ブログネタ:何をやめればお金が貯まると思う?
参加中好きでも嫌いでもない。つまりは興味の対象外。
しいていえば、どうしてこんなに興味が持てないのだろう……という意味でしか興味がございません(笑)
それでも見に行った理由は、彼の最高傑作と言われている作品「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が来たので、一度は見にいっておこうかな、きっともう出てこないだろうな。というノリです(笑)
なんですが……やっぱり……な感じでした。
正直、おもしろいなーとも、感動もほとんどなく、純粋にいいなあとも思えない。
構図なんかはうまいなあ……とは思いましたけど。それだけ……みたいな。
正直、ここまで何も感じさせてくれない教科書に載ってる画家ってそうそういない。
ここまで何も感じさせてくれないと、どうしてなのだろう?と、考えたくなり、その理由を色々考えます。
私は近視なので、奥にすぐ視点がいかないからなのだろうか……とか。
→これは関係あるかも。「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」は、奥に視点を持っていくと、神気みたいなものを感じたような気がしました。よくわからないけれど、澄んだ…遺跡なんかで感じられそうな感じです。
あと、実際西洋人と日本人では、構図で意識するポイントが違うとかも聞きました。
日本人は比較的平面的だったかな?だけど、西洋人は奥行きのことを常に考えているみたいなことを聞きました。
彼が使っている色は波動の低い色が多く、波動が高い私とは引き合わないのかなーとか。
タヒチで描いた絵はそんなに認められなかったみたいで、その絵を認めさせるために、出版までしたみたいなことが、美術館の解説に書いてあったのですが、そういう彼の姿勢とか。
→正直、うーんだと思いました。私は、絵って、見て感じてもらって、いいかどうか、好きかどうか、まあ、認めてくれるもしないも、絵を見てもらう人の自由だと思うので。そこまですることに対して引きました。そして、そんな人間性が私とはあわないのかなーとか。
あと、絵に書いてある題材に意味付けしすぎなんじゃないか……とか。
(意味を言い出すと、面白かった現代アーティストでもとたんに面白くなくなったりします。全てに意味を求める人もいるので、そういう人をだまくらかすには意味付けは有効な手段だとは思いますが……意味があっても面白いものは面白いし、意味がなくても面白いものは面白い、それ以上でも以下でもないと思います)
同じく、ゴーギャンに感動を覚えなかった人の意見
「結局、彼は絵が描けて幸せだったんじゃない?幸せなものはつまらないと思うから」
これも同感!小説だって人が悩んだりしているから面白い部分があると思う
まあ、そんなこんななのですが、考えてももちろん答えは出ず……
余計に、どうして興味わかないんだろう……という思いばかりが膨れあがり、なんと、もう一回ゴーギャン展を見に行ってしまいました。(どんな感動した画家でも、会期中に二回も足を運んだことなんて実は私は一度もございません)
二回目は、前回の反省を踏まえ、意識的に視点を絵の奥に持っていくことしました。
そのことを意識して見ると、新たに見えてきたことがありました。
印象派っぽい絵を描いていたときは、絵が自動的に視点を奥に連れていってくれたのですが、
タヒチから帰ってきたときは、かなり能動さが要求されるような気がしました。
絵は、絵が手を取って自動的に奥には連れていってはくれない。自分の目を積極的に動かして奥に行こうとしないと、奥の様子を探ることができにくいというか……
まあ、これが野生というものなのかもしれませんが……
野生動物は受動的であるだけでは生きていけないと思いますし……つまりは能動性が求められる気もしますし……
私、ゴーギャンについて書かれた本はひとつも読んだことないのですが、
かなりオレオレな人だったんじゃないだろうか……
相手に合わせるようなことをしないというか……お前が動けよ!みたいな……
だから絵も認めてもらえないし、見てる人が動かないといけないような絵を描いているんじゃないのかなあ……
人に認めてもらうには、相手に合わせる必要があるんじゃないかなあと思います。もしくは、そういうのを認めてもらう人達の中にいけばかなり楽に認めてもらえるのですが……
(言い続けて、力押しして相手に認めさせるということも出来ると思いますが、パワーも時間がかかり、楽なものではないと思う。)
のくせ、人に認めてもらいたいという気持ちは人一倍で。
だから、自分の絵を認めてもらうために本を出版したり、
絵のモチーフの意味を定義したり……(絵に描いてあるもの全てに意味づけすることで人に認めさせようとしているのかもしれません。仕事でもクライアントを納得させるため、意味を作れと言われる)
あとこのタイトル「我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか」も人に認めてほしくてつけたものなのかも。これは、確実に人の気を引けるタイトルだと思うので。彼はもしかしたら、そういうことをわかっていたのかも。絵のモチーフにも言葉のむなしさを象徴しているものもありますし。
でも、いくら意味づけされても、私にとって作品本体に力がないから、あまり説得力がないというか……
意味づけされていることに価値を見いだす人は別なのでしょうが……
と、まあいろいろと気づきはあったのですが、やはり彼の絵から感じるものはなく……なのでした。
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なんか、とりとめのない日記ですが……
まあとにかく、
何かを手に入れようと思うとき、その手に入れようという思いを捨てるというのを方程式とするならば、
ゴーギャンは「認められたい!」と思う心を捨てるべきだったのかもしれないなあと思いました。
(真実の彼の思いははどうだったのかわかりませんが……)
以上、ゴーギャン好きの方々すみませんでした……
もし、よろしければゴーギャンのどの部分が好きなのか語っていただけると、今後の私のためになると思うのでよかったら、コメントくださいませ。
ちなみに、高校時代の美術の担任は、ゴーギャンは美術の世界い入るきっかけになるほど好きで、色彩や人間に心惹かれてるらしい。私にはよくわからないけれど。