年も明けて、明けましておめでとうの嵐。
ようやく、その嵐も収まりつつある今日この頃。

アラカンだけかもしれないが、この「明けまして
おめでとう」は、言いにくいし、気恥ずかしい。
言われても、何かもぞもぞしちゃう。


明けましておめでとう、おめでとうございますって、
やたら言いますよね。
職場なんぞでは、もうあちこちで頭を下げながら、
お互いに、言い合う。

この明けましておめでとうのこと、なぜ?って
思ったこと、ありません?

ネットで調べてみると、
年神さんが新しく生まれ変わり、
その年神さんに対しての「言祝ぎ(ことほぎ」というのだ。
では、その言祝ぎとは、何かを祝って慶びの言葉を言うこととある。
年神さまが新しく生まれ変わって、新しいパワーを私たちに
吹き込んでくれます。だから、生まれ変わった年神さまに対して、
「おめでとうございます」と祝いの言葉を伝えるのです。
以上のようらしい。

でも、アラカンは思うのだ。

その昔、そうですね、江戸時代あたり。
まだまだ、医療の発達もなく、皆が病気もせずに
長生きすることは、なかなか難しい時代。
年を越して新しい年を迎え、自分が1つ年をとること自体が、
相当な喜びであったように推測するのだ。

またこの時代、ツケ(借金)で物を買うことも流行っていた
ようにも聞く。
その借金精算が月末とすれば、12月末あたりはもう
大変なことになっていたでしょう。
すべての借金を精算し、すっきりした気分で新年を迎えることが
できる喜びは、相当なものがあったのではないかと察する。

年齢を数えるときに、年が変わるごとに1つ年を増やす
「数え年」の数え方が、その年を重ねる喜びを表しているとも
言えるんじゃないか。
(今では、このような数え方をする人は、ほとんどいない。)

今のこのご時世、年が変わってくらいで、何がおめでたい?
って逆に言われちゃいそうだ。

現代社会、医療も発達し、人間そう簡単にゃ死なない。
歯が痛いくらいでは、死なない。
(昔は、違った。はず。)
誰もが普通に60才70才、いや8090才くらいまで、
長生きできると、気味が悪いくらい自信満々だ。
だから、1年が終わって、年が変わったくらいで、
何がめでたい?って思ってしまうのではないか。
それが普通だが。

そう、1年に1度くらい先人たちの苦労に思いを馳せ、
年を重ねる喜びを少しは感じた方がいいかもしれない。
頼んだよ「明けましておめでとう」という言葉よ。