この当時の日記は、

どうも先生へ提出することを念頭に

置いているから、妙にぎこちないというか、

読まれることを意識してしまっている感が

ある。

 

だから、リアリティにかけるし、

いつもいつも前向きすぎて

こう何かつまらないものを感じる。

 

日記は、誰かに読まれることを前提と

してはいけないんですよね。

 

で、日記のその続き。

 

昭和43年10月前後の日記から。

 

今日は、僕の誕生日であった。

それで、宇野君と山本くんと鈴木くんが

遊びに来た。

そして、将棋をやったりして遊んだ。

僕は、去年に比べてあまり楽しくなかったが、

宇野くんたちはとても楽しそうで、

僕は嬉しかった。

 

アラカン5年生のその当時、

すでに将棋がやれたのだろうか?

いったい将棋のやり方を誰から教わった

のだろうか?

素朴な疑問が残った日記の内容であった。

 

昭和43年10月15日。

今日こてきを選ぶテストがあった。

僕は、しきに希望しようと思ったが、

やらなかった。

そして、小太鼓の練習をやっているときに

先生に呼ばれて、大太鼓の練習をやった。

そして、僕は大太鼓になった。

僕は、なったからには真剣にやろうと思った。

 



なぜその当時、指揮を希望しなかったのか?

指揮を希望しようとしたが、やらなかった、

とある。

このなぜは、全く不明だ。

気後れしたのだろうか?

気持ちの揺れ動く様が、手に取るように

わかる。

 

その当時、アラカンの「がたい」がちょっと

大きめだったから、大太鼓に指名された

のだろうか?

先生たちもいろいろと見ていますね。