紀伊國屋ホールで上演中の、野田彩子原作・青木豪脚本・中屋敷法仁演出・舞台『ダブル』を観てきました。

 

『ダブル』は、小劇場の役者二人~一人の天才役者とその代役~の物語で、私は原作漫画もWOWOWで放送されたドラマ版も好きだったので、それが舞台化されると知って、チケットをとりました。

 

天才役者役を和田雅成さん、その代役を玉置玲央さんが演じるダブル主演で、和田さんを拝見するのははじめてでしたが、2.5次元で活躍されている方なんですね。

観客も若い女性が多く、会場は熱気にあふれていました。

 

主演二人のビジュアルや雰囲気はしっくりきたし、共演者の方々含め、熱演を楽しませてもらいましたが、私的には、ちょっと思い描いていたものとは違っていたなあ、という印象で、これは原作へのアプローチの仕方が予想と違っていたからかもしれません。

 

また、普段は映画や舞台を観る時は原作は読まないで行くんですが、今回は順番が逆になっていて、原作への自分なりの解釈があるためにそれとの齟齬に思いがいってしまう、という、私自身「原作にこだわりのある人あるある現象」になっているかも。

むしろ、原作やドラマを知らない状態でこの作品を観た方の方が楽しめているような印象ですね。

 

そんなわけで、以下、もやもやとした感想になりましたが、楽しまれた方もたくさんいらっしゃると思いますので、“個人の感想”ということでお許しください。

また、ネタバレもしていますので、未見の方は自己判断のもと、お読みください!

 

 

 

 

 

 

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2023年4月1日(土)18時

紀伊國屋ホール

原作・野田彩子『ダブル』(ヒーローズ刊)

脚本・青木豪

演出・中屋敷法仁

出演・和田雅成 玉置玲央 井澤勇貴 護あさな 牧浦乙葵 永島敬三

 

 

 

 

 

 

 

おんぼろアパートの隣同士の部屋に住み、同じ劇団で役者をやっている宝田多家良=たからだ・たから(和田雅成)と、鴨島友仁=かもしま・ゆうじん(玉置玲央)。

 

遅刻したり忘れ物をしたり、計画的な行動ができなかったり読字が苦手だったりするけれど芝居に天性の才能をもつ宝田。

宝田を公私ともにサポートし、宝田に芝居の解釈や演技方法を伝えつつ、時に宝田の代役を務めている鴨島。

 

二人の関係は、一心同体とも、共依存とも、

また鴨島に依存し、鴨島の解釈通りに演じる宝田はある意味、鴨島の代役をしているようでもあり、

 

嫉妬や尊敬や自己憐憫や不安や焦燥、そして宝田から鴨島への狂おしい恋心など、様々な感情に翻弄されながらも、どうしようもなく「芝居」に憑りつかれている二人の、ヒリヒリとした緊張感や、稽古場や劇中劇での演技合戦を期待していたんですが…

 

冒頭、売れっ子になった宝田が新しい部屋に引っ越してきたところから始まって(宝田が急激に売れたこと、二人が物理的に離れたことはターニングポイントになっているとは思いますが)基本、その部屋の中で話が展開するんですよね。

 

宝田のマネージャー(護あさな)と共演者達(井澤勇貴、牧浦乙葵)や劇団員(永島敬三)が部屋を訪れて、宝田と鴨島が舞台で演じた役柄を演じて見せる場面もありましたが、う~ん、物足りなかった。

もっと自由度の高い美術にして、稽古場や舞台本番に飛んでもよかったのでは?

稽古場こそが、二人の戦場であり、魂の交歓場所だと思うので。

 

特に、映画やドラマで大ブレークした後、その重圧やストレスから一度つぶれた宝田が、つかこうへい作の舞台『飛龍伝』で復帰することになり、さらに鴨島もキャスティングされ、かつ、宝田と鴨島で互いの役を交換して演じることになる、

 

原作漫画ではまだ実際に二人が本番の舞台に立つところまでは描かれていませんが、

 

稽古場で鬼気迫る演技を仕掛けていく鴨島、

苦しみながらも自分なりの演技を模索する宝田、

『飛龍伝』の稽古場面を通して、そんな二人のガチンコ勝負が見たかったんですね、私。

と、これを書きながら気がつきました。(さらに、二人の恋愛関係の行方にはあまり関心がないことも笑)

 

せっかく、紀伊國屋ホールでの上演だし、ロビーにはつかこうへいの写真も飾られていたしなあ…と、ぐずぐず思ってしまいますが、

ああ、でも、抽象度が高かったり、時空を飛び越えた展開などを想像力で補うのは、そういう芝居を見慣れていないとハードルが高いかしら?

 

一口に天才役者と言っても、それを演じるのはすごく難しいと思いますが、和田雅成さんは宝田の繊細さ、脆さ、でも演技のスイッチが入った時の瞬発力、そして若い煌めきの魅力があったし、

 

対する鴨島役の玉置玲央さんは、さすがの安定した演技。この脚本だと、宝田に対する優しさの方が強調されて見えてしまいましたが、鴨島の苦悩や、宝田へのアンビバレントな想いなど、複雑な感情をもっともっと表現できる方だと思うので、そういう姿をもっと観たかった。

 

ただ、私は原作の二人に、ある種の愛と業を見てとりたいという妄想や勝手な解釈が入っているのかもしれません。

そうすると、今回の『舞台ダブル』の脚本と演出には、物足りなさを感じてしまうんですが、

 

でも、制作陣の狙いはそこではなく、普段小劇場の芝居や古典や「安保闘争」という言葉などに馴染みのない観客にもわかりやすいもの、キャスト同士の楽しいやりとりを含めながら、演劇を通した群像劇を描こうとしているのかもしれません。

 

現に、カーテンコールでは、観客席の満足感が伝わってきましたし、原作の持つ強みに加えて、これもひとつのアプローチなのだろうな、と思います。

ただ、せっかくの舞台役者の話なので、私としては、ガチの“下北沢バージョン”も観てみたいなあ、と思ってしまうのです。