誌で取り上げられていきました。関東圏のテレビでは特集が組まれるほどの盛り上がりを見せ、既存のスポーツとちがう新しい格闘技の時代の到来を感じました。それは総合格闘技の立ち上げのために苦労を重ね、あまり陽の目を見るコトのなかった先人達が間違っていなかった "証し" でもありました。
その着火点となったルミナは良くも悪くも"時代の寵児"と言ってもよかったかも知れません。
それは高田延彦が高額な賞金でヒクソンを
引っ張り出した""リング" の盛り上がりとは またちがう次元の"リング"の 出来事でした。 しかしこの時代から起こる格闘技のさまざまな波は融合し。世界中探しても類のないくらい、日本格闘ブームを巻き起こしました。
かつてない異様な盛り上がりをはじめる格闘ブーム 総合格闘技ブーム。
修斗十周年大会、空位であったウェルター級世界選手権
ルミナは宇野薫に3ラウンド
チョークスリーパーで一本負け。
挑戦者として 王者宇野に挑んだリターンマッチは1ラウンド
KO負け。
この、対宇野薫 二連敗。
これはルミナの格闘技人生での初めての完全な敗北であり挫折だったと思われます。
そしていつも総合格闘技の一番先頭を走り、これからも先頭を走るだろうと思われていた修斗のカリスマは、徐々に失速し、後ろから来た成長著しい後輩達の波の中に呑み込まれていきます。
しかし、その波の中をもがき苦しみながら、それでも佐藤ルミナは闘いの舞台から降りようとしませんでした。
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