新型コロナウイルスの影響で、3.11の大きな
追悼集会等は軒並み中止となり、
何もなかったかのように、3.11は通り過ぎていった。
世界の株式市場を見るにつけ、今回の新型コロナウイルスの
影響が大きそうだということが、株式市場の混乱が
示していることは、とても皮肉なことだ。
人間は、未知なものにいかに弱いか、今回の
この新コロの例を取ってもすぐわかる。
そして、今から9年前の東日本大震災でも同じような事が言える。
人間は、いかに未知なものに弱いか。
世間では、復興何とかとか、絆とかの表面だけの言葉が
行きかう。
現実はまだまだ厳しい。
未だに、仮設住宅の生活を余儀なくされている人も
何千人といるらしい。
こう言っては、語弊があるかもしれないが、いや各方面から
お叱りがあるかもしれないが、こういった地震と無縁だった
地方の人にとっては、もう忘れかけていることになっている。
皆、自分の今日の生活、明日の暮らしで精一杯で、
あの時の映像を見たとしても、ああ恐ろしい事が起きたもんだ、
自分だったらどうしただろうか、などということしか思わないのだ。
それでも、先日のテレビの震災特集のドキュメンタリー番組を見て
思うのは、ほんのちょっとした行動が生死を分けるということだろうか。
生き延びるための行動、生き抜くための行動は、各人一人一人が自分の
意思で行動しなくては、勝ち取れないということだ。
日本人は、とかく お上、制服、上司の言うことに弱いとされている。
最後の最後は、自分自身の意思で決断し、行動するというが
大切なのだ。
何年か前に、韓国の大型フェリー「セウォル号」の転覆、悲劇が
あった。
その時、船内にいた多くの学生たちは、普段とは違う異変に気が付いても、
「どうぞそのまま船室に居て下さい」という船内放送に従順に従ったために、
多くの尊い命が奪われたのだ。
そういう時こそ、自分自身の意思で決断し行動することが、
求められるのだ。
マスコミも、震災があった3.11の直前のみに特集を組んだりして
特別番組を放映しているだけで、もう、今では新コロに切り替わって
しまっている。
残念だが、これが現実なのだ。