上手く伝えられるかな?
伝えることで悩ませたりしないかな?
寝た子を起こすようなことにならないかな?
栗大福を食べながら、脳の50%でシステムの設計を考えながら書きながら、脳の50%で死んだ彼を心の中で質問攻めにしている。
<お前に伝えて欲しいって頼んでんじゃないかな?お前とその人にだけ通じ合えることがあるかもよ?>
これが彼の答えだった。
確かに!
同じような出来事に二夜連続して遭遇しているからそうなのかもしれない。
お盆やお彼岸の時期の私は、寝ているのか否かわからない状態で、一晩中ほぼ誰かと話している。母方の祖母、父の妹、仕事上の相棒だった男性、飲み屋でよくご馳走になったおじさん、知らない男の子や女の子・・・など。全て故人だ。
あなたは知っているんやね。
私に話し掛けられて驚いた。「やね」って関西の言い方だし、私に亡くなった関西人はいないはずだから。それは突然に声がしたのではなく、影が近づいて私に言ったのだ。その影は黒いとかどうとか表現できるものではなく、色がない。それでも影だってことだけはわかる。女の子?いや、女の子ってよりはもう少し大きく、女性まで大人ではない。子供以上大人未満かな。
柔らかくおっとりはしているが、強い意志や心根の芯を感じさせる・・・いや、何か達観しているようだが、生意気な感じはしない。人によっては真意を見透かされているようで、この女の子と話すのを嫌がる人もいるかもしれないと思った。でも私は全然嫌いじゃなく、寧ろ、あれこれ喋りたくなるような女の子だった。
わかってくれてありがとうって言ってくれませんか?
やっぱり関西訛りで、丁寧にお願いされた。
知ってるなんて言えないよ。わかってるなんて失礼で無神経なことも言えない。でも、少しでもわかってあげられたらと思って寄り添うことはできるよ。それでいいかな?
そう言ったら、その影はスーッと消えた。
〝守る〟って何だろう・・・
確かに目に見える物理的なものに対しては、他人でも○か×かの判定を下すことができる。
でも、物理的な有形のものではなく、例えば、地位、立場、個性、忠誠、尊厳・・・などの他人が決して知る由もない無形のものを守るために、有形のものより尊重することだってあるのではないかと思っている。
これは私自身が最愛の彼を喪った経験をするずーっと以前、小学生になる前から思っていた。
価値観も感性も人それぞれがあって然り。結局のところ、○×の物差しを誰もが持ち得ている。それに、考えるのも思うのも自由で勝手なのもわかる。
・・・だが。
最愛の人を喪った人に鞭打つ必要があるのか?
故人に対して×の判定を下す必要があるのか?
私は嫌悪感を抱かずにいられない。
それこそ言語道断で、礼節と尊厳を欠いた無礼極まりない侮辱だと思っている。