先日、榊原喜佐子さんの
徳川慶喜家の子供部屋という本を
図書館から借りて読み返した。
彼女は、大正10年、
1921年生まれであるが、
小学校3、4年生の時から日記を
書いていたらしいのだ。
その日記の内容が、ある出版社の
ある人の目に留まり、
徳川慶喜さんのお孫さんの生活ぶりを
本にしてみませんか、ということで、
その本が世に出てきたということです。
別に、それに感化された訳でもないが、
不肖アラカンも小学校5年くらいから
日記を書いていた。
アラカンが日記を書き始めたのは、
その当時の担任の先生から、
無理やり的に、強制的に書きなさい
ということで書き始めたのだった。

当初は、ほんの2、3行しか書いていない。
しかも、その様子を絵も書き入れている。
担任の先生が、絵日記でもいいから
書きなさいと言ったのだろうか。
詳細は不明だ。
この当時は、毎日日記を書いていた。
記念すべき第1日目は、
なんと2行だけ。
今日は、朝ねむたくても
学校へ行った。
6時間目の時、目がうつらうつらして
やる気をなくした。
これだけだった。
9月18日 腫れ。
今日の理科の時間、みんな主題をわすれて
正座をした。
というのがあった。
そして、先生のコメントがあり、
グループの班長がしっかりしていれば
このようなことはない、と赤字で
コメントが書き入れてあった。
昭和の時代ゆえ、しかも体育会系の
担任の先生ゆえにこのような
連帯責任、正座罰があったようだ。
今ではとても考えられないことである。