1979年、昭和54年11月13日、
京都伏見区にある下宿を出て、
原付バイク(スズキハスラー)にまたがって、
大阪南港に向かった。
この日の夕方5時40分発のフェリー、
小倉行きフェリーに乗った。
翌朝に九州小倉に着いていた。
北海道への地獄のような40時間フェリーの
経験がすでにあるから、この瀬戸内海
フェリーは、どってことなかった、多分。
小倉に着くや、
行くところは大体決まっていた。
小倉から福岡へは、直方市や飯塚市を経由して
行くことにしていた。
それは五木寛之の代表作「青春の門」の
初期の作品、筑豊編で炭鉱での様子が
描かれているのだ。
そんな町も見てみたかったのだ。
この当時、アラカンは五木寛之の小説を
むさぼるように読んでいた。
青春の門の映画は、2度も見てしまった。
織江役は確か、大竹しのぶさんだった
ように思う。
次に行ったのは、福岡にある太宰府天満宮。


ここは、さだまさしの「飛梅」という
歌に歌われている太宰府天満宮の飛梅だったり、
心字池がある。
太宰府天満宮が、この歌の通りなのかどうか、
実際に確かめたかったのだ。
♪ 心字池にかかる 3つの赤い橋は
一つ目が過去で 2つ目が今
〜
〜
私も一夜で飛んでゆくと言った
忘れたのかい 飛梅 ♪
この当時アラカンは、フォークソングにちょい
傾倒していて、井上陽水とかふきのとうとか、
かぐやひめ、そしてこのさだまさし
(この当時さだまさしは、グレープという
2人組デュオを作っていた。)
も、結構好きでよくレコードを聴いていた。
今夜の宿は、柳川のほうにあるルノワルYHと
決めていた。
初回にも関わらず、
話がまとまらず、長くなってしまったので、
この続きは次回でまた書きますです。