新元号が昨日4月1日に発表された。
今さらジロ―で、今さら多くを語るつもりはないが、
負け惜しみを少しだけ。
今回アラかんは、アルファベットから絞り込み、
最終的に、A、E、N、R、Uまで絞り込み、土壇場になって
Kを新たに追加した。
結果として、「令和」になり、アルファベットが「R」となり、
ぎりぎりアラかんの面目は保つことができたが、それにしても
Kに固執したのは、みっともなかった。
それにしても、出典のこだわりは何だろう?
出典が何かって重要?
漢字の響きだけではダメなの?
という素朴な疑問もふつふつと湧く。
そもそも論ではないが、元号自体そもそも必要?
(和暦と西暦のブログ、2018年3月14日付け参照)
そんな議論は不毛かもしれないが、多くの人はもう
西暦ひとつでもいいのではないか?と思っている人も
増えてきているのではないか。
せいぜい、和暦もあってもいいね、和暦って奥ゆかしいよね。
そんな程度になっているのではないかと、察するのだ。
しかし、何百年も続いている元号を止めてしまうのも相当なエネルギーが
必要となりそうで恐ろしい。
まさに、続けるのも地獄、止めるのも地獄の図式だ。
今回の元号、もうひとつの見方として、こんなんがあった。
慶応 けいおー と伸びる。
明治 めいじ と止まる。
大正 たいしょうと伸びる。
昭和 しょうわ と止まる。
平成 へいせい と伸びる。
そして、
令和 れいわ と止まる。
となると、令和の次の元号が、もう読めてきた。
よーーし、次は新元号案を当てる自信があるぞ。
(そこまで生きている自信もないが)