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<具体例6>

「学校・大学の勉強なんて(社会の)役に立たない・生産性がない」

 ↑

こういう類いのことをヌカす奴もたまにいますね。

 

 

※愚劣だと評価せざるをえない理由・私見※

 

実際に、小学校ないし高校の授業で習ったことが、社会に出た場合に、果たしてどの程度役に立っているのでしょうかね?結局は「人それぞれ」ではないでしょうか。ましてや、大学で学んだことにいたっては、社会の役に立たない要素があることは何ら不思議なことではないと考えます。

なぜなら、大学のそもそもの原型・本質は「真理探究の場所」、もっとかいつまんだ表現をすれば、

【社会の役に立たないことをただひたすらに追求する場所・空間】

だからです(古代ギリシャの哲学者達がいい例でしょう。小難しい表現をすれば「知の超越論的形式」というそうです)。

俗っぽくて乱雑な表現をするならば、

【「俺様は一般社会の愚民どもができないようなこんな高尚なことをしているのだぞ!スゴイだろ!ガハハハハハ!」といったノリで紙の上や自分の脳内等をフル活用して遊んで、一種のマスターベーションをするような場所・空間】

である、ともいえるわけです。

事実、

【アルキメデスは数学が社会の役に立つこともあることを知って、大いに失望した】

という、非常に興味深いエピソードもありますし。


 

別の言い方をすれば、学問の本質は

【ある物事に対して、ふと立ち止まって自分なりに考えて様々な角度から分析・検討すること】

に求められます。

そして、たまたま自分がふと立ち止まって考えて分析・検討しようとしている対象が、必ずしも社会の役に立つようなこと・生産性があるような事柄だとは限らないことは十二分に考えられるわけです。

 

そういう意味では、学校・大学の勉強が社会の役に立たない・生産性がない要素があることは、「当たり前」のことなんですね。

 

「社会の役に立たないからこそ面白いのではないか」という見方もできるでしょうし、「現在では一見役に立たないように見えるが、将来役に立つ可能性も否定できないのではないか」という見方もできますし、「一見役に立たないように見えても、自分なりに役立てるような努力なり工夫なりをしているのか」などという突っ込みも可能ですが。

 

また、上記のようなことを軽々しくホザくような手合いは、大概、

【勉強や学ぶこと自体が嫌いで、自分が勉強ができない・成績が上がらないことをそのような言い回しでもってごまかしている】

というパターンが非常に多いように思われます。

 


ちなみに、私の知り合い(法科大学院(ロースクール)出身、かつ、複数の大学で学んだことのある経歴の持ち主)が、ある会社の就職試験の面接で、その会社の社長から

「あなたは社会に出るための準備運動を●回もしているよね」

みたいな珍妙なことを言われたそうですが、上記の理由により、その社長の発言は妥当でないと考えます(小学校ないし高校の授業で習ったことが、社会に出た場合に、果たしてどの程度役に立っているかは、結局は「人それぞれ」でしょうし、大学で学ぶことは社会の役に立たない要素があるのはある意味「当たり前」の話なので)。

それに、法科大学院(ロースクール)に進学する大概の者は、法科大学院(ロースクール)に関しては、社会に出るための準備運動というよりは、あくまでも「司法試験の受験資格を得るための一つの手段」としか位置付けていないのではないかと。そういう意味では、上記の社長の発言はピントがズレているように思われます。

 


これはあくまでも個人的な感覚ですが、私が学生時代に好き・得意だった科目は「社会」「数学」ですが、特に前者(社会)は大いに役に立っていますね。一般常識を学ぶ礎になりますし、特に法学・政治学の基本中の基本部分を構成する要素が強いので(法学・政治学≒歴史学といっても過言ではない、とハーバード大学ロースクール修了の弁護士が仰っていたほどですし)。法律関係・司法試験関係の勉強の礎にもなることは言うまでもありません。

また、後者(数学)については、「間接的」に役に立っていることは否めません(日常生活ではせいぜい加減乗除くらいで済みますし、難しい計算ならば、大概はコンピューターや電卓で対処できますし)。つまり、「問題解決能力の養成」にそれなりに役に立っています。

特に高校レベルの数学になると、ある問題の正解に達するまでに、複数のルートがある場合も少なくないわけです。その場合は、「このルートでの回答は難しそう・時間がかかりそうだから、このルートで回答するのが妥当ではないか」などと、自分なりに問題解決に関する分析・検討ができ、相応の論理的思考力や分析力や問題解決能力が養成できるんですね。社会で生じうる大概の問題は数学のように厳密な正解のある問題ではないですが、上記のような能力はそれなりに役に立ちます。

 

というわけで、特に学生の皆さん、自分にとって苦手な勉強があるとしても、一通りのことは学んでおくのが妥当ではないかと考えます(試験で満点またはそれに近い点数をとる必要まではないでしょうが)。実際に社会に出たときにいつ役に立つかわからないですし、自分の教養を高めるという意味での「自己投資」だと捉えることも可能ですし。