26日、フリーのキャスターである川田亜子 さんが自殺としたという記事をメディアが一斉に報じました。心を壊して、自ら命を絶った人を非難をする気はないですが、申し訳ないけれども興味本位で見てしまった最後のブログのコメント欄を読んで唖然としました。ほとんどがファンの方で「いつまでも愛しています」というような甘いメッセージがたくさん入っていました。
「いつまでも愛しています、好きです」 ここまでの表現は私も理解できます。メディアの向こう側の人にこういう感情は持たないけれど、亡くなった家族や友だちを心の中に思い続けることは、おかしなことではありません。でも現在進行形で「いつも笑顔でいてください」とか、まるで結婚のお祝いのように「お幸せに」とか、「がんばってください」とか、「また会いましょう」とか…。同じ人が書いたいたずらなのかと思うほど、似たようなコメントが並んでいました。さすがに今はブログサービスの計らいなのか、事務所の意向なのかわかりませんが、良識的に問題だと思われたようで、コメント欄は閉じられています。ブログ も一部消されているようです。
もちろんこれは亡くなった後のコメントであり、私はこれを見て、死生観が壊れているのではないかと、ぞっとしました。自殺への嘆きや無念さ、怒りは伝わらず、亡くなってもまるで笑って生き続けられるかのような感性の表現で。家族や友だちじゃないからできる表現と言ってしまえば、それまでですが…。フジテレビで小倉さんが「報道に携わる人として、なぜあんな死に方をしたのか」と言っていましたが、この意見が真っ当です。
私の知人には若くして無念の極みの中、病気で亡くなった方が何人かいます。また、私の家族は心をわずらい、役所に自傷他害の恐れがあると保護され、入院を余儀なくされました。今は退院し、ほぼ完治していますが、当時はどう向き合っていいのか戸惑いました。でも今、元気で生きていてくれることが、大きな救いになっています。
週刊誌で紹介されていた皇后の言葉を私は時にふれて思い出します。
「誰もが弱い自分というものを恥ずかしく思いながら、それでも絶望しないで生きている。そうした姿をおたがいに認め合いながら…」
私は別に皇室に深い思い入れはないですが、この言葉の持つ品性に感銘しました。心の奥深くにある苦しみ、生き抜くことの重さを感じました。
川田さんは直接的には誰も巻き添えにしなかったけれど、ただ自分が死ぬだけでなく、無理心中をする人や硫化水素で結果的に人の命まで奪う人も後を絶ちません。とんでもないことで、私は殺人とまったく同じ罪だと思います。殺人より卑劣かもしれません。日本人には切腹を潔しとした歴史もあり、もともと自ら命を絶つことに、比較的寛大です。宗教観の違いといえばそれまでですが、この死生観が個人的には腑に落ちません。ましてや、死と生のバリアを著しく低くした、今の一部の若い人たちの死生観には強い違和感があります。