ほんの何日か前から、ようやく待ちに待った
りんご「名月」が市場に出回り始めた。


この「名月」は、まだ取れ高が少ないし、
作付け面積も小さいから、旬も短い(約2週間)と
きている。

アラカンの大阪支店時代だから、今から7、8年くらい前に、
この名月を初めて知った。
初めて名月を食べた時、この時の驚きって、
そりゃあすごい物がありましたよ。

歯応えといい、酸味といい、甘さ具合といい、
3拍子揃った、揃いすぎたりんごと感じたのだ。

それまでも、美味しいりんごはいくらでもあった。
「さんふじ」だったり。

それらのりんごの味を、簡単に凌駕するくらいの
りんご(名月)だったのだ。

それがどうだ。

初めてリンゴ名月の味を知ってから8年経過してみると、
この名月といえども、何か普通の美味しいりんごに
なってきたように思えて仕方ないのだ。
今年は特にそのように感じている。

そりゃあ、名月は美味しいけど、昔ほどの感動はなくなって
きているのだ。
初めて食べた時は、もっと感動があった。
体が震えるくらいの感動があったのだ。

それは、なぜだろう?って思う時に、
やはり、どんな美味しいものでも、
食べ続ければ、味の感動はなくなって、
だんだん普通になってくるのかしらん、という思いだ。

それに似たような話で、
「白子ポン酢」がある。

鮨の松由さんの白子ポン酢は、
普通に美味しい。

でも、何回か食べてると、
自分の脳の中で、この白子ポン酢は
こういう味ですよというのが出てきて、
美味しい味が想像できてしまうようになってきているのだ。

で、実際食して見て、その通り美味しいとなれば、
やっぱり美味しいよね、程度で終わってしまうのだ。

多分、なんでもそうだと思う。
どんなに美味しい食べ物でも、何回も食べていれば、
その美味しい味に慣れてしまって、
美味しいという感覚がなくなってしまうのだと思う。

これは、まるで人間の幸福感にも繋がっていくような気がする。

あああ、(いつもと違い)今日はなんて高尚な締めくくり方のこと。