アラカンの幼少時は、はっきり言って、
貧しかったように思う。
アラカンの父親は、普通の会社員ではなかった。
当人曰く、学はありながらも、不運にも上の学校には
行かせてもらえず、中卒後は、工場の作業員みたいな
ことをやっていたらしい。
その後、時代が時代ゆえに真面目に工員でいるよりも、
「ガチャマン」(メリヤスの機械で、ガチャと一回幡を織ると、
1万円になるというもの)をやった方が儲かるとの判断から、
どうも工員をさっさと辞めて、メリヤス事業を始めたらしい。
労働環境の悪い狭い空間の中で、悪い空気の中で仕事を
していた関係せいかどうかわからないで、
その後アラカンの父親は、肋膜炎という病気にかかってしまい、
長きにわたって入院をしていた。
ちょうどアラカンが小学校2年生の時分だったろうか。
小学校から帰ってきたアラカンは、父親の入院している病院へ
お見舞いに行ったりもした。
そこには、お見舞い品の果物の缶詰があったりして、
子供ながらに、この果物の缶詰が目当てだったのだ。
ねらいは、特に桃の缶詰。
父親不在のアラカン家では、母親が言い方は悪いが「闇商売」
なるもので、生計を立てていた、ように思う。
(あまり詳しくは書きたくない)
稼ぎ手の父親がいないので、当然家計は貧しいに決まっている。
家は、古い木造の一軒家。
玄関上がってすぐの所に4畳半の部屋、隣に6畳の寝室。
この6畳の寝室に、祖母、兄弟3人の4人が寝ていた。
その隣に、両親の4畳半部屋、その隣に3畳に母親用のミシン部屋。
食事をとるところは3畳の板場だった。
この家で、祖母、兄弟3人、両親の6人が暮らしていた。
当然、風呂なんてなかった。
トイレも水洗トイレではなかったし、
手を洗う洗面所さえもなかった。
食事は、狭い3畳の板場で、小さな食卓を囲んで、順番で食べていた。
母親は手の込んだ料理が得意だったので、安い食材で美味しいものを
作るのには長けていた。
母親の料理は、いつも美味しかった。
今でも時々、その味を思い出してしまうくらいだ。