まさか、佐々木君が投げないなんて事があるのか?と疑った。

この事で、今日の朝の情報番組は吉本に変わって、話題満載。
コメンテーターは残念なことに、あたり障りのないコメントに終始している。
あの一茂ですら、優等生コメントだった。
一茂は、甲子園の山が高すぎるので、もう一つ高い山を作っては?と
提案をしていたし、高校生投手での「投球制限の導入」も提案していた。

ほいでも、アラかん的には何か腑に落ちないところもあった。
何か知らん、かっこよすぎるのだ。
今回の佐々木君の将来を案じ、決勝戦で投げさせないというのが、
かっこよすぎるのだ。

監督さんが、周りの考え、コメントを意識しすぎかどうかは知らないが、
これこそ、もっと本音でチーム全員、佐々木君本人の意見を
もっと聞いてあげてもよかったのではないかと思うのだ。

ありていに言うならば、チームメイトなんかは、佐々木君で
負けたならしょうがない、納得できると思っているのではないか?
ひょっとしたら、佐々木君自身も投げたかったに違いない。
ちょっと姑息かもしれないが、試合の始めに佐々木君を先発で投げさせ、
対戦相手に点を取られる、または佐々木君が普段の調子ではなかった所で、
投手を交代してもよかったのではないかと思うのである。

今回の佐々木君が決勝戦で投げなくて負けてしまったことについて、
チームメイト全員が何年たっても「たられば」の
呪縛にかかるのではないか。
そんな心配を勝手にアラかんはしてしまうのである。


今回のこんなかっこよすぎる件は、アラかんはふと昨年のワールドカップの
ポーランド戦の決勝トーナメント進出をかけた試合を思い出すのである。
このふたつは、全く異なるものだが、かっこ悪いことが次に進めることに
なるのと、かっこよすぎる事が、次に進めないという点では似ている。

本音と建前は、会社内でもたくさんあることだが、
このように普通にスポーツの中でもあることが、何か知らんさみしい気もする。