妻がこの世を去って1年が過ぎた。時が少しづつ悲しみを癒やしていく。
去年の今頃は何を見てもため息が出て、何かしようという気力が起きなかった。
いや、未だにそうかも知れない。
時が経つほどに哀しみよりも喪失感が大きくなり胸に開いた穴は塞がっていない。
不意に使っていた物を見る。
茶碗
セーター
バスタオル
ボールペン
化粧道具
そんな時は仏壇にある妻の写真を見てはため息と共に独り言をいう自分がいる。
「会いてえなー」
「何故隣にいないんだ?」
誰かと馬鹿話をしても
虚しい。
テレビを見てもラジオを聞いても
虚しい。
昔の女からの電話さえも
虚しい。
妻がいないこの世界に何の意味があるのだろうか?
美味いものを食べても、お金を稼いでも、妻がいなければ全く喜びにならない。
まるでこの世界から色彩が失われたように空虚だ。
そんな生きる気力さえ失っている自分に一番がっかりしているのは私自身だ。
そしてずっと周りに弱みを見せない虚勢を張って生きて来たので心配して訪ねて来る友達にもつい「もう平気だ」という素振りを見せてしまう。
誰かに弱みを見せ、縋ったり、喚いたりしたらどんなに楽なことだろう。
泣きたくても泣けない
狂いたくても狂えない
そんな1年を過ごして来た。
そう1年後のある朝。
玄関のチャイムが鳴り宅配便のやけに大きな声にイライラしながら対応した。
誰からだ?ん?花?
それは盟友ピッピからの1周忌を弔う大きな花籠だった。
「あいつ覚えてたんだ・・・」
お礼の電話をした。
奴は相変わらず。相変わらずの声だ。そして多くを語らない。
それは無言で「ヤッシ!そろそろロックしようぜ」と言ってるような気がした。
この歳になってこんな言葉を使うのは気が引けるが俺たちの世代がやんちゃしてる事の言い訳に使ってた言葉だった。
その時はただカッコつけてそう言ってたんだが、もう妻がいない今、カッコつける必要がない今、本当の意味でのロックがわかって来た気がする。
実はこのブログは妻に嫌がられていた。正直怒られた事もある。
暴露的な文章でも妻に気を使って弱い表現をしてきた。
その妻がいない今、俺の胸にある想いが沸々と湧いてきた。
ロックは反体制である!という事だ。
元来アウトローな俺だ。もう怖いものなしで嫌いなヤツ。どうしようもなく悪いヤツ。汚いことして私腹を肥やしているヤツをぶっ飛ばしてやりたい。
ところが俺はこの不自由ば身体だ。実際にぶっ飛ばす事は出来ない。
だが俺にはこのブログがある。
このブログを使って周りにいる(いた)悪い奴を徹底的に叩いてやる。
こうして書くとまた俺の文章をあいつは無断で引用してYouTubeにあげて小遣い稼ぎする気なんだろうな。こいつももう許さねえからな。
きっと天国で妻は「あんた!良い加減にしなさい』と怒ってるんだろうな。
でも妻よ。これが俺なんだよ。
もう歯止めは効かない。
身に覚えのある奴は震えて待ってろ。
