相対評価、絶対評価っていう言葉をいつ知ったか?って?
多分、中学高校くらいからだろうか。
その当時の小学校中学校の通知表が、普通は相対評価なのに対し、
高校では絶対評価になるよ、てなことから相対評価という
言葉を知ったように思う。
相対評価。
例えば、ひとクラス40人いるクラスとして、
そのうち10%が、通知表5段階のうち最上位の「5」となる。
次に40人のうち20%が「4」としようか。
次に40%が「3」となり、
次に20%が「2」となり、
最後に、クラス40人のうち10%の人が栄誉ある「1」を
頂くことになるというものだ。
たとえ、かなり成績が良くても10%の人にしか「5」を
つけられないのだ。
誰かに5をつければ、誰かに4をつけなきゃいけない。
それを担当する先生のジレンマ、ストレスはいかばかりかと。
その一方、絶対評価という評価の考え方もある。
中間、期末試験で、ある一定以上の点数を取れば、
皆「5」をくれるというものだ。
だから、超エリートの超賢い高校生連中がいるクラスでは、
何十人が「5」の評価をもらうことになるのだ。
なんで今日はこんな話をしだしたかというと、
今日は12月10日。
公務員をはじめ、多くの会社さんでは、ボーナス支給日で、
その昔、あらかんが務めていた会社の一つでは、
あろうことか、昔から絶対評価で賞与査定をおこなっていたものを、
ある時から社長が交代したことで、その社長が辣腕(らつわん)
をふるって、賞与査定を絶対評価→相対評価に変更してしまったことを
思い出したからだ。
相対評価にするとどうなるかっていうと、
そこそこ頑張っていて、実績もあげていても、
誰かかんかの評価を下げなきゃいけない事態があるのだ。
会社における個人個人の実績、実力、目標達成度を比べ、
優劣をつけるなんていうのは、ナンセンスに近いもんがあるちゅうのだ。
明らかに見劣りをする場合のみに、評価を下げればいいのにと思うのだが、、。
でも、この相対評価にも悪い面ばかりではない。
一つは、大きな枠での支払いコストが一定というか、
枠内で収まる、収めることができるのだ。
誰かの評価が上がれば、誰かが下がるわけだから、
全体としては、支払いコストは変わらないというものだ。
そして、もう一つぎりぎりいいと思えることは、
人物評価する点において、絶対評価よりも厳しい目で見ることが
できるかもしれないという点だ。
絶対評価では、かなりだあだああで、適当に評価しても
そう目立つこともないが、相対評価ではそうはいかない。
この人の評価を上げれば、誰かを下げなきゃいけないのだ。
評価査定する人自身の気持ち、思い、信念を持って
評価するしかないのだ。
(実際には、そんなかっこ良くないと思うが。)
そんな会社も多分、今日が賞与支給日。
評価査定、今も悲喜こもごもだろうか?
