待ってました! 木下牧子さんの混声合唱作品集の新譜発売 | cookieの雑記帳

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木下牧子さんの待望の合唱作品集が年末にジョバンニ・レコードからリリースされました。昨年7月に開催された、合唱作品を集めた演奏会のからの録音です。
この時に委嘱初演された混声合唱組曲『悠久のナイル』の楽譜もつい先日発売されたので、合わせてご紹介したいと思います。
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この演奏会は指揮者の鈴木成夫先生が指導されている、4つの大学合唱団(日本大学合唱団、東京外国語大学混声合唱団コール・ソレイユ、東京家政大学フラウエンコール、東京大学コーロ・ソーノ合唱団)が集まった大きな合唱団体「遊声」によるものです。
各合唱団の演奏の後に披露された、合同合唱による混声合唱組曲『悠久のナイル』(委嘱初演)と、OBも参加しての合同合唱による混声合唱組曲『ティオの夜の旅』(1983年に鈴木先生指揮、東京外大コール・ソレイユ委嘱初演)、そしてアンコールで演奏された中原中也の詩による混声合唱組曲『にじ色の魚』から「湖上」がこのCDに収録されています。
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木下牧子さんの名前は、合唱をやっている人で知らない人はいないと思われるヒットメーカーで、最近は歌曲やピアノ曲を耳にする機会の方が増えた気がしますね。
私は80年代半ばから90年代を高校生、大学生として過ごしたのですが(合唱をやっていたのは大学生の頃)、当時の木下さんの合唱作品の人気といったら、どこの演奏会に行ってもプログラムに入っているくらい、それはそれはすごいものでした。
この頃、合唱作品の合間に発表されていた(こっちが本業?)オーケストラ作品、『夜の淵』や『消えていくオブジェ』なども、NHK-FMの現代の音楽の番組で紹介されており、エアチェック音源が今でも手元にあります。
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私が初めて木下さんの合唱作品に触れたのは混声合唱組曲の第2作『ティオの夜の旅』(1. 祝福、2. 海神、3. 環礁、4. ローラ・ビーチ、5. ティオの夜の旅)です。入り口は作詩の池澤夏樹さんでした。
当時出版されたばかりの池澤さんの処女小説『夏の朝の成層圏』に共感し、もっと読みたい!と、著者紹介などを頼りに他の著作を探し(当時はインターネットなど無かったので、とても大変でした)、エッセイ『サーカムナヴィゲイション』と詩集が2冊『塩の道』『最も長い川に関する省察』を見つけました。詩集はともに、当時は横浜にあった出版社・書肆山田から上梓されていて、この頃は横浜駅東口にあったスカイビルに書店として店舗も構えていました(横浜そごうができる前の、寒々しい埠頭感漂う頃の東口です)。
横浜駅からは徒歩で高校に通っていたので、書籍といったら西口ダイヤモンド地下街(今はもうこの呼び名はなくなった?)の有隣堂がメインだったのですが、そこで手に入らない本は、他の店を回って探したりしていました(ネット書店のない時代です)。そういった店の1つが書肆山田でした。
先日ブログにも書いた瀧口修造さんの著作もここで購入したものがいくつかあります。
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そんな縁あって入手した、詩集『塩の道』は、小説『夏の朝の成層圏』の原点であり、後年には『南の島のティオ』という連作短編集も生まれます。
この『塩の道』から抜粋した詩に木下牧子さんが曲を付けたのが『ティオの夜の旅』です。

閑話休題。
池澤さんの詞が用いられた合唱曲は、これが最初ではなく、それ以前から池辺晋一郎さんの作品に歌詞として、書き下ろしていました。当時全く無名だった池澤さんと池辺さんの初顔合わせは1972年の『恩愛の輪』まで遡るとのこと。このコンビからは、その後『銅山』『3つの不思議な仕事』といった作品が生まれ、池辺さんは映画やテレビの劇伴やTVの司会など八面六臂の活躍を、また池澤さんも芥川賞を受賞し、その乾いた文体で人気作家になりました。有名になって以降も、このほぼ同世代(池辺さんが2つ年上)の気心知れた二人による新作は発表され続けていますね。

少し話は逸れましたが、『ティオの夜の旅』は、骨太の乾いた文体で、人間の視点で自然の営みを綴っていく、そんな普遍的な詩の世界観に魅了された木下さんが、とびきり素晴らしい音楽を付けたため、初演からおよそ35年も経ったにもかかわらず、全く色褪せない魅力を放っています。
ア・カペラで歌われる一曲目「祝福」、軽快な6/8拍子の二曲目「海神」、荘重な三曲目「環礁」、優しい風景が描かれる穏やかな四曲目「ローラ・ビーチ」、そして、拍子が目まぐるしく変わり、疾走感のある終曲「ティオの夜の旅」。どこを切り取っても素敵です。しかし私は結局、歌うチャンスには恵まれませんでした。演奏会では何度も聴いたのですけどね。

以前リリースされていた音源は音が痩せており、物足りない感じがありましたが、今回の録音は素晴らしく、この歌を歌い込んできたメンバーの乱れぬアンサンブルに、ココロを持っていかれそうになります。木下さんもライナーノーツに書いていますが、この曲の決定版と言える演奏です。

さて、お次はこの演奏会で初演された『悠久のナイル』です。カップリングの『ティオの夜の旅』から34年を経ています。
用いられた詩は多田智満子さんの詩集『長い川のある國』からです。タイトルからして、スケールの大きなものを描いているのがわかります。テーマは違いますが、池澤さんの詩と共通点がありますね。
実はこの詩集も書肆山田から出版されています。
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多田さんは池澤さんよりひとまわりちょっと年長の1930年生まれ。多くの詩集をはじめ、エッセイなども出版されています。残念ながら、2000年出版の読売文学賞を受賞したこの詩集が、生前最後の詩集になってしまいました。若い頃は翻訳からこの世界に入ってきた多田さん(池澤さんも翻訳業からスタートでした)、その訳を読んだ三島由紀夫氏をして「多田智満子さんって、男なんだろ?」と言わしめたというエピソードがあるくらい、男性っぽい骨太な文章を書かれる方です。澁澤龍彦さんや矢川澄子さん、野中ユリさんといった面々も接触があり、私のアンテナに引っかかってきたわけなのです。
木下牧子さんが多田さんの詩を用いたのは今回が初めてではなく、実は『ティオの夜の旅』の次に書かれた1984年の女声合唱曲『風が風を』ですでに採用しています。作品リストを見ると詩の好みが見えてきて、なるほどと納得できます。

この詩集は全部で42編の詩からなっており、全て漢字1文字のタイトルで、ナイル川を中心としたエジプトの今昔を叙事詩的に描いています。他の多田さんの作品同様、個人の感傷的な詩では決してなく、もっと広く大きな視点で書かれています。
この中からナイル川を題材にした4編と、巻頭に置かれている言葉に「序」というタイトルを付け、合わせて5編(1. 序、2. 源、3. 冥、4. 遊、5. 氾)に作曲。

詩の内容をふまえ、全編荘重で重厚な、でも決して重たくない、透明感のあるハーモニーです。『ティオの夜の旅』のように変化に富んではいませんが、まさに大合唱に相応しい曲で、大学生の若い声で歌われるから良いのだと思います。
自分は少人数のアンサンブルばかりやっていたので、大合唱は憧れですね。

アンコールの中原中也の詩によるア・カペラ曲『湖上』も、たいへん叙情的で素晴らしい出来栄えでした。
多くの方に手にとってほしいディスクです。