先日、例の件で横浜の料亭田中屋へ行ったら、
ふと自分の若かりし頃に行った名古屋
八事にある八勝館の事が思い出された。
それは、アラカンがまだ30才ちょいの
頃だったと思う。
まだまだお子ちゃまだった。
アラカンにとって2番目の会社で、
順調に昇進昇格をしてきていて、
いよいよアラカンに経理部を任されるような
立場になってきた頃だった。
その当時の社長が、アラカンがまだ海外との
やりとりとか、マネジメントの部分で不安が
あったようで、フィリピンから経理の
スペシャリストを岡崎に呼んだのだった。
その彼に、アラカンの経理マンとしての
教育、指導を任せようとしたのだった。
その期間は、6ヶ月以上にも及んだ。
その何処かのところで、
社長が気を利かし?、名古屋の八勝館を予約し、
そのフィリピンからの経理マンとアラカンを
連れて行ってくれたのだった。
岡崎から、運転手付きの社有車センチュリーに
乗り込み、高速道路を使って八勝館へ行った。
八勝館に着くと、その玄関には下足番の方が
いたのには驚いた。
庭もとても広く、素晴らしかった。
料理は、社長と一緒だったので、
とても緊張していて、味がどうのこうのなんて
全く覚えていない。
ただ、出される料理の器も、洗練されていて、
目を見張る物ばかりだった事は覚えている。
今でこそスマホで気軽に写メが撮れるが、
その当時だもんで、そんなもん全く残っていない。
フィリピンからのアラカンを教育する経理マンは、
バディ・ラトニオさん。
アラカンとほぼ同じ年で、子供がまだ小さいのに、
単身で日本に来てくれたのだった。
アラカンがその会社を辞めてしまった後何年か、
彼とアラカンとの交流も何年か続き、
アラカン自身も、何度かフィリンピンを訪れ、
彼の自宅にもお邪魔したりもした。
その後は、交流も何となく先細りになり、
今では音信も途絶えてしまっている。
今年のクリスマスあたりには、
是非とも彼に手紙でも出そうかと考えている
アラカンなのであった。
いい迷惑だろうか?
悩む。