シアタートラムで上演中の、秋之桜子脚本・加納幸和構成・演出・花組芝居『レッド・コメディ-赤姫祀り-』を観てきました。

 

花組芝居を観るのは、『シャンソマニアⅡ~葵~』に次いで二回目ですが、

なんか、すごいものを観てしまった…と心が震えました。

フライヤーの絵柄に惹きつけられるものがあってチケットを取った自分の直感を褒めてあげたい。

 

劇場に入ると、舞台には名入りの赤提灯が空中に飾られていて、中央には数脚の椅子が絡みあうように重なりあい、スポットライトが当たって光っている。

どこか妖しげな気配もあるその風景に、「ああ、なぜかわからないけど好き…」と思っていると、

 

白塗りにタキシード姿の男達が登場して、椅子を外していき、舞台奥からは車いすに乗った赤姫(歌舞伎に登場するお姫様)の姿が。

赤い着物に銀色の花かんざしという艶やかな姿と、車いすとのギャップに胸が締め付けられるような思いにかられていると、

 

さらにたくさんの赤姫達が登場してタキシードの男達と踊り始め、混沌と倒錯の予感に胸がざわつきながらも、一体何が始まるのだろうと胸がワクワクしました。

 

「女形」と「文壇」の世界で繰り広げられる男達の愛憎劇。

人間模様が色濃く複雑に展開する秋乃桜子さんの脚本と、それを鮮やかに演出した加納幸和さん、そして確かな演技で応えた俳優さん達が素晴らしかった。

 

ところどころに歌舞伎の場面が入るので、自分に知識がないのが少し残念でしたが、歌舞伎を知らない私でもカジュアルに楽しめましたし、歌舞伎通の方ならさらなる楽しみ方もできるのではないでしょうか。

 

人間の業はある意味哀しきコメディかも、と感じながら観ていましたが、終盤、そのコメディの色合いが違う色に染まったようにも思いました。

 

以下、ネタバレありの感想ですので、明日が千秋楽ですが、未見の方は自己判断のもと、お読みください!

 

 

 

 

 

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2024年6月23日(日)13時

シアタートラム

脚本 秋乃桜子

構成・演出 加納幸和

出演 加納幸和 山下禎啓 桂憲一 八代進一 北沢洋 横道毅 秋葉陽司 磯村智彦 小林大介 丸山敬之 押田健史  永澤洋 武市佳久 佐藤俊彦

 

 

 

 

 

歌舞伎一座の女形・柊木 葵(加納幸和)は、葵に役をとられた女形(北沢洋)に嫉妬され、芝居の最中に硫酸をかけられてしまいます。

とっさに葵をかばった付き人の桃田(押田健史)のおかげで葵の顔に傷はつかなったものの、葵は気がふれてしまい、精神病院に入れられますが、

 

今はとある縁から新聞社主の田岡(小林大介)に付き人ともども引き取られ、世間から身を隠して暮らしています。

 

そこに田岡の新聞に連載小説を書いている流行作家の手塚(桂憲一)や、編集者の西村(八代進一)、作家の乾(丸川敬之)、作家志望の青年・川野(武市佳久)、手塚の妻の文子(永澤洋)などの関係が絡まって、愛や裏切り、憎しみや嫉妬やエゴなどが重層的に描かれました。

 

田岡も以前は小説を書いており、手塚とは恋人同士だったんですが、手塚が二人の愛の日々を私小説として発表して売れっ子に。それに傷ついた田岡は、それ以来筆を折っている。

かつては小説家として才能を認め合うとともに嫉妬心を燃やしながらも、手塚が文子と結婚したことで二人の関係は終わるんですが、それでも田岡は手塚への想いを断ち切れない。

 

自分を赤姫そのものだと思っている葵は、いつも突然芝居をはじめるんですが、時に可愛らしく、時にわがままなその姿は愛らしくも、憐れでもあり、加納幸和さんが演じた葵がとても魅力的でした。

 

小林大介さん演じる田岡は、葵の芝居に付き合ってあげていて、とても優しく、未だイノセントな心持をもっていて、そんな田岡に葵が惚れてしまうのも納得の演技でした。

 

葵の田岡への恋心も、身を挺して葵を守った桃田の葵への恋心も、報われることはないという悲しい愛のベクトルが切なく、編集者の西村が職業的エゴから引き起こす事件なども観ていて苦しくもあり、人間の業を感じさせるものでした。

 

また、作家志望の青年・川野は、かつて実の母親(山下禎啓)に犯された経験から、女性への恐怖心をもち、 計り知れない苦しみを負っている。

そして、葵に対して恋心をもつようになりますが、武市佳久さん演じる川野からは、被虐待者としての苦しみや母への憎しみ、恋の切ない想いが伝わってきました。

 

そんな川野の苦しみを知った葵が、川野を救ってあげたいととった行動が、とことん自分に惚れさせ、捨てるというもの。

捨てられた苦しみで毒親である母親を忘れさせ、執筆に向かわせるように導く葵。

ここは歌舞伎の場面と相まって、激しかった。

 

結果的には、川野は小説を書くことで、自分のペンで“母親殺し”を成就させます。

 

 葵が赤姫の扮装を解いて出てきた時、とっさに葵とわからなかったんですが、葵は実は狂ったふりをしていたんですね。

一度は芸の道から去ろうと思ったけれど、葵自身も、田岡に惚れぬき、報われない恋を経たことで、もう一度、嫉妬と芸の戦いのうずまく女形の世界に戻ることを決意し、田岡宅を去ることを選びます。

 

「戻るからには勝たなきゃいけない」という台詞が、芸の道の厳しさを思わせ、心に残っています。

 

そして、もしまた毒をもられても、命をかけて葵を守ると言う付き人に、

「そん時は一緒に死んであげる」と言った葵の言葉は、付き人にとってのこの上ない歓びか、救いか、はたまた…

 

手塚の小説の真の執筆者のエピソードなども描かれましたが、桂憲一さん演じる手塚には、ずるさや弱さを含んだ複雑な個性を感じましたし、文子の美しさとしたたかさや、川野の母親(山下禎啓)の恐ろしさなど、俳優さん達が演じた役柄、すべてキャラがたっていて魅力的でした。

 

物語の間中、ところどころに時代背景を感じさせる台詞がありましたが、時は日中戦争のさなかで、やがて川野に召集令状が届きます。

川野は出発前に田岡に自分の書いた原稿を託していきますが、そのタイトルは、

『赤姫祀り』

それを読んでその素晴らしさに驚く田岡と小説家の乾。

 

けれど、若い命も、その才能も、戦地で露と消えてしまうかもしれない、何という滑稽、何という皮肉。

これは、「ブラック・コメディ」だったのか。

 

軍靴の音が大きく響く中、足を踏みしめているのはタキシードの男達で、やがてまた赤姫達が登場して舞を舞い、そこはもはや狂乱の世界にも思えて、言葉にできない余韻が胸を覆い、少しの間茫然としている自分がいたのでした。