アラカンも多くの同級生たちと遊んでいたようだ。

同じ町内の子やら、もちろん同じクラスの子と

遊んでいることが多かったようだ。

 

そんな中、中学3年生の時も同じクラスだった、

中学の部活のバレーでも同じだった

蜂須賀君の名前が急に日記に出てきた。

 

蜂須賀君とは小学校5、6年と

同じクラスだった。

 

そんな蜂須賀くんとの関わり合いが

こちらの日記。

 

昭和44年12月27日。

今日の昼から蜂須賀くんとこの

車庫を作るのを手伝った。

釘を打ったり、とたんをつなげたり

いろいろなことをして、

やっと車庫を作った。

そして、おばさんがお礼に

100円をくれた。

やってよかったなあと思った。

 

どういう経緯から、この手伝いを

するようになったのか、

全くもって不明だ。

 

他の遊びの場面で、蜂須賀くんの名前は

ほとんで出てこないのも不思議だ。

 

昭和45年2月15日。

今日は昼から、蜂須賀くんの

お父さんと三河湖の方へ行き、

五平餅を食べた。

五平餅はとても大きく、

1つ食べたら腹いっぱいになった。

でも、もう一つ食べてみたかった。

 

小学校時代での蜂須賀くんとの

関わり合いはこの2つだけだった。

 

中学3年の時は同じクラスで、

よく英語の勉強を一緒にしたりもした。

 

彼は背も高く、

中学ではエースアタッカーで、

僕たちをバレーの全国大会まで、

導いてくれた。(県大会優勝)

 

そんな彼も40半ばにして脳梗塞で倒れ、

そのまま帰らぬ人となった。

 

その訃報を聞き、彼の家に御焼香に行ったら

自然と涙がおいおいと流れた。

中学を卒業してからは、

一度もお会いしていなかった。

 

今もクッキーとの散歩で、

彼の実家の前を通ることが多いが、

そんなことやたら思い出します。