今某国営放送では、今から1000年ほど
前が舞台の「光る君へ」をやっている。
(アラカンは、過去の流れからこの大河ドラマ
「光る君へ」を毎回見ている。)
この当時は、当然電話、携帯電話なんていう
便利なシロモノはない。
自分の気持ちを伝える道具は、
紙でしかない。
紙に書いて、相手に伝えるか、
直接出向いて、相手に伝えるしかないのだ。
平安時代時では、紙はたいへん高価で、
一般の人はそもそも入手困難なシロモノなのだ。
そうなると、一般の人は直接出向いて
相手に直接会って、自分の気持ちを
伝えるしかないのだ。
その平安時代から、8百数十年の時を経ての
19世紀中頃に電話機が発明される。
こうしてようやく遠く離れた人と話が
できるようになる。
ただその電話も、一般に普及するには
約100年ほど年数がかかっている。
そしてそして携帯電話だ。
もう待ち合わせなんていう言葉は不要だ。
待ち合わせがないと言うことは、
ストレスがないということ、か?
携帯電話があれば、いつもでも、
どこにいても、「あなた」と
繋がることができる。
平安時代の人から見たら、
びっくらドンキー改め、ブロンコビリーに
なってしまう。
人とのコミニュケーションが、
いつでも簡単に取れてしまうことから、
人は、別のものを失っているのだ。
絶対に、何か別のものを失っている。
失っているはずだ。
人は、もう別の人になっているのだ。
携帯電話を持っていることが前提の人に
なっているのだ。
1000年前のあの奥ゆかしい人の感性なんて、
もうどこへ行ったやら。
携帯電話に出現によって、
便利なものを手に入れたが、
失ったものも大きい。
絶対にそうだ。
ああ、あの携帯電話のない時代に戻ってみたい。
(怖いもの見たさ)