新国立劇場小劇場で上演中の、シス・カンパニー公演 安部公房作・加藤拓也演出、上演台本『友達』を観てきました。

加藤拓也さんは、「劇団た組」の主催者で、ドラマや映像、舞台などを手掛ける若手演出家として注目されている方ですが、私は今回が初見です。

 

27歳で(と、つい言ってしまいたくなります、ごめんなさい)そうそうたるキャストを大勢従えての演出、まず見事だなあ、と思いました。

冒頭に鳴り響く不協和音、平衡感覚を狂わせる美術は、まさにこれから不条理劇を観るのだ、という予感を感じさせるものでした。

 

 

以下、ネタバレありの感想ですので、未見の方は自己判断のもと、お読みください!

 

 

 

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2021年9月8日(水)14時

新国立劇場小劇場

作・安部公房

演出、上演台本・加藤拓也

出演・鈴木浩介 浅野和之 山崎一 キムラ緑子 林遣都 岩男海史 大窪人衛 富山えり子 有村架純 伊原六花 西尾まり 内藤裕志 長友郁真 手塚祐介 鷲尾真知子

 

 

 

 

 

八百屋舞台になっている床の中央にドアがついており、一人暮らしをしている男(鈴木浩介)の部屋に、突如、わらわらと9人の家族が床の下からドアを開けて入ってきました。

 

祖母(浅野和之)、父(山﨑一)、母(キムラ緑子)、長男(林遣都)、次男(岩男海史)、三男(大窪人衛)、長女(富山えり子)、次女(有村架純)、末娘(伊原六花)の9人は、男の困惑をよそにあっという間に家を占拠してしまいます。

 

見知らぬ9人に対して、不法侵入だ、出て行け、という男に、自分たちは一人ぼっちの孤独な人間を救うためにやってきた、隣人愛だ、と言い放ち、「自分は孤独ではない」という男の訴えも聞かず、出て行こうとしない。

 

男は警察官(長友郁真、手塚祐介)や弁護士(内藤裕志)、管理人(鷲尾真知子)に相談しても取り合ってもらえず、挙句の果ては女を連れ込んでいると誤解した婚約者(西尾まり)からも婚約を破棄され、その後長男に婚約者をとられてしまう・・・

 

ともかく、家族たちのあっけらかんとした有様が不快で、男を救いにきたと言いながら男に家事を押し付け、男の財布を父が管理するようになってしまうにいたっては、男に対してもっと抵抗はできないのか、と苛立ちながら観ていましたが、

 

抵抗しようとした時に暴力を振るわれたり、何かを決定する時に多数決をとられて太刀打ちできなくなり、多数派に飲み込まれていきやがて諦めていくさまは、

現実の世界での「個」と「社会」を映し出していると思えるし、

 

家族たちが「正義」を振りかざして男を追い詰め、その人生を破壊していくところは、無数の匿名者たちが自分たちの「正義」のもとにネットに書き込んで相手を追い詰める「炎上」を思いおこしたりしました。

 

「正義」や「信条」を盾に精神的、経済的に男を支配し、この家から出ようとした男をついに檻に閉じ込めてしまうところは、もはやホラー。

けれど、キャストそれぞれはなぜかチャーミングで、男とのやりとりも時々はコメディにも思えてしまう。

 

ほとんどの時間、舞台上には大勢の人物がいるんですが、観ていて目障りだったり混乱することはなく、俳優さんたち個々の個性と魅力がよく出ていました。これは、その魅力を引き出した演出家の手腕だと思います。

 

男を演じた鈴木浩介さんは、困惑、怒り、諦め、絶望、希望などが手に取るようにわかる演技でしたし、

父を演じた山崎一さん、それ屁理屈でしょ、と思っても妙な説得力と自信に満ちていて論破できる気がしない。

 

長男の林遣都さん、悪びれない魅力と色気があって婚約者が堕ちてしまうのもちょっとわかる。

 

そして次女を演じた有村架純さん、楚々とした可愛らしさがありましたが、男に対して好意をもち唯一優しく接していた次女が、最後に男に手を下すところは衝撃的で、

すすり泣いた後で

「逆らいさえしなければ、私たちなんか、ただの世間だったのに」と言ったところは、ゾッとしました。

この時ほど、「世間」という言葉が怖かったことはありません。

 

今回、上演台本ということのなので元の脚本と比べてみると、家族以外の登場人物が変わっていたり、スマホが登場したり、台詞も変わっていて、ト書きにもこだわらず、独自の演出になっていました。

 

舞台美術も、元の脚本ではリアルな指定がありましたが、今回は素舞台に近く、檻も布を使った表現で、全体的に簡素。

私は後方の席だったので、遠目に観ていると少しこじんまりしすぎているような印象は受けました。

 

安部公房の『友達』が書かれたのは、1967年。

多様性について言及されるようになった現代では、一人で生きることへの偏見や圧力も減っているかと思います。なので、この家族が言う信条は今では古い価値観とも。

 

一方で、コロナ禍以降、人との距離をとらなければならなくなった時に、改めて、人は人との関わりを希求するものだなあ、とも思ったし、友達とも会えない今の状況は辛い。

 

最近は、拡張家族とよばれる血縁に頼らない新しい家族の形の概念も出てきて、実践している人たちもいますが、そこにふと、彼ら9人の家族の存在を見た気持ちにもなりました。(もちろん、支配と服従の関係であることは許されないわけですが)

 

観終わった後に、孤独であることの自由と、人と人が支えあうことが両立する社会とは・・?等と思いを巡らせていますが、

いずれにしても、現代の演出家、俳優たちによって古典が蘇るということは、私たちが生きる「今」を照射するものだなあ、と思います。