男の料理
本日のレシピは目玉焼き。
画像はピーマンが己の本質を見極め、自分がたかがひとつのピーマンであるという事実に気付きながらも、それでもなおピーマンであることを誇り、ピーマンで在り続けようとするピーマンの図である。
わたくしが帰宅すると、ソファーで妻はおやすみタイム。連日の激務で疲れているのだろうか。
理由などどうでも良い。休む時は休むのが良い。
持続可能でより快適な生活を送るという観点から、妻の発案により
「寝ている人間は余程の事が無い限り起こしてはならない」という鉄の掟が我が家には存在する。
本日もこの掟に則り、おやすみタイムが最優先され、
男の料理が発動するのだ。ピキーン!
まずは基本に忠実に冷蔵庫を物色。卵とベーコンを発見。野菜室にはピーマンが誇り高く鎮座している。
冷凍室には豚肉、牛肉があったが無視。
なぜなら解凍するのが面倒だからだ。
となると、
これらの食材から導き出されるメニューは自ずと
目玉焼き
という回答にたどり着く。
朝食感。
しかしそれは余りにも短絡的過ぎる決めつけに違いない。
人類の歴史の中で、目玉焼きが焼かれる様になったのはフライパンが発明された後の世界だ。
フライパン以前、フライパン以後で世界は大きく分断される。
物心ついた時には既にキッチンにはフライパンがあった。
雨の日も
風の日も
キッチンにフライパンが無い日はなかった。
そういった我々世代だから当然のように目玉焼きを焼くのだ。
そこに時間という概念は存在しない。
重要なのは美的センスである。
味などどうでも良い。
センスを磨く為、先週も美術館に行ってきたが改装中で閉まっていた。
がその向かいのプラネタリウムで挽回。
やはり重要なのはそういった美的センスなのだ。
味などどうでも良いのだ。
では調理スタート!
美とは規則性の中に存在する。
ベーコンをミリ単位で正確に敷き詰め、卵を美しく割る。
べちゃ。
黄身が若干崩壊したような気がするが全て計算だ。
山を高く見せるためには、谷を深くすれば良い。
こんもりと美しい黄身の山を演出するために、
わざとべちゃーっと低い部分を作る手法である。
固まったらこんな感じだ。黄身の谷から若干外に流出しているが気にしない。
残りのベーコンとピーマンを焼く。ピーマンは細切り一択だ。
理由はそのほうがスマートだからである。
ちょっと物足りなかったのでシャケをチンしてあと乗せ。完成。
コップが3つもあるのは次の男(次男)へ対してのいやがらせである。
次から次へとコップを出してはほったらかしで去ってゆく次の男。
反抗期なので普通に注意しても聞かない。
それならばと、
わたくしも反抗することにした。
反抗期の息子VS反抗期の息子に反抗する「とう」
息子にキレられて終わるパターンを予想。
※「とう」についての記事はこちら
各々席に着き夕食タイムが始まる。
やはり想定どおりガン無視を決め込む次の男。
とう 「どう?(ドヤ顔)」
次 「…」
とう 「旨すぎやろが!?(ドヤ顔)」
次 「…」
とう 「マジで!?」
次 「…」
とう 「感動のあまり言葉が出えへんのか」
次 「…」
とう 「それは仕方のない事ですね。なぜならそれはあまりにも素晴らしい料理を目の前にしているのだから。あなたが涙のあまり前が見えなくなるのも無理はありません」
次 「ンな訳あるか!!!」
キレられた。想定どおり。
さぁ運命を切り開くのだ。困難に立ち向かうディズニープリンセスのように。誇り高きピーマンのように。
合掌。




