カミングアウトって、しづらいですよね。

普通、したくないですよね。

でも、残りの人生あとわずかとなると、

誰に言っておきたくなることもあるんですよね。

 

その昔学生時代、アラカンは下宿していた。

しかも、賄い付の下宿だ。

その当時でも、賄い付の下宿は数が

少なかった。

 

うちの母親が、アラカンの食生活の乱れが

心配のようで、どうしても賄い付の

下宿にしたいようで、

アラカンの意思を確認することなく、

この賄い付の下宿に決めてしまったのだ。

(しかも大学までは歩いて

15分の近さだった。)

 

賄い付=朝ごはん、晩ご飯付きなのだ。

ただし、日曜日、祝日はご飯は、

なかったように思う。

 

朝は、朝8時から食事ができるが、

晩ご飯は、夜8時とアラカンにとっては

大変遅いご飯に感じた。

 

朝ごはんは、大抵卵かけご飯に、味噌汁、

に何か1品って感じだ。

晩ご飯は、大抵何かのフライ物が多かった。

 

今となっては記憶は定かではないが、

朝晩の食事代が、だいたい21000円

くらいだったと思う。

部屋代が、4畳の部屋で4000円?なので、

合計25000円くらいの下宿ではなかったか。

 

よくよく考えてみると、

この21000円の食事代って、

そう安くはないと思うのだ。

1日あたり700円以上なのだ。

 

ただ、アラカンの母親は、

暖かい食事が提供されること、

決まった時間に食事が提供されることを

重視していて、食事金額の高い安いの

問題ではないのだ、というような感じだった。

 

そんな感じで、アラカンの学生時代の

下宿生活が始まった。

 

親元を離れた学生生活に慣れてくると、

食生活も当然のごとく乱れてきた。

夜遅くまで飲んでいると、

朝ごはんが食べられなくなったり、

朝、起きられなくなったりしてきた。

 

夜も夜で、友人たちと飲み歩くと、

下宿についている晩ご飯は、パスになった。

 

そんな時、社会が高度成長、物価高になって

いる折柄、下宿のおばさんから、

家賃の値上げの話があった。

しかも大幅な値上げの話だった。

まあ、世間情勢から見て、当然といえば

当然の話ではあった。

 

食事代21000円が24000円くらいに

なる話だったと思う。

 

下宿仲間の他の人たちは、この値上げの件について、

何も言わなかったかもしれないが、

アラカンは、あろうことか、

「朝飯なしにして、現状維持の21000円は

どうでしょうか?」と切り返してしまった。

 

結果として、この「朝飯なしの現状維持」に

なったようだが、一部の下宿仲間の中では、

不満もあったらしい。

というのも、朝ごはんがなくなるのは痛い、

とのことだ。

朝ごはんがあることで、朝きちんと起きられる、

とかの話だ。

 

今思えば、確かに朝ごはんが付いていることは

大きかったが、その当時貧しいアラカンは、

持ち出し金が増えることの方が嫌だったのだ。

 

まさに、「若さゆえ」だったかもしれない。

 

この値上げ交渉で、下宿のおばさんとは相当

ギクシャクしてしまったが、

まだアラカンは若いもんで、そんなこと

お構いなしだった。

 

その賄い付きの下宿には、値上げ後も居続け、

結局大学の1年生2年生の2年間、

お世話になった。

 

大学の3年生以降は、授業も少なくなりそう

とのことで、大学からかなり遠方にある

格安の下宿に引っ越してしまったのである。

 

まあ、下宿代の値上げも、何も考えすに

「ハイハイ」と言っておけばよかった

のかもしれない。

 

とにかくその当時、

アラカン家は貧しかったのだ。