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かなり前から数多く見聞きしていて、かつ、個人的に辟易して「愚劣ではないのか」とまで思わざるをえない発言がいくつかあるので、今回はそれについての私見を展開したいと思います。

 

 

 

<具体例1>

「勉強が好きなんですね」

 ↑

他人の経歴等の上辺っ面だけを見て、軽々しくこういう類いのことをホザく人間がたまにいます。

 

 

※愚劣だと評価せざるをえない理由・私見※

少なくとも、私は、元々、数学や社会等の勉強は好きですが、生物や美術や技術家庭等の勉強は嫌いです(必ずしも勉強全般が好きなわけではありません)。なので、美術等ができる人や手先が器用な人等に対しては純粋に尊敬せざるをえません(自分にない要素・特長を持っているわけですし)。

私はただ、あくまでも、「後々後悔しない確率が低い」であろう、という観点から、消去法的に意思決定をして、自分のやりたいことを淡々とやっているだけの話ですので。

 

また、皆さんも、勉強していて、自分にとって「相性の良い・興味の持てる分野」ってそれなりにありませんか? つまり、「勉強が好き」な要素は、(全ての分野に関する勉強が嫌いな人を除いては、)大概の人は持ち合わせているのではないでしょうか。そういう点では、上記の発言は、ピントがズレているのではないかと思われます。

 

それに、「自分は机の上の勉強は嫌いだ」という趣旨ならばまだしも、「自分は学ぶこと自体が嫌いだ」という趣旨で上記の発言をしているのならば、その発言者はロクな仕事はできないのではないかといわざるをえません。なぜなら、職に就いてからも、勉強しなければならないこと・学ばなければならないことは少なからずあるからです(まっとうな社会人の方ならば、こういう趣旨のことは共通して言っています)。ましてや、専門職の場合は、資格を取得してからの方が勉強することは多いですし(まっとうな専門職の方ならば、こういう趣旨のことは共通して言っています)。

 

更に、司法試験等の、いわゆる難関と呼ばれる試験に比較的上位でまたは短期間で合格するような人になればなるほど、「喉がかわいたから水分を補給する」のとほぼ同次元レベルで一定の知識をインプットして、「息を吐く」のとほぼ同次元レベルで知識をアウトプットして、軽々と比較的良い点数をとってしまうような凄まじいタイプも多くなるのが実情です。

つまり、

【自分である程度興味をもって好きで勉強しているタイプの人間くらい、なんてことはないし、ある意味カワイイ部類に入る】

んですよ。

そういう意味でも、前記の発言は尚更愚劣に感じざるをえません。


 


<具体例2>

「あいつは勉強ばかりしている」

 ↑

このような、軽薄きわまりない事実認定を平気でするような奴もたまにいますね。

 

※愚劣だと評価せざるをえない理由・私見※

私は勉強以外にも、食事をしたりトイレに行ったり、たまにはカラオケやスポーツ観戦等もしていますよ。

そもそも、勉強「ばかり」のメルクマール(判断基準)ってなんですか?? ●時間以上勉強すると健康に害が出るとか他人に危害が及ぶとか公序良俗に反するなどという客観的な資料なりデータなりがあるのでしょうかね。結局は、特に上記の事柄については、その人の「主観」に左右される要素がきわめて強いのではないかと思われます。極端な話、その人がかなりの勉強嫌い的なタイプの人間ならば、たかだか数時間程度の勉強をした場合ですら、「勉強ばかりしている」と評価されかねないのではないでしょうか。そんなファジーきわまりない判断で、他人を説得できるでしょうか。

 

また、仮に勉強「ばかり」しているとしても、そのことが、果たして、他害性を有していたり、公序良俗に反したりする性質の行為なのでしょうか? 結局は「自己責任」の範囲内のことではないかと思われます。そうだとすれば尚更、あかの他人がとやかくケチをつける事柄であるとは到底思われません。



 

<具体例3>

「おまえ・あいつはエリートだから…」

 ↑

こういう妙な「ラベリング」じみた内容のことをヌカすような奴もたまにいますね。

 

※愚劣だと評価せざるをえない理由・私見※

そもそも、エリートの語源を踏まえた、エリートの究極的な本質は、

【自己犠牲的な精神の下、他人や地域社会や国家のために尽力できること】

に求められます(こういう類いのことは、まっとうな政治学関係の知識の持ち主ならば、ちゃんと教える事柄です)。

にもかかわらず、たかだか(特に学生時代の)一時点でのペーパーテスト・アチーブメントテストの出来だけを断片的に見る等して、軽々しく上記のようなワードを持ち出して自己評価したり他人をラベリングしたりしているような奴は、ほぼ確実にマユツバもので、かなりの確率で「差別主義者的な人間」だと推定しても差し支えないと考えます。

要は、そういう類いの人間は、エリートどうこう以前に、

【たかだか(特に学生時代の)一時点でのペーパーテスト・アチーブメントテストの出来だけを断片的に見る等して、やたらと自分や他人の序列をつけたがる自分自身が好きなだけ】

であるパターン(いわゆる「差別主義者的ナルシスト」の一形態)が非常に多いといえるのではないか、と考えます。

某大型掲示板の「学歴板」等で等号・不等号を用いる等して不毛な争いをしていたり、YouTube等でやたらと他人の経歴を気にして妙に煽るような真似までもしている至極ダサくて滑稽な輩は、そのわかりやすい例ではないでしょうか。

 

だいたい、

【たかだか(特に学生時代の)一時点でのペーパーテスト・アチーブメントテストの出来等の表面的なことだけでは、当人が、真に自己犠牲的な精神の下、他人や地域社会や国家のために尽力しているかどうかなんて判断できるハズがない】

のですよ。

それに、真の意味での「エリート」は、自分がエリートかどうかなどと判断する余裕もないほどに多忙ではないかと思われますし、自分自身でそういうことはまず言わないと思います(そういうタイプの比較的まともな人間ならば、自己評価なんてあまりあてにならないことや、自己評価に捉われてしまうと思わぬところで足下をすくわれるリスクが発生することも認識・理解できるでしょうから)。