東京芸術劇場シアターイーストで上演中の、蓬莱竜太作・演出・モダンスイマーズ『だからビリーは東京で』を観てきました。

(実は今年の観劇始めはヨーロッパ企画の『九十九龍城』だったんですが、感想を書きそびれてしまいました・・が、ソフト・ハード両面の綿密な仕掛けで展開する物語は相変わらず楽しかったですし、リアルな香港のこれからについて思いをはせたりもしました)

 

モダンスイマーズの作品は今まであまり観てこなかったんですが、今回の作品、フォロワーさんのおすすめもあって、チケットをとりました。

とある若者と、とある劇団についての、そしてコロナ禍を生きる若者たちについての話で、私が目を背けていたことを真っ向から描いていたそれに、とても胸をうたれました。

 

以下、ネタバレありの感想ですので、未見の方は自己判断のもと、お読みください!

 

 

 

2022年1月23日(日)14時

東京芸術劇場シアターイースト

作・演出 蓬莱竜太

出演 名村辰 生越千晴 津村知与支 古山憲太郎 伊東沙保 成田亜祐美 西條義将

 

 

 

 

 

2017年、ミュージカル『ビリー・エリオット』を観て感銘を受けた石田(名村辰)は、俳優になろうと思いたち、ある劇団のオーデションを受け、劇団員になります。

その劇団の作風は内容がわかりにくく、劇団員も脚本の内容をよくわかっていないらしいんですが(笑)、

 

新作の脚本の筆が進まない作・演出家の、「譲れないもの」へのこだわりと、もう少しわかりやすい作品を観客に届けたい劇団員達とのやりとりや、

演出家と劇団員のパワーバランス、

劇団員それぞれの演劇に対する思いとプライベート、

 

この劇団を立ち上げた幼なじみの二人の女性の互いへの思いのすれ違い、そこから派生する劇団内での恋愛関係、

もともとこの劇団の作品を観たこともないのに飛び込んだ石田の、はじめて演劇に触れる高揚感、

 

などなどが、時に笑いを誘い、時に誠実さを持って描かれて、誇張はあるとは思いますが劇団という世界をのぞき見しているような興味深さがありました。

同時に、集団そのものの力動や、集団の中での人間同士の関係性や心理描写が鮮やかで、蓬莱さんの脚本がとても魅力的でした。

 

やがて、水面下ではいろいろな危機をはらみつつも、何とか稽古を続けていたこの劇団にも、コロナが襲い掛かります。

 

新型コロナ感染症の蔓延によって、

経済的に困窮する者、逆に違う仕事をすることで潤った者、

ソーシャルディスタンスをとることの孤独、

パートナーとの関係や友情の亀裂、

演劇をやめる決心をする者、

さらには、自分たちが使えていた稽古場(演出家の家の材木置き場)を取り壊すことになって使えなくなったり、と、

 

この劇団は、コロナがなくてもいずれは解散に至ってしまったのかもしれませんが、コロナがそれを加速させた「現実」がシビアに描かれていました。  

 

特に、石田は、経済的にも逼迫し、恋愛関係になった劇団員も元カレのもとへ行くと言うし、稽古していた芝居は上演されることはない・・・石田の無邪気で純粋な姿を見て来ただけに、とても切なくなりました。

 

また、一度は禁酒していた石田の父親(アルコール依存症だったらしい)が、コロナ以降、再び飲酒するようになってしまったり、そもそも石田が『ビリー・エリオット』に惹かれたのも、父親との関係にあると自覚するところにも胸が痛みました。

 

蓬莱さんは、こんな時代に、「優しいものを造りたい」と思ってこの作品を造り始めたそうですが、舞台上に描かれていたものは、過酷ともいえるものでした。

が、まさにコロナ禍の「今」を描いてはいるんですが、ユーモアや誇張を交えた演出は、つきつけられる現実の息苦しさを緩和していたと思いますし、「コロナ禍における若い役者の苦しみ」にストレートに対峙せざるを得なかった、蓬莱さんの現実があったのかなあ、と思います。

 

そう、コロナ禍が若者に与えている影響って、本当に大きいはずで、でもそれを思うと辛くなるので、私はどこかでそれを意識の外に置いていた気がします。

ですが、今回、それをしっかりと見せられた気がして、目をそらしてはいけないな、と。

(では自分に何ができるのかという無力感もまたあるのですが)

 

最後のシーンで、演出家が、取り壊される稽古場で、観客に見せるのではなく、自分達だけで新作を上演する、と言った時、「それでいい」と思ったんですよね。

自分達のためだけに芝居をする、との決断に「それでいい」と思った。

それはなぜなのか、言語化できていないんですが・・・。

 

コロナ禍という特殊な状況の中、役者に限らず、行き詰まりを感じている若い人達はとても多いかもしれない。

石田のように、何かをやりたいと思って飛び込んだのに、コロナ禍に阻まれてしまっている若者が、ビリーが、あちこちにいるかもしれない。

 

石田の、「東京は、まだ自分が途中でいることを許してくれる場所だ」というような台詞がありましたが、

どうか、たくさんのビリー達に、今は行き止まりではなく、途中なのだと、まだ、途中なのだと思ってほしい、と、祈りとも、願いともいえる想いが湧いてきました。

 

そして、今また感染者が激増している中で、一観客である私にできることとして、出会えた芝居ひとつひとつを、全身全霊で観劇しよう、という思いを新たにしています。