新国立劇場中劇場で上演中の、シス・カンパニー公演・三谷幸喜作・演出『子供の事情』を観てきました。

出演者の顔ぶれだけでも豪華なのに、それぞれが10歳の子供を演じる、って一体どんな感じになるんだろう?と興味津々で観に行きましたが、大人が子供を演じる、という仕掛けがファンタジーとして作用して、シンプルに楽しめた作品でした。


無邪気に笑えて、ホロリとして、そしてふんわりとした後味は残るけど引きずらない。といっても、子供社会の間での大事件は起こるし、大人社会のあるあるを彷彿とさせるシニカルさもありながら、同時に童心とノスタルジーを呼び起こす。


最近の三谷作品が暗さを感じさせるものが多かったのに比べると異質な感じで、何となく、三谷さんの新境地、という感じもしたのですが、どうでしょう。

そういえば、今回は、稽古が始まる前に台本が完成していたそうですが、一体何が起こったのでしょう?(笑)


ともあれ、10歳という、子供と大人が交錯する年代を、実力派のキャストが楽しそうに演じているのを観れたのがとても贅沢でした。少々キャスティングが適材適所すぎる気もなきにしもあらずでしたが、あて書きゆえのキャラクターの立ち上がりは見事でしたし、普段はシリアスな役しか観たことがなかった伊藤蘭さんのコメディエンヌぶりを目撃できたのも楽しかったです。


生演奏をバックに、時々歌が混じるのも楽しかったし、ラストシーンは、胸にグッとくる演出でした。

終演後の観客の拍手は心から楽しんだことが感じられるもので、最大公約数の観客が満足できるものを創ることができるのは、やはり凄いな、と思いました。


以下、すっかりネタバレしていますので、未見の方は自己判断のもと、お読みください!





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2017年7月9日(日)13時30分

新国立劇場中劇場

作・演出 三谷幸喜

出演・天海祐希 大泉洋 吉田羊 小池栄子 林遣都 青木さやか 小手伸也 春海四方 浅野和之 伊藤蘭

演奏・荻野清子





時は、三谷さんが10歳、小学4年生だった昭和46年。

世田谷区のはずれの世田谷区立楠小学校4年3組の教室。

放課後、すぐに帰らずになんとなく教室で過ごしている8人と、放課後に特別授業を受けている子役スター、そして転校生を合わせた10人の子供達の1年間におこった出来事を、三谷さん本人を思わせるホジョリン(林遣都)がストーリーテラーとなって、語っていきました。


補助輪つきの自転車に乗っているホジョリンは、あだ名をつけるのが得意で、役名もすべてホジョリンがつけたあだ名で呼ばれます。

このグループの中で、みんなが頼りにしているのがアニキ(天海祐希)。様々なもめ事を、いつも最後にはアニキが解決しているんですが、ある日、このクラスにやってきた転校生のジョー(大泉洋)は、

「ひとつのクラスに二人のアニキはいらない。」と、自分がアニキのポジションを奪うべく、様々な画策をします。


父親が船乗りだと言い、どこかミステリアスな雰囲気を醸し出しているジョーは、集団のヒエラルヒーやメンバーの本音を見抜くことに長けていて、このクラスの一番の問題児のゴータマ(小池栄子)がおこす悪戯や悪さを利用したり、おたのしみ会などの行事を利用して、深謀遠慮をめぐらせ、ついにアニキのポジションを奪い、自分がリーダーとなります。


この辺は、まるで大人社会を見ているようだし、10歳とは思えない言動を10歳役の大人が演じるところがまた複雑でおもしろかったんですが、でも、子供時代といえども、自分が集団の中でどのポジションにつくか、というのは重要なことで、そのために悩んだり苦しんだりしているのかもしれませんね。


とはいえ、私は子供というものに過度な幻想を抱いたり、過度に大人扱いをして描かれたものはあまり好きではなくて、しょせん、大人になってしまった者には子供の本当の心はわからない、とも思っています。


パンフレットで、三谷さんは、当時の小学生を再現しようとしたわけではないし、今の小学生の姿を描こうとしたものではない、と語っていましたが、三谷さんは、この作品で、10年間の人生を生きてきた子供に対して、芯のところで、敬意をもって描いているような気がして、そこがとてもいいな、と思いました。


このクラスで劇をやることになり、ホジョリンが考えた『スイカ売りの少女』というお芝居の配役を決める時にもめるところとか、主役の少女をやることになった子役スターのヒメ(伊藤蘭)のおおげさ過ぎる演技とか、


学級委員はいつも、いずれ政治家になれ、と親から言われているソウリ(青木さやか)がなることに決まっているのに、ジョーが他の人物を当選させて影でクラスを操ろうとして選挙を提案し、いつも人の意見をリピートしてばかりで自分の意見がなく、あっちにふらふら、こっちにふらふらしているリピート(浅野和之)が、当選してしまうとか、


ゴータマや、ゴータマの子分のようなジゾウ(春海四方)が考える悪戯が、他のクラスの給食ワゴンからすべての揚げパンを強奪して売る、という計画だったりとか、

いろいろ笑えるシーンがたくさんあって、


でも、同時に、子供には重すぎるものを背負っているホリさん(吉田羊)や、

ジョーとゴータマの悪戯が、恐竜博士と言われているドテ(小手伸也)と大人を巻き込んだ大騒ぎになってしまったり、

子供達のずるさや、大人からいろいろなものを背負わされている子供の姿も描かれていました。


印象的だったのが、ホジョリンが、ゴータマに、どうしていつも悪いことばかりするのか、と聞いた時、ゴータマは、

「いつかは死ぬと思うと、怖くてたまらくて、いてもたってもいられない。だから、悪いことをしちゃう。」と。

そういえば、子供の頃、人が死ぬということがすごく怖かったことが私にもあったなあ、と思ったし、


それに対してホジョリンが、自分は、ゴータマが感じている怖さを解消することはできないけど、でも、ゴータマに、楽しいことを提供することはできるよ、という主旨のことを言うんですが、これって、三谷さんが作品を作る上での姿勢のような気がしたし、エンタメの本質なんじゃないかなあ、とも思いました。


やがて、ジョーが持っていたある文房具を見たのをきっかけに、アニキが、ジョーの正体に気づき、欺瞞をあばきます。この文房具、あの年代に小学生だった人にはピンとくるもので、三谷さんと同年代の私は、登場する文房具や遊び道具を見て、「ああ、ああいうの、あった、あった!」と懐かしくなり、より楽しめました(笑)


ジョーの父親が船乗りだというのは実は嘘で、ジョーはお金持ちのおぼっちゃんで、ともかく、このクラスを引っかき回そうとしているだけだ!とアニキから糾弾されたジョーは、

前の学校では他の子供達となじめず、つらい学校生活を送っていたので、今度は、違うキャラになりたかったのだ、とわんわん泣きながら告白します。

その子供らしい泣きっぷりにはちょっとホロリとしてしまったし、

そんなジョーに、「クラスにアニキは二人いらないのよ!」と言い放ち、アニキがリーダーとしての地位を奪還したところは、思わずスッとしてしまいました(笑)


そんなこんなでいろいろなことがあった4年3組ですが、3学期の終わりには、みんな少しずつ成長しているところが垣間見られる描写があり、終始、少し離れたところからクラスのみんなを観察していたホジョリンは、その後、転校して、同窓会にも出なかったので、それ以来、みんなとは一度も会っていない、と後日談を語りました。


最後、相変わらずみんなが放課後に残ってふざけたり、遊んだりしている教室が、舞台の奥へ、奥へと遠ざかっていき、それを見ていると、自分の子供時代が自分から遠ざかっていくようにも思えて、もう戻れない子供時代の自分への惜別の思いがわいてきて、とても切ない気持ちになりました。

こういうところ、三谷さんにやられたなー、と思いましたが(笑)、でも心地よい切なさで、今思い出してもほんわりとした気持ちになります。