一家に一個は、体温計はあると思う。
古い新しいはあるにせよ、一個は
持っていると思う。

当然、アラカン家にも体温計はある。
その昔は当然のごとくあの旧式のやつ。
母親が力いっぱいに何度も振って、
規定値に戻してから計るあの体温計。
最近、不死身のようなアラカンも
ついに風邪の病に倒れた。
あれだけ早寝早起きをしていたのにも
かかわらずだ。
でも、心当たりはある。
あの日だ。
朝5時に起きて、豊橋まで行った日だ。
その日は帰りが夜の8時になった日だ。
喉が痛いなあと思っていたら、
次の日から急に熱が出始めた。
そんな時、人はどうするか?
すぐに体温計を取り出して、
「絶対に熱はあるはずだ」という一心の思いで、
体温計で熱を測り出す。
そして、その体温計の温度を確認する。
その温度が、37度に届かないと、
「おかしい、もっと熱があるはずだ。」と思い、
もう一度もう一度と、体温を計る。
何度でも体温を測る。
そして、温度が37度に達しないと、
ついには、「この体温計はおかしい、壊れている」
などと言い出しかねない。
そして、体温が37度を超してくると、
「そうでしょう、そうでしょう。
熱があるでしょ。
あると思ったわ。」
などと、自慢顔に変わる。
人はなぜに、体温計ごときにに、自分の感覚での
体温との一致の同意をそこまで求めてしまうのか、
不思議でならない。
たかが体温計、
されど体温計だ。