皆様、お疲れさまです。
先日、仕事先で重量物を相応に処理する羽目になってしまい、井上昌己の「Yell!」を脳内再生しながら何とか乗り切りながらも、学生時代から痛めていた腰の古傷がどことなくウズウズして再発してしまうような感じだったので、当時の理不尽な指導等を私に対してしてきやがった輩に対して憎悪の念も再発しながらも鍼治療をして、ようやくまともに動けるようになった「名も無き一受験生」でございます。
 
今回は以前に某SNSにUPした日記をリバイバルしたものを、この場でUPさせていただきたいと思います。
 
<事案の概要>
以前、「愛の流刑地」というドラマの終盤近辺において、岸谷五朗が演じていた某被告人が、法廷において、「オマエらは、屁理屈ばっかりだ。俺は俺達の愛を知ってもらいたいんだ。フユカ〜!」みたいなことをホザいて暴れていた場面がありました。
 
<私見>

率直な話、

非常に厳しい言い方で誠に申し訳ないですが、上記の場面を偶然に目撃したときから、

【アホかいな(笑)<「刑事コロンボ」の「権力の墓穴」におけるおとり捜査に協力した窃盗常習犯風>、屁理屈をホザいてるのは、むしろテメェの方であることは明らかじゃね? そんなに愛だのフユカだの叫ぶ等したいんなら、そんな超絶お堅いとこじゃなくてテメェのコミュニティ等で思う存分やってろよ バーーーーカ(某詐欺撲滅系「A」&「K」youtuber、某格闘家兼おふざけ炎上系「S」youtuber等 風

等と即座に思わずにいられませんでしたね。

というのは、その被告人の主張自体が、憲法76条1項の「司法権」の行使の対象とは到底なりえないという点で、道理に適っていない(→屁理屈である)ことは明らかだからです。
即ち、「司法権」とは、具体的な訴訟について、法を適用し、宣言することによって、これを裁定する国家の作用をいいます。そして、上記の「具体的な訴訟」とは、裁判所法3条の「一切の法律上の訴訟」と同義であると解されています。ここで、「法律上の訴訟」とは、①当事者間の具体的な権利・義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって(いわゆる「主観訴訟の要件」)、②それに法律を適用することにより終局的に解決することができるもの(いわゆる「終局性の要件」)をいいます。
これを上記の被告人の言動についてみると、被告人のフユカという女性に対する愛といったような事柄は、①当事者間の具体的な権利・義務ないし法律関係の存否に関する紛争とは思われないですし、②それに法律を適用することにより終局的に解決することができる紛争とも思われません。
それゆえに、上記の被告人の主張の内容は、上記の①主観訴訟の要件や②終局性の要件が欠けるので、「法律上の訴訟」には当たらず、「司法権」の行使の対象にはなりません。そのため、上記の被告人が、司法権を行使する主体である裁判所に対して、上記の言動をすること自体が明らかに「お門違い」であると認められます。
 
なお、上記の事件については、刑法上では、いわゆる「被害者の同意」により当該行為の違法性が阻却されるか否かが主要な争点になると思われます。
ここで、いわゆる「被害者の同意」が成立する要件は、
①承諾の内容が、被害者が処分可能な個人的法益であること
②承諾自体が有効であること 
③承諾が明示的または黙示的に外部に表明されたこと
④承諾が行為時に存在したこと
⑤承諾による行為が、被害者の承諾があることを認識して行われたこと
⑥承諾による行為が、その方式・程度において、社会的相当性を有すること
です。
これを上記の被告人のしでかした行為についてみると、ベッド上でイタしているときに被害者が発した承諾は、社会通念上、あくまでも性的趣向の一環として捉えられることを勘案すれば、男女間の快楽等を追求するために相手の生命・身体に対して過度な危害を加えるような行為は、その方式・程度において社会的相当性を有するとは認められない、と思われます。そのため、上記⑥の要件が欠けるので、いわゆる「被害者の同意」は成立せず、当該行為の違法性は阻却されません。
強いて乱暴な言い方をすれば、
【テメェらの男女間の快楽を罪に問われることなく思う存分追求したいのであれば、事前に相手の一筆をもらって記名押印をした書類等の証拠をきちんと揃えておくなり、どこぞの得体の知れない無人島等でやればいいんじゃね?】
ということになるのではないか、と考えます。
 
 
というわけで、特に学生の皆さん、こうしてみると、憲法や刑法もなかなか面白いでしょう?
その土台になるのは、義務教育で習う社会科の知識(歴史関係も当然に含まれます)であることはほぼ異論がないと思われますので、それなりに興味をもってきちんと勉強しておくに越したことはないですよ🖐
断っておきますが、マンガやアニメやゲーム一辺倒になってしまうと、ほぼ確実に、薄っぺらでどことなく片端な知識しか身に付きません。そういったものは、あくまでも「自分の脳内で具体的なイメージをもてるようにするためのツールの一つ」であるにすぎない、という感じで位置付けておくのが妥当ではないかと考えます。