男道 〜鈴木康之物語〜 -22ページ目

男道 〜鈴木康之物語〜

ブログの説明を入力します。

秋も深まった10月、再び鈴木氏から話を伺うことになった。
場所は本宮。
郡山の北隣にある人口3万の小さな街ではあるが個性的で魅力的な店が多い。特に食べ物屋がそうで最も有名なのは「コッペパン屋さん」のムラヤマ。
軟らかいパンにジャムをその場で塗って売ってるのだがその美味しさと種類の豊富さから本宮以外から買いに来る人も多い。
そして今日のインタビューの舞台となるここ「LOW‐HIDE」もまたとても個性的な店だ。
店内は店主の趣味がわかるロカビリー R&R色の強いもので当然BGMはそれに合うような選曲。しかしこの店の大きな特徴は飲食店でありながら「お豆腐屋さん」でもあると言うところ。
併設されてるショーケースにはお豆腐や油揚げが並んでいて引っ切り無しにお客さんがやって来る。
ここのお豆腐じゃないとダメだと言う人がいるほどで本宮では老舗の豆腐店なんだそうだ。
「この店はどっちが本業なんだろう?」「飲食店と豆腐店ではどっちの売上が大きいんだろ?」



そんな事を思っていたら鈴木氏がやって来た。
「いろんな人が男道おもしろいって言ってるぞ。でもな文書が短いって苦情もあるぞ。もっと長くしろ」
会うなりそう言われた。

わかりました。長くしましょう。というより今回は政治について鈴木氏に聞くので必然的に長くなります。


最初に会った時鈴木氏は「原正夫は逃げてない」と言った。

原正夫

第13代郡山市長である。

そして前回の市長選で品川萬里氏と一騎打ちとなり僅差で敗れている。

元暴走族のリーダーと政治家。
とても接点があるように思えない。また政治家がいくら元とはいえ暴走族のリーダーと親しいのはイメージ的に良くない。当然本人達だってその事は承知なはず。

すると鈴木氏から驚くべき言葉を聞いた。
「原正夫には俺の血が流れてるんだよ」
そう言うと鈴木氏は悪戯っぽく笑った。

原正夫がまだ政治家になる前の頃、鈴木氏もまだ二十歳の頃で東北連合を率いて大暴れしてた頃に原正夫が心臓の手術を行うという事があった。
「かなりの大手術だったと思う。そして出来るだけ近親者の血を輸血に使おうって事になってた」
ところが「当時淋病が流行っててな、それと前の晩に酒飲む馬鹿もいてお騒ぎだったんだよ」
それで知りあいを通じて同じRH-の鈴木氏が急遽指名された。
「悪いけど今から東京行って血抜いてくれ」
上野にある福島会館で採血された。
「ところが俺の血だけ色が違うんだよ。ザクロの濃いやつみたいでな。お前の血はドロドロだとか汚いとか散々言われたよ」
手術は無時成功し原正夫氏の体に鈴木康之の血が注入された。

その事をきっかけにして原氏と鈴木氏は急速に接近して行く。
そして原氏は暴走族のリーダーで反社会的な人間と思われている鈴木氏を面倒見ようという思いにかられる。
鈴木康之20歳 郡山の本町ある原氏の会社「原商店」の社員となる。
「入る前の日、履歴書に記入してたんだけども1時間半かかったんだよ。なんせ経歴そのまま書けないから一生懸命偽造したんだ」
ところが当日偽造した履歴書を持って面接に行くと原氏が何やら数字を数えてる。
「あれ?お前仙台の大学に行ったんだよね?」
大学になんか行ってない鈴木氏はポカンとする。
「あーあれは少年院か」
そんな冗談を言われ和やかに面接は進められた。
「勘弁してください。1時間半もかけて偽造したんですから」そう鈴木氏が言うと原氏は笑いながら「いーからそんな事しなくても。みんな知ってっから」
「でも何悪いことしたんだ?けんか?あっそう。鈴木くん、うちの会社には鈴木くんとおなじぐらいの歳の人がいっぱいいます。絶対手をあげないでください」
「あたまに来ないようにしてください」

「こんな面接ってないだろ?」
鈴木氏は懐かしそうに 楽しそうに回想する。



原商店で働くようになり鈴木氏は益々原正夫の人柄、人間性に惚れて行く。
デスクワークも出来て先を見る目がありユーモアもある。
そして何より男としての器の大きさに。



「ずっとつきあって行きたい」
心からそう慕う男が先の市長選で落選する。

しかも根も葉もないデマで。



そのデマとは・・・

「原市長は放射能が怖くて逃げた」というもの。

そのデマは大きくわけて3つ。
●福島空港で原家が大慌てで県外へ脱出したのを見た。
●孫のいる薫小学校の除染を最優先した。
●震災後、原家の家の電気が点いてない。これぞ逃げた証拠。


しかしこれら3つとも事実と異なる。
まず震災直後に福島空港に行ったことはない。
また孫がいるのは薫小ではなく橘小。
そして家の電気が点いてないのは地震で家が壊れたからで全員小原田の長女の家に移動していただけの事。
このあまりにも御粗末なデマ。風評は誰が流したのか。何のために。
選挙中の品川陣営のポスター 選挙カー そしてホームページに「私は逃げない」と謳っている。
何をか言わんやである。
こんなチープで滑稽なデマに騙されてしまう市民も愚かではあるが、当時の地方自治体の選挙はことごとく現職が苦戦していた。
それは先の見えない復興への不安と少しでも変えたいという意識が有権者の間にあったと思われるし震災直後の民主党政権に対する不信感がそのまま「政治不信」につながったのではないだろうか?


「うちの孫と原正夫の孫は同じクラスで机も隣なんだよ。橘小学校でな」
鈴木氏はそう言って笑う。


そもそも行政の長がいなくなったらもっと大騒ぎになってるはずだ。

では何故原正夫は反論しなかったのか
反論していれば落選することがなかったかも知れないし何よりデマを払拭すれば品川陣営の自作自演が露呈し有利に選挙を闘えたのではないだろうか?

しかし原正夫はそうしなかった。


鈴木氏は言う。

「それは彼が政治家であって政治屋でなかったからだよ」