「そろそろお盆だなー」って思い始めたくらいから、色々感じたこと。

今年二月の終わりに親父が、たった半年の短い、とても短い闘病を終えて、息をひきとった。

その病気の兆候は、五年くらい前にあったことを、覚えている。

もともと少食だった親父が、さらに食べなくなり、「胃のあたりがしみる」と言うようになったと母親から

聞いたのは、確か大学三年の頃だった。

その学生の頃は、“家族のちょっと一般的ではない事情”にすごく辟易していて、一年に一回も実家に帰ら

ない・家族から電話やメールがきても返信しない、なんていう放蕩息子だった。

でも、親父に対しては、小さな頃から(よそのお父さんとなんだか違うけど、すごいなぁ)という気持ちを

抱いて、祖父母の法事やなんかのタイミングで断片的に聞こえてくる話を子供ながらに聞き耳を立てなが

ら、 “家族のちょっと一般的ではない事情”に辟易しつつ、(よそのお父さんとなんだか違うけど、すご

いなぁ)という二つの感情の間で揺れ動きながら成長して、その学生の頃は、世間がほんの少しだけ垣間見

え始めたこともあって、ちょうど辟易のターンー自分はややこしくない道を歩いていこうーだったんだと思

う。


母親からの不安な知らせと、(まぁ久しぶりに帰ってみるか)という気持ちから実家に帰った。「なんか、

胃が痛いんだって?」と親父に投げ掛けた。親父は「そうやな、キリキリするな」と言いながら、太田胃散

の缶を取り出して、中に入っている小さなビニール製のスプーンで、口に粉を放り込んだ。

次の日、僕と姉は外にいったついでに薬局へ行って、親父の症状を薬剤師に説明して、太田胃散ではない胃

薬をだしてもらった。そして家に帰り、居間のいつもの場所にいる親父に渡した。

きっと母親も姉も、そして僕も怖かったんだと思う。いま考えれば、どう考えたって、あんなに頬がこける

まで物が食べられなくなるなんて、尋常じゃない。ごまかしながら胃薬を飲んだって、症状がよくなるはず

なんて、ない。

―なんだかこのへんの時期のことは、うまく書けないからとばすー




去年の八月、親父は手術を受けた。大手術だ。

手術が終わった後、手術室から出てきた医師が言ったー切った部分、見ますか?―

あれだけ気丈にしていた姉も青ざめた顔で「私は、見れない」と言ったし、母は手術室から離れた渡り廊下

でひとり手術がもたらす結果の恐怖と闘っていたので、僕は「俺が見てくるよ」と姉に声をかけ、医者の案

内する方へ歩いた。そのとき姉の夫は黙って頷いて俺についてきてくれた。あれがどれだけこころ強く、勇

気づけられたか、僕はまだ彼に言っていない。

親父の体から切り取った<それ>は、とても大きかった。

ーここもうまく書けないー




<それ>を見せながら医者がいったのは、すべては取りきれなかったということ。

動脈にまとわりついたモノは、危険すぎてとれなかったということ。

転移がある可能性が高い、ということ。

ーここもうまく書けない。あの頃のことはまだ、整理ができていないんだな、やっぱりー






とにかく最近ずっと、「そろそろお盆だなー」って思い始めたくらいから、親父ががんになってから息をひ

きとるまで、いや、ひきとる前のことまで色々思い出し、感じている。



墓は京都にある。

盆に母親と、彼女と三人で京都へ行った。

とても暑かったから、墓の前で泣かずにすんだ。

三人でご飯を食べたり、レンタカーでドライブしたり、とても楽しくて、ずっとこんな時間が続けばいいの

に、と何度も思った。



でもきっとそれ以上に、母親は楽しくて、そしてこの時間が終わってしまうことへの寂しさを、同時に感じ

ながら過ごしていたに違いない。そしてこうしていま、また遠く離れたところで日常に戻って生活を再開し

て、夜も眠れない不安に襲われているに違いない。



そして愛する彼女は、僕の気持ちと母親の気持ちのどちらもを繊細に感じながら、楽しさともの悲しさを抱き

ながら、明るくふるまってくれていたに違いない。酷なことをさせてしまっていたと思う。




まだ整理がつかずに書けていないときのことも、いまここに書いたこともすべてひっくるめて、悲しい。
寂しい。
不安だ。
怖い。

そして何より、


自分が情けない。