シアタートラムで上演中の、オノマリコ作・稲葉賀恵構成・演出『YERMA イェルマ』を観てきました。

 

スペインの詩人・劇作家のフェデリコ・ガルシア・ロルカが1934年に書いた戯曲『イェルマ』を、現代日本に翻案したもので、

 

元の戯曲を読んだことはありませんが、今作品では「妊活」や「適応障害」「リモートワーク」などの馴染みのある台詞が出てくるところに現代性を感じつつ、

登場人物たちの名前は元の戯曲のままなので、どこか寓話性を感じたりもしました。

 

また、「子どもがほしい」と妊娠、出産を希求するイェルマの姿に、女性と妊娠をめぐる1930年代と変わらない部分や、現代ゆえの苦悩を見る思いにもなりました。

 

以下、ネタバレありの感想ですので、未見の方は自己判断のもと、お読みください!

 

 

 

 

 

 

 

 

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2026年10月5日(月)14時

シアタートラム

作・オノマリコ

構成・演出 稲葉賀恵

出演 咲妃みゆ 渡邊圭介 小林亮太 樋之津琳太郎 大場みなみ 青山祥子 前東美菜子 渡辺いっけい

 

 

 

 

 

 

 

舞台上にはダイニングテーブルやソファーの他にあちこちに撮影スタンドが置いてあり、写真スタジオを思わせるセット。

そこで咲妃みゆさん演じるイェルマが登場し、電気のスイッチを入れたり消したりすると照明が変わり、不思議な雰囲気で始まりました。

 

イェルマは心身の不調で仕事を続けられなくなり、大学時代の友人だったフワン(渡邊圭介)がイェルマを救うべく結婚を申し込み、二人は結婚。

フワンの姉(大場みなみ)も同居しており、夫と義姉との3人暮らし。

 

また、空き部屋を幼馴染のビクトル(小林亮太)にリモートワーク部屋として貸しています。

 

夫のフワンは、この家でゆっくりと過ごして心身を休めればいいと優しく言いますが、イェルマはこの生活に閉塞的も感じている様子。

 

そんな中、イェルマは夫との子どもを切望していて、

その思いの中には、

 

子どもを産むべきという古くからの価値観の内在化や、

子どもを産むことで自己存在を肯定したい、

すぐに妊娠した友人・マリア(青山祥子)への羨望、

一方では子どもを産まない選択をしている友人・ドロレス(前東美菜子)など、

 

自分の親や社会から刷り込まれた価値観と、現代の多様化している価値観との間で揺れ動き混乱する様子が、

舞台上に登場する謎の老婆(渡辺いっけい)や友人とのやりとりからうかがえました。

 

老婆や友人はイェルマの頭の中の存在で、現実と妄想が混在しているんですが、

イェルマはもともと学業も優秀で、親からの期待に応えてきた人生で、仕事も優秀にこなしていたけれど、それだけでは足りないと内外の自己が言う。

 

何らかの挫折で適応障害に陥った彼女は、子どもを産むことで自己の存在意義を自他ともに認めさせようとしているよう。

一方では、老婆から「女は子どもを産むべき存在」と言われると反発する気持ちもある様子。

 

そして夫は妊活に非協力的で、夫婦の間に不協和音がある。

 

実は、夫は同性愛者で、それを隠してイェルマと結婚していて、ルーカス(樋之津琳太郎)という恋人もいる。

ただ、夫は偽装結婚をしたというよりは、イェルマに子作りを求められてから自分の性的嗜好が明確になったようでもあるんですが。。

 

夫は、一見優しく包容力があるように見えますが、イェルマを鳥かごの中に囲っているとも言えて。

イェルマも、夫に性的魅力は感じていない様子だし、その意味ではむしろ幼馴染のビクトルの方に惹かれている様子。

でも、夫との間の自然妊娠にこだわっている。

 

幼馴染のビクトルは、海外で事業を起こす予定なので一緒に行かないか、とイェルマを誘っており、

夫に恋人がいることがわかったイェルマは怒り、嘆き、そして家を飛び出してビクトルのもとへ。

 

これもまた逃避行動だと思われましたが、やがてビクトルの子どもを妊娠。

ビクトルの新規事業は順調ではない様子で、暮らしも楽ではなさそうですが、イェルマは子育てと仕事で忙しくしている様子。

 

はじめ、これも妄想かと思いましたが、どうやらイェルマは何か仕事を始めて立ち直ってきたのかな、と思っていたところ、夫と義姉が訪ねてきます。

 

夫は、ビクトルとの間にできた子どもを自分の子として育てたいと言い出して、これには私もびっくり。

といっても、実際に子育てをするのではなく、法律的、金銭的に援助をしたいと。

イェルマたちの暮らしが豊かではないことを見抜いているし、見くびっていもいる。

 

それを聞いたイェルマは怒りますが、ビクトルはその申し出に乗っていいとも思っている様子。

 

イェルマの怒りには共感を覚えました。

夫は、結局のところ、今度は父親になるということで自分の承認欲求を満たしたいと思っているようだし、

 

一人の人間としてのイェルマを尊重しておらず、イェルマは結果的に「子どもを産む機械」と見なされたとも言えて。

 

最後、イェルマは夫の首を絞め、

ビクトルはそれを止めることも加担することもなく。。。ここのビクトルがよくわからなかった。

ただ、イェルマの孤独は伝わってきました。

また、イェルマはわが子にも手をかけ、殺してしまったのでしたっけ?(記憶があいまい)

 

夫が絶命した後、イェルマは、

「私の夫」

「私の領土」

「私の土」

と叫び、客席を駆け抜けていきましたが、

 

この結末は、

 

自己の解放か、

産む性として女性に犠牲を強いる男への復讐か、

狂気による破滅か、

または自立か、

 

私にはどれとも解釈できませんでしたし、

 

イェルマの、「欲望している」という台詞も、捉えきれなかった部分はありますが、観終わった後は、なんとも言えない余韻が残りました。

 

イェルマを演じた咲妃みゆさん、2月に観た『クワイエットルームにようこそ』に続いてメンタルに問題を抱えている役でしたが、

今作品では、内外の抑圧と自己存在の希求との間で混乱し、苦悩する様子を体当たりで演じていて魅力的でした。

 

夫のフワンを演じた渡邊圭介さん、エリート然として一見優しいけれど無意識下の残酷さを秘めている役どころで、彼の態度に共感はできないけれども彼もまたセクシュアリティを含めて揺れ動いていたのか。

 

老婆を演じた渡辺いっけいさんの発する台詞は、旧来から女性の価値を生む性としての存在として規定してきたもので、現代の感覚からすると受け入れ難いものだけれど、

 

男性の強い声で発する言葉は、重く、呪いのようで私たちが未だに過去の価値観に呪縛されていることを感じさせられました。

 

ロルカの書いた『イェルマ』は、スペインの閉鎖的な寒村を舞台に、子どものできない女性に対する抑圧とそこからくる悲劇を描いたもののようですが、

 

オノマリコさんの脚本は、老婆に、女性への抑圧的な価値観を躊躇なく語らせつつ、現代の多様化した価値観をも描いていて、現代のもつ複雑さを感じるものでした。

 

稲葉賀恵さんの演出は、時に登場人物に歌わせたりして、現実と妄想をシームレスに展開しつつ、砂を使った感覚的な表現などが印象的でした。

 

また、稲葉さんは、

「生産性のない人たちには存在する価値はないのか」

という問いを起点に演出したとのことですが、

今、その問いに「価値はない」と答える人は少ないのではないかと思いますし、

私自身も、答えは「NO」ですが、

 

子を産む産まないにかかわらず、「生産性のない自分」への恐れは誰もが潜在的にもっているようにも思えるし、

価値観の多様化による選択肢の広がりはある種の救いにもなるけれど、

 

「自分は何者か」

「自分はどうありたいか」ということを自分で選び取っていかなくてはならない上で、

より厳しさがあることを改めて実感しました。