2019年の観劇始めは、パラドックス定数第44項、パラドックス定数オーソドックス・野木萌葱作・演出『トロンプ・ルイユ』

地方競馬を舞台に、6人の俳優が6人の人間と6頭の馬を演じる物語。

トロンプ・ルイユとはだまし絵のことですが、一人の俳優が人間と馬に瞬時に入れ替わり、時に重なるさまは、まさにだまし絵のようでした。

 

ユーモアと情熱、笑いと涙。

脚本、演技、演出ともに素晴らしく、この脚本と演技を生み出した作り手側の創造力と、数脚の椅子と俳優の肉体から様々なものを観る観客の想像力が合わさって、エキサイティングな演劇空間が生まれていました。

これぞ、演劇の醍醐味ともいえるその場に身を置きながら、「ああ、演劇っていいなー」と心から思った作品でした。

 

以下、ネタバレありの感想です。

 

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2019年1月13日(日)14時

シアター風姿花伝

作・演出 野木萌葱

出演 山田宏平 加藤敦 井内勇希 植村宏司 諌山幸治 小野ゆたか

 

 

 

劇場内に入ると、木の椅子が数脚組み上げられていて、競走馬の話だとは知っていたものの、はたしてどうやって演じるのかしら?とわくわくしながら開演を待ちました。

やがて、スーツを着た俳優さん達がゆっくりと登場して円を描きながら回り、ああ、そうか、これ、パドックなのね、と思っていると、一人がネクタイにロープのようなものを引っ掻けてもう一人を引っ張ると、あら不思議、手綱を持つ人間と、人間にひかれる馬とに早変わり。

 

木の椅子も、組み立て方を変えると、厩舎の柵になったり、パドックの手すりになったり、馬券売り場になったり。こういうところ、ごっこ遊びの楽しさを思いだすからでしょうか、想像力が刺激されて、すごく楽しい。

 

瀬戸内海を望む四国にある、丸亀競馬場。

競馬場近くの小さな厩舎では、調教師と調教助手のもと、数頭の競走馬が暮らしています。

 

頭を使って走るタイプの逃げ切り型のロンミアダイム、ちゃらんぽらんに見えるけど洞察力が深いウィンザーレディ。

神経質で緊張しがちだけれど心根の優しいアイゼンレイゲン、そしてこの馬屋を仕切っている番長馬のカミカゼバンチョー。

 

そこに、16歳と高齢ながら競走馬として走らせたいと連れてこられたミヤコヤエザクラと、ディープインパクトの孫だと自慢し、エリート意識を振りかざしているものの、怪我がもとで中央競馬から地方競馬へと落ちてきた5歳のドンカバージョを新たに調教師が預かることになります。

 

厩舎の中で馬たちがやりとりをするんですが、ともすれば滑稽になってしまう危険性がある中、その会話もユーモアがあってスマートでした。

馬たちが海を眺めるシーンも好き。昔行ったことのある九州の海が見える牧場(名前を忘れてしまいました)を思いだしたりしました。

 

そして、その中で繰り広げられる馬たちの競争意識や、誇りや、嫉妬や、格の違いや年齢という現実などは、そのまま人間を見ているようで、目の前にいるのは馬なのか、人間なのか。

けれども馬たちは、前へ、前へとひたすら走る。

一方、人間はといえば、挫折や、逃避や、迷いや、もろもろの中にいて。

 

馬役と人間役の性格や事情がゆるくシンクロしている部分もあり、

調教師は北海道の生産牧場の娘との結婚話があって、この厩舎をたたもうかと迷っているし、

調教助手は騎手になれなかった挫折を引きずっているし、

16歳の馬を連れてきた厩務員は競馬狂いの父親が牧場をつぶしかけ、借金と馬を残して死んだ後、自分のとるべき道がわからない。

逃げ切り型の馬に入れ込んでいる青年は何かから逃避したくて競馬場に通っている。

 

馬たちは、そういう人間たちの心を見抜いていて、人間の迷いや期待や欲望を一身に背負って走り、同時に、人間とつながりたいと思いながら

「根性だそうぜ、人間」

「てめえにだけはぜってえ負けんな」

「勝ちにいくぞ」と人間に呼びかける。ここ、すごくカッコよかった!

 

私は競馬をやったことはないけれど、走る馬の姿は本当に美しいと思う。その、疾走する馬の姿が脳裏に浮かびました。

時に実況役に代わった者が、レースの様子を実況するんですが、それぞれの馬の見せ場があるところは胸が躍りました。

 

物語の終盤、調教助手が果たせなかった夢、馬主や調教師たちの、地方競馬から中央競馬への返り咲きという夢を託された5歳馬が、ゴール直前で転倒し、脚を骨折してしまいます。

勝って海を眺めたい、と言っていたのに。前にも後ろにも誰もいないその孤独の中を、誇りをもって走っていたのに。

 

安楽死を余儀なくされた時、調教助手が、「殺さないでください」「痛いのを我慢するから殺さないで」「まだ走りたい」と言うところは、人間と馬を同じ俳優さんが演じるので、余計に涙を誘われました。

ラストシーン、死んだドンカバージョと助手の想いを一身に引き受けて、レースに臨む逃げ切り型のロンミアダイム。

その馬と、助手との心がまさに通じ合う瞬間に、胸が熱くなりました。

 

競馬場に通いつめている青年の台詞で、馬はただひたすら前に向かって走っている、人間はそうはいかない、だからこそ、というのがあったんですが、確かにそうだなあ、と思いましたが、

でも、人間も、過去には戻れず、ひたすら明日に向かって生きるしかないところは、一緒かもしれないな、とも思います。

 

この作品で、だまし絵のように変わる馬と人間を見ながら、そこに「生きる」ということを見た気がするし、

「にんげん、がんばれよ!」と馬たちからエールをもらった気もします。

俳優さん達全員素晴らしく、またあの馬たちに会いたいなあ、と思うほどですが、それにしても、馬と人間の両方を演じるというのはどういう感じだったんでしょう?俳優さん達に聞いてみたい気がします。

 

この『トランプ・ルイユ』は、パラドックス定数の作品の中でも毛色が違う、との意見もあるようで、確かに、今まで私が観たパラドックス定数の作品は、一部屋で物語が展開するものが多く、息もできないほどの緊張感があるものが多かったんですが、今回は、競馬場や海などにイメージが広がって、その解放感を楽しめました。

 

そうそう、ひとつ気になることが。

レースの実況中継の中で、必ずや勝敗にからんでくるネコマッシグラ。ほとんどのレースで名前が出てきて、脳にインプットされてしまいました。

どんだけタフなの?ネコマッシグラ。

 

それはともかく、この『トロンプ・ルイユ』は忘れられない作品のひとつになりましたし、小劇場ならではの魅力にあふれた作品を観ることができて、とてもよい観劇始めになりました。