ひとり暮らしの風景、時々、マーケティング的映画論 -5ページ目

ひとり暮らしの風景、時々、マーケティング的映画論

東京一人生活の退屈な日常風景と、映画論なんておおげさでえらそうな話ではない、映画の感想を、日々淡々と…。

先日出かけたばかりの京都市ですが、コンビニの深夜営業の規制 の方針が打ち出されました。地球温暖化防止と景観保護の観点です。京都市中心部の景観保護の傾向は、年々強まる傾向です。聞いた話なので真偽のほどは不確かですが、限定された場所だと思いますが、今後建設する民家も、木造建築しか認められないというのです。


確かに京都は昔に比べると企業論理の無秩序な色と明かりで、ずいぶん安っぽい街になっているような気がします。欧州の古い街並み、あるいはカナダのケベックのような街と比べても顕著です。それでも夜の暗さは、東京とは比べ物になりません。ちょうど今年の3月、雪の日の御所近辺は、ただただ美しく、凛とした佇まい、高い街並みの質を感じました。住んでいる人には反論があるかもしれませんが、景観を守るという強い姿勢には賛成です。ついでにパチンコ屋や風俗も規制してほしいものです。市内全域である必要はありません。ケベック市が城壁で区分し、その中を保護しているように中心部と、有名寺院の周辺だけでもいいと思います。


でも埼玉県や神奈川県に関しては、そう簡単にはいかないのではないでしょうか。次々に表明する現象に呼応し、大手コンビニが声をあげ始めました。ローソンは店内照明にLED使用を打ち出し、セブンイレブンはそのことによって削減できるCO2の規模という数字を根拠に、反対の声をあげています。


確かにコンビニができる前は、私たちは大して不自由とは思わず、暮らしていました。しかし当時とはライフスタイルも、家族構成も変化しています。もちろん夜働かなければならない職業は、当時もありました。でも家に帰れば家族が代わりに買い、作ってくれた食事が用意されていたのです。近所づきあいもありました。高齢者の単身世帯も今ほどは多くなく、家の近所に便利な店がなくても、スーパーまで買出しに行ってもらえました。もっとも今より地域の商店街が充実していました。高齢者が深夜買い物をしないだろうと思われるかもしれませんが、立地にもよるでしょうが、深夜営業をしないことで採算性がとれず、閉店する店舗も中には出てくると思います。コンビニは原則フランチャイズなので、本部が各店の採算性の維持を守りきることはできません。


すべてを失ってから、その補完要因となっているものを排除するという発想はどうなのでしょうか。


ただ、このままでいいということではなく、コンビニもビジネスモデルを修正すべきですし、景観や環境問題には最大限の配慮をすべきです。本当の意味での単身者の駆け込み寺のような店…本当に困ったときに助けてくれるサービスモデルはできないのでしょうか。

仕事で大阪に行った帰りに、京都へ。夕方からの待ち合わせまで時間があったので、カフェで仕事でもと思ったのですが、駅ビルはどこも込んでいて、気が変わりました。どこか名所に行ってみようと。


待ち合わせは京都駅です。その時間まで2時間ありません。どこに行こうか…駅そばというと本願寺を思い出しますが、ピンときません。まるでおのぼりさんのように、駅前の大きな地図を見ました。すると、三十三間堂 が思いのほか近いじゃないですか。さっそくタクシーに乗りました。5分くらい、ワンメーター640円の運賃です。さすが京都です。フトコロが深いです。東京駅から640円ではどこにも行けません(そもそもタクシー代が上がっていますから)。


朝、東京では大雨でしたが、京都の午後は好天に恵まれ、平日の三十三間堂も結構込み合っていました。遠足か修学旅行かといった子どもと、外国人旅行者が多かったです。


庭も有名ですが、圧巻は堂内ですね。おびただしい数の観音像の中に国宝も数多く。一般の写真撮影は禁止ですが、確かJR東海の「そうだ、京都、行こう」のシリーズでも紹介されていたのではないでしょうか。拝観料は600円必要ですが、一見の価値ありです。多分私は初めて入ったような気がします。


下は外観です。


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三十三間堂からすぐにはタクシーに乗らず、ちょっと歩いてみました。以前に結婚式のために行ったことがあるホテルが、知らないうちに「ハイアット・リージェンシー」ブランド に変わり、いい感じに変貌していました。外階段から入れる「トラットリア セッテ」でお茶をしました。一歩間違えれば、ファミレスになりかねない感じですが、一歩間違っていないので気軽に入れるリッチカジュアルな感じを保っていました。


向かいの博物館の外観もいい感じです。


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車を撮ったわけではありません。久しぶりに市バスに乗ろうと、バス停で待ちましたが、やってきたバスは乗客がはみ出そうなほどびっしり込んでいました。東京では電車がパンパンはみますが、バスがこれほど込んでいるのはあまり見たことありません。結局、リージェンシーからまたタクシーに乗ってしまいました。


待ち合わせ後、伊勢丹の最上階の美々卯 へ。大阪が本店のうどんすきの有名店ですが、松花堂弁当がおそろしいボリュームで、しかも安くて感動しました。4種の料理に刺身、てんぷら、ご飯、ちりめん山椒、大きな湯葉入りのうどん、デザート4種がついていて、確か1人2,700円だったような…。東京店でも同じメニューがあるのでしょうか?


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バルト9で深夜に観てきました。平日夜にもかかわらず若い女の子の率が妙に多く、ちょっと不思議な感じ。ネットニュースにも20代の観客が多いと書かれていましたが、当たらずとも遠からず。でもどうしてでしょう。妻夫木聡くんはともかく、主演の佐藤浩市さんも戸田恵子さんや、チョイ役で引っ張り出されていた三谷組といってもいい面々も、決して若い子の受けの良い面子とは思えません。ほんのちょっぴり出ていた香取慎吾さんでしょうか…。


実は意外と小日向文世さんが若い女の子に人気なのではないかと思うのです。単なる勘ですが、帰りのエレベーターで会話していた明らかに20代前半とおぼしき女性が、彼の演技を褒めていました。


非現実的だけど、下品ではない、三谷幸喜さん独特のコメディラインは嫌いではありません。でも個人的には有頂天ホテルの方が面白かった。


この作品は、やくざの親分の愛人(深津絵里)を寝取った若い男が、命ほしさに知りもしない殺し屋を連れてくる約束をし、探しても見つからないから、売れない役者(佐藤浩市)に映画の撮影と思い込ませ、殺し屋を演じさせるというのが大方のストーリー。冒頭は大丈夫かいな、と思うくらい、冗長で、最後もやや飽きてきた感じだけど、断然面白かったのは、佐藤浩市さんがやくざの元を訪れるあたりから。やっぱり上手い役者さんはどんな役をやってもそれなりにはまります。


脚本も上手いと思います。よくこういう発想、といってもそれほど奇をてらっていたり、難解であったりするわけではないのだけど、考えられそうでなかなか凡人には考えられないストーリーの組み立ては見事だと思います。でも後に残らないのです。三谷さんの脚本は舞台向きだと思います。役者がみなどうしてもオーバーに演じる必要があり、映画にしてしまうと、どこかチープに見えてしまうのです。彼の作品で私の№1は、やっぱり「オケピ!」 です。もっともこの人の舞台は大人気でチケットがとれず、観た作品は本当にわずかなのです。

スピード社 の水着を日本の北島康介選手が着用し、世界記録 を出したことで、東証一部に上場するゴールドウイン社の株価が上がっているらしいです。ロンドンでスピード社株は上がっているのでしょうか。そもそも上場しているのか、よくわかりません。でももし日本人の活躍がロンドン市場にも影響を与えているとしたら、皮肉ですね。だからといって、食品同様に地産地消などと野暮なことを書く気はありません。


ユーロ市場の好調の陰で、一時は存在感が希薄化していたロンドン市場がかつてのプレゼンスを取り戻し、活況を呈しています。要因はさまざまあります。ウィンブルドン現象と呼ばれた国際金融センター化により、イスラム金融の取り込みなど。でも地道ながらAIM(Alternative Investment Market:新興企業向け市場)に力を入れ、その中で日本が本来得意とするモノづくり企業の中小企業のIPOも推し進めたといわれています。また、国全体の中で金融業に携わる人口も多く、非常にポジティブに金融、投資というものが捉えられていることも、好調の要因だと思います。一方でロンドンをはじめ、欧州は環境問題への取り組みも進んでおり、安定的に世界のマーケットの信用を得られる素地を作っています。


日本では投資と投機の意味やニュアンスが取り違えられたり、曖昧だったり…。投資市場について、何か色眼鏡で見る人も少なくありません。確かに昨日も話題 になっていましたが、今、問題視されているエネルギー、食糧市場への儲ければいいという投機マネーの存在は由々しき問題です。地球のサスティナビリティを無視しているからです。サスティナビリティのある投資は、もっと推奨されるべきものと思います。


割れ窓理論による犯罪防止―コミュニティの安全をどう確保するか/G.L.ケリング
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一昔前、NY市長だったルドルフ・ジュリアーニ氏は、「ブロークン・ウィンドウ理論 」に基づき、治安を著しく向上させたと言われています。いわゆる落書きを消すこと、さらにそれに準ずる軽犯罪を取り締まる姿勢が、凶悪犯罪を減らすことにつながるという理論です。実際に私が初めてNYに行った1988年頃にも、他の合衆国の都市と比べると幾分マシに思えましたが、さらにそれから約10年の間に数回行くたびごとに少しずつ観光しやすい街、サイレンの鳴り響く頻度が少なくなっていたような気がします。私は学者ではないので、相関関係はわかりませんが、少なくとも何もしないよりは良かったのではと思います。


今、日本でも凶悪犯罪が増えていると言われています。恨みつらみや真の貧困から起こす犯罪は減っているかもしれませんが、他人には理由がわからない、また犯罪者そのものもとりたてて変わった人ではない、というケースは増えているような気がします。


件の理論と関連性があるかどうかわかりませんが、今の日本にとっての「落書き」というと、思い浮かぶのは迷惑メールの存在です。私は女性ですが、おびただしい数の迷惑メールが日々送られてきています。偶然だと思いますが、父と同姓同名の表記名から「妻を貸します」という類のメールが繰り返し送られてきた時には、不快を通り越して、あきれ果てるばかりでした(父はメールはやりません)。しかし迷惑メール業者は10万人にメールを送ったうち、1人でも反応があれば儲かるらしいのです。被害者である私たちは、たいていの場合無視して消せば問題は解決します。しかし今の職業に不満を持っている若い人の職業意識への悪影響、また実際に迷惑メールにかかわっている人たちの履歴や人生にとっての無駄な時間は消すことはできません。


しかし行政も、ケータイキャリアやプロバイダも、被害者視点でのブロックや取締りは検討しても、加害者を守り導く発想はありません。加害者の職業意識の健全化が、社会を変え、マジメに働いていても報われないと思っている犯罪者予備軍となりえる人たちの抑止効果にも、一役買うのではないでしょうか。


社会人は24時間の多くの時間を働くことに費やしています。その時間が孤独で報われないと日々感じていることは、人生に影を落とします。一方で社会にとって「落書き」以上にひどい「落書き」を垂れ流すことで利益を出し、そのことによる加害者本人の不幸に気づかない人もいるのです。大人たちは、そういうことも考えたほうがいいような気がします。