王子小劇場で上演中の、DULL-COLORED POP『演劇』を観てきました。

谷賢一さん主催の劇団、DULL-COLORED POPを観るのははじめてですが、この作品の上演後、しばらく劇団活動は休止するそうです。

『演劇』は、まっすぐな熱情と迫力に満ちていて、俳優さん達の演技に魂がこもっており、この作品に込める作り手の思いの強さを感じるお芝居でした。


以下、ネタバレありの感想ですので、未見の方は自己判断の上、お読みください!




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2016年5月21日(土)13時

王子小劇場

作・演出 谷賢一

出演 百花亜希 井上みなみ 小角まや 井上裕朗 堀奈津美 中田顕史郎 渡邊りょう 大原研二 東谷英人 塚越健一



円形の舞台を三方から観客が取り囲む中、小学生の男の子のぼく(百花亜希)と、鈴木(小角まや)の二人が登場し、子どもらしいような、奇異なような動きをしながら、饒舌に語り始めます。

どうやら、卒業式を控えた小学6年生のようで、小学生はこんなこと言わないんじゃない?と思ったり、いや、あなどってはいけないか、などと思いつつ、そのハイテンションさには、ここはどんな風にのればいいのか?と若干とまどいながら観ていましたが、


“ぼく”が、

「自分が人生の主人公になること」

「自分で自分を手放さないで生きていくこと」

を自分に誓う場面だったように感じました。


一方、場面は卒業式を数日後に控えた小学校となり、教師達が話し合いをしています。首つり自殺を図った女子生徒がおり、一命をとりとめたものの、まだ意識は不清明な様子。

自殺未遂の原因に、いじめがあったかどうかについて追求することよりも、学校の体面を守るように口裏を合わせるようなことをしています。


自殺を図った女の子の父親の八奈見(大原研二)は、暴力的な態度をとったり、校門の前で学校を非難するビラを配ったりしていましたが、娘の手が少し動くようになったところ、「卒業式に出たいか?」と聞くと、イエス、というように動いた、と。どうか、娘を卒業式に出させてほしい、と教師達に土下座をして頼みます。


その願いに対して、教師達の反応は様々で、教師達をとりまとめる立場(?)の柏原(井上裕朗)は、何とか、その願いを阻止する方向に持っていこうとし、他の教師達に、さながら劇作家のように、八奈見との対応の筋書きを書いたり、対応(演技)を指導したりしています。

担任の本多(堀奈津美)は、学校側の指示に従おうとし、養護教諭の並木(小角まや)は、女の子の願いを叶えてあげたい、と主張します。


また、いじめの加害者ではないかとされている女子生徒の父親の日高(渡邊りょう)は、逆に、自殺未遂をした子が卒業式に出れば、自分の娘が死ぬ、と言っているので、絶対に卒業式には出さないでほしい、と言います。


スクールカウンセラーの古川(中田顕史郎)は、学校側の方針にそった発言をする様子。教師の松野(東谷英人)は、自分の本当の思いはあるけれど、なかなか言い出せない・・・。


この、教師や親たちの場面では、それぞれの思惑や、エゴ、いじめや学校の現場について、とても緊張感がある描写がなされ、引きこまれました。

多分、観客側も、年齢や経験や、今の立場などで、誰に感情移入をするか、誰に怒りを覚えるかなどが違ってくるのではないかと思います。


学校の場面の合間に、ぼくと鈴木が登場し、ぼくが、好きなあの子(井上みなみ)の家に行く場面がはさまりました。あの子が、自殺未遂をした女の子のようで、車いすで登場し、いじめを受けていたことを語ります。

そして、あの子は、やがて立ち上がり、歩けるように・・・。


こんな風に、ぼくと鈴木のシーンは、幻想的に描かれていましたが、ここでおもしろかったのは、ぼくが性衝動を感じて、おじさん(中田顕史郎=スクールカウンセラーと二役)に相談をし、それを恋に変換するように(?)言われるところ。

細かいやりとりを覚えていないのですが、少年の性と恋、について、男の子って、そういう感じなのか?!と印象に残りました。


ジャージの上下を着ている男性教師に対する私自身の拒否感から(いい思い出がない気がする)、ジャージの松野に対してははじめ良い印象を持っていなかったんですが、保護者との話し合いの終盤で、本当は、生徒の希望を叶えたい、卒業式に出席させてやりたい、と思って、それを言おうとするところあたりから、気持ちが添っていって、


最終的には、やっぱり言えず、そんな自分を責める場面では、多分、自分の経験も思い出して、組織の中で働くことで、自分の理想や信念がひとつずつ削られていったこと、この仕事についた時の自分はどこに行ってしまったのか、と思ったこと、などが蘇ってきました。


多分、私がもう少し若かったら、そんな松野に自分のふがいなさを重ね合わせて怒りを覚えていたかもしれません。

もちろん、一番に守られるべきは、生徒の命と尊厳で、実際にいじめがあった時の学校の対応も、ここで描かれているようなことが多いのかもしれない。教師個人の責任を問うばかりでなく、教育制度そのものの改善が必要なこととは思いますが、


私は、組織を防衛する役割を担わされている柏原の立場もわかる気がする今では、「正義」を貫けなかった松野を責める気にはなれなくて、

逆に、

「そんなに自分を責めなくてもいいよ。自分の中で、大事だと思うこと、ゆずれないと思うことまで手放さなくてもいいんだよ。」と言ってあげたくなりました。

(きっと、これが今の私のリアルなんでしょう)


最後の場面で、松野に対して、ぼくが投げかけた言葉。ここに、希望と勇気が示されていたように感じました。


この作品を観ながら、シェイクスピアの、

「この世は舞台、男も女もみな役者にすぎない」という台詞が浮かんできて、

演劇=人生、などと思いながら観ていました。

時には、誰かにあやつられているようで、思い通りにならないことが多いけれど、やっぱり、自分の人生という舞台の主役は自分なのだ、ということ、そして、大切だと思うことは手放さないで生きていきたいな、などという考えが浮かんできたのでした。


あと、「言語化をあきらめるな!」という台詞がすごく心に残りました。演劇に限らず、生活のいろいろな場面で、お互いを理解するために、言葉にする努力が大事だよな、と改めて思いました。


この作品を観て、「すごく衝撃を受けた!」という感想も多いのですが、私の場合は衝撃というより、心に灯がともった、という感じ。

谷さんの作品は、私なりにキャッチャーミットを構えているんだけど、どうも私のミットの構える位置が違っている感じでボールをうまくとれず、直球を直撃されている他の方がちょっとうらやましくなったりしてるんですが(笑)、この次に観る短編集では、自分がどう感じるか、楽しみです。