東京芸術劇場シアターイーストで上演中の、フロリアン・ゼレール作・ラディスラス・ショラー演出『飛び立つ前に』を観てきました。
『飛び立つ前に』は、フランスの劇作家フロリアン・ゼレールが家族をテーマに描いた『Le Père父』、『 La Mère 母』、『Le Fils 息子』の三部作に続く最新作で、過去三作は東京芸術劇場でラディスラス・ショラーの演出で上演されています。
私は以前『Le Fils 息子』(※1)と『 La Mère 母』(※2)を観ましたが、今回は『Le Père父』に出演した父親役の橋爪功さんの演技を観るのもとても楽しみでした。
前回観た『 La Mère 母』同様、虚実や時間軸が混在し、今回はさらに生死をもシームレスに展開する内容で、明確な答えが示されているわけでなないけれど、夫婦、家族、老い、死、別れ、愛などについて観た者それぞれの胸に迫るものがある物語だったと思います。
以下、ネタバレありの感想ですので、未見の方は自己判断のもと、お読みください!
2025年12月7日(日)14時
東京芸術劇場シアターイースト
作・フロリアン・ゼレール
翻訳・齋藤敦子
演出・ラディスラス・ショラー
出演・橋爪功 若村麻由美 奥貫薫 前田敦子 岡本圭人 剣幸
『Le Fils 息子』と『 La Mère 母』の時は、トリコロールカラーの少し抽象的な美術で、それがとても素敵だったんですが、今回はリアルなセットで、ちょっと意外でした。
が、居間の壁紙や台所の壁の色などがフランス映画を思わせてこちらも素敵。
でも、いろいろな出来事がそのリアルな空間で起こるからこそ、より不穏な思いにもかられました。
パリ郊外の家で暮らす老夫婦のもとにやってきた長女と次女。
それぞれの会話から、どうやら夫のアンドレ(橋爪功)は妻のマドレーヌ(若村麻由美)に先立たれていて、長女のアンヌ(奥貫薫)と次女のエリーズ(前田敦子)は、一人暮らしになったアンドレを案じ、施設入所を勧めているよう。
と思いきや、いや、妻ではなく、夫の方が亡くなっているのかしら?と思わせるような場面にもなり、視点が次々と変わるので、観ているうちに混乱してきます。
小説家として名を馳せた夫は認知症を患っているようで、その認知のゆがみから見ている世界も混在しているので、より混乱させられましたが、演じた橋爪功さんが素晴らしかった。
冒頭、微動だにせず一点を見つめている夫の姿は、(それは亡き?妻の帰りを待っていたようですが)切実さと、でも尋常な状態ではないことを感じさせ、時に激昂したり、妄想にとらわれたりするところも演技とは感じさせないリアルさがありました。
実家を整理しに来ている長女は、父親の日記から、過去に父親が不実を働いていたことを知って失望したり、自分自身も離婚を考えていたりと、自分の問題も抱えながらも、長女としての責任感にとらわれているゆえの辛さや孤独を感じさせました。
一方、次女の方はもう少し奔放に生きている様子。
しっかりものの長女を演じた奥貫薫さんと、時にエキセントリックになる次女を演じた前田敦子さんの、姉妹それぞれのキャラクターが鮮明に浮かび上がる演技がよかったし、混沌とした劇世界の中で、二人の言葉や反応は唯一現実と地続きに感じられて、観客と現実との橋渡しになっていたと思います。
二人の娘に対する母親の反応も興味深くて、長女よりも次女の方が可愛いようで、もちろん二人に対する愛情はあるけれど、これはもう理屈ではなくて、親って子どもに対しての愛情は濃淡ができてしまうものなのかも、と思ったり。
妻のマドレーヌを演じた若村麻由美さん、かなりの老け役ですが違和感がなく、明るく、年老いた夫との日常生活をとても大事に生きていることが伝わってきました。
同時に、娘たちが心配しているのはわかるけれど、でも子どもに指図されたくない、というプライドもあり、老いていく現実と自尊心との軋轢も、あるあるで…
そんな中、妻が招きいれた女(剣幸)と男(岡本圭人)の存在が強烈でした。
女は、かつての夫の浮気相手で、男はその息子のように思えたり、でもそれは夫の混濁した記憶からくるものなのか、また、女は施設職員のようであったり、男は次女の恋人だったり、と結局正体は不明でしたが、剣幸さんも岡本圭人さんも謎めいたキャラクターを魅力的に演じていて見応えがありました。
劇が進むにつれて、整合性を求めることを放棄して揺らぐ世界に身をゆだねているうちに、何というか一種の催眠状態のようになっていって、観客それぞれの潜在意識に働きかけられ、自身の経験や人生観にもとづく、家族、生死、人生の意味や課題や真実と思うもの、などが呼び覚まされる気がします。
そこが、フロリアン・ゼレールの作品が国を超えて人々を魅了する理由なのかな、とも。
言語の違いを超えて、そういったことを感じさせるラディスラス・ショラーの演出もまた戯曲の本質をついているからでは、とも思いましたし、それに応えた俳優陣の演技も心に響きました。
父親が、喧嘩する二人の娘を抱きしめてなだめるところ、
妻が、あなたをいつでも見守っていると伝えるところ(これは夫の願望にすぎないかもしれませんが)には、涙がでました。
「人生は短い」と言ったのは夫で、「人生は長い」と言ったのは妻だったかしら。
逆だったかな?記憶があいまい。
夫との、妻との別れ、心身の健康との別れ、両親との別れ、など「家族」そのものが揺らぎ、形を変えていく…けれど、そんな中でも愛は存在して、それぞれが飛び立つ前に人を包むものだと思いたい。
今までの私だったら、親の老後という視点でこの物語を観た気がするけど、今回は、老夫婦に自分を重ねて観ていて、自分自身の人生の歳月を思ったりもしたのでした。
(※1)
(※2)


