結構…なんと言いますか…
モヤモヤが大爆発しそうな出来事?話?がありました。
私のブログなので、
今回は包み隠さず書いてみようと思います。
少し思い出しながら書くので、
話が前後するかもしれませんが…
何があったのかと言いますと、
友人から娘のことをいろいろ聞かれて、
その都度答えるのがめんどくさかった、
という話です。
ただ、質問に答えているうちに、
私自身も過去のことを
何度も振り返ることになりました。
「あのとき、私は何をしていたのか」
「本当に、何もしてこなかったのか」
「もっと別の対応があったのではないか」
そんなことまで考えさせられた1日でした。
質問がたくさんありすぎたので、
箇条書きにしますね笑
中学時代の大量購入について
・中学のときに局留めで大量のグッズを購入していたことが発覚した際、
なぜ本人に悪かったことを認めさせなかったの?
いやいや、
認めさせなかったわけではありません。
認めなかったんです。
そもそも娘には
自分が悪いことをしたという認識がなかったのだと思います。
本人と向き合って話し合っている最中に、
旦那さんが揉めることを嫌がり、
丸く収めてしまった。
これが本当のところです。
私が何もしていなかったわけではありません。
向き合おうとしていました。
でも、私ひとりが真剣になっても、
うまくいかないことがある。
それが現実でした。
高校時代、娘に何を伝えていたのか
・高校でいろいろなビジョンが崩れていった娘に対して、
なぜいろいろなことを理解させなかったの?
高校3年間の娘は、
本当に扱いにくい子でした。
何を伝えても、ひねくれて受け取る。
何を話しても、素直に受け止めない。
当時は、反抗期としか思えませんでした。
その様子を真剣に考え、
受け止めていたのは、
実際のところ私だけだったと思います。
旦那さんは仕事が忙しく、
出張も多い。
家にほとんどいない状態でした。
さらに、コロナ禍です。
娘が思い描いていた高校生活とは、
かけ離れたものになっていきました。
楽しいはずだった高校生活。
思い描いていたものが失われていく寂しさ、つらさ、もどかしさ。
そんな気持ちを埋めてくれたのが、
推しの存在だったのだろうと私は思っています。
だからこそ、
推しの存在そのものを否定するのではなく、
娘の気持ちに寄り添いながら、
いろいろな話をしてきたつもりです。
推しがいること自体は悪いことではない。
ただ、それ以外のことにも目を向けてほしい。
自分の将来についても考えてほしい。
そんな思いもありました。
でも、結果はどうだったのか。
何ひとつ伝わっていなかった。
少なくとも、今の私はそう感じています。
では、今さら何を説明すればいいのでしょうか。
あのとき、こうしていればよかった?
もっと厳しく言えばよかった?
もっと優しく接すればよかった?
…もう、何を言われても、
どう説明すればいいのかわかりません。
大学進学と退学について
・大学まで行かせたのに、なぜ辞めさせたの?
まず、大学まで行かせたかったのは旦那さんです。
私は本来、違う方面も視野に入れていました。
ここで、夫婦の意見が割れました。
ただ、大学に行くか行かないかは、
最終的には本人が決めることです。
本人の意思を確認し、
希望を聞いたところ、
大学進学を望んでいました。
だから、進学することになった。
でも、今になって思うんです。
あのときの娘の言葉を、
私は信じてしまったんですよね。
本人の気持ちが本当ではなかったと、
当時わかっていたなら、
私は絶対に大学へは行かせなかったと思います。
これは今でも思っています。
旦那さんが当時、
どこまで考えていたのかはわかりません。
ただ、私自身は、
あのとき娘の本当の気持ちを見抜けなかった。
それが悔しいのです。
そして、
大学を辞める結果になった理由。
私は、本人が本気で勉強に取り組まなかったからだと思っています。
もちろん、
大学生全員が真面目に授業に出て、
必死に勉強しているわけではないことくらい、
私だってわかっています。
ものすごく努力して勉強する子もいる。
自分のペースで、
うまく単位を取りながら卒業を目指す子もいる。
大学生だって、
0か100かではありません。
いろいろな学生がいるでしょう。
でも、娘の場合は、
そもそも勉強に対する気持ちがマイナスからのスタートだったように思います。
本来、勉強が大好きな子ではありません。
特に高校に入ってからは、
成績も著しく落ちていきました。
今になって振り返れば、
大学で学んでいくための学力や勉強への姿勢が、
十分に身についていなかったのではないかと思います。
授業についていくことも、
簡単ではなかったのかもしれません。
それに、
娘が地元を離れて大学へ行きたかった理由も、
私には、大学で学ぶことより自由に遊ぶこと、
つまり推し活をすることのほうが大きかったように見えました。
そう考えると……。
この結果は、最初からある程度、
決まっていたのかもしれません。
今になって、そう思うことがあります。
私が辞めさせたというより、
本人が大学生活を続けるために必要なことをしなかった。
その結果として、
辞めることになった。
私はそう受け止めています。
娘の言動について、病院に相談すべきなのか
・発達障害の一種じゃないの?
もちろん、検査を受けたわけでも、
専門の外来を受診したわけでもありません。
診断された事実もありません。
ただ、私はずっと疑問に思っていることがあります。
もしかしたら、
反社会性パーソナリティ障害に当てはまる部分があるのではないか、と。
過去の出来事も、
現在の出来事も、
いろいろなことを振り返るたびに、
そう考えてしまうことがあります。
もちろん、
私がそう感じているというだけで、
診断がついているわけではありません。
本当なら、
一度きちんと病院で相談してほしいと思っています。
でも、本人が自分の問題を認めず、
受診する意思もないのであれば、
親が無理やりどうにかできるものでもありません。
結局、ここでも同じなんです。
こちらがどれだけ気にしても、
どれだけ心配しても、
本人が向き合おうとしなければ、
先には進めない。
それが、もどかしいところです。
暴言を受け続けて、私が覚えたこと
・普通の子は、親にそこまで暴言を吐かないのでは?
普通なら、そうなのかもしれません。
でもね。
…普通って何?
何を基準にしているの?…
今の私には、
もう何もかもわからなくなっています。
優しく、わかりやすく伝えても暴言。
怒りの気持ちも含めて、正直に伝えても暴言。
普通に話しても暴言。
じゃあ、どうすればいいのでしょうか。
どんな言い方をすれば、伝わるのでしょうか。
優しく言えばいい?
厳しく言えばいい?
感情を抑えて、冷静に話せばいい?
……全部、やってきたつもりです。
それでも、返ってくるのは暴言。
もう、無理ではないかな?
そう思ってしまいます。
そして、旦那さんについても思うことがあります。
中学、高校、大学。
娘との間で大きな揉め事が起きていたとき、
旦那さんは娘に対して、
正論を並べ、
諭すように話していたように思います。
言葉だけを聞けば、もっともらしい。
でも、私からすれば、
そこには肝心なものが欠けていたように感じます。
きれいな言葉を並べて、
話をしたつもりになっている。
本人に本当に伝わったのか。
何かが変わったのか。
そこまで考えていたのでしょうか。
私には、自己満足にしか見えませんでした。
そして、
自分は家族を守ったと思い込んでいたのではないか。
でも、実際には何も解決していなかった。
その間も、私は娘から罵倒され、
言葉の暴力を受け続けていました。
それでも家庭を何とかしようとして、
耐えてきた。
そして、いつの間にか私は、
我慢することを覚えてしまったんです。
……これって、一体何なんでしょうね。
家族のために頑張ってきたつもりだったのに。
いつの間にか、
我慢することが当たり前になっていた。
それが、今になって思うことです。
友人からの質問に答えながら、思ったこと
こんな話を、
私はずっとしていました。
質問されるたびに、
過去を振り返り、説明する。
なぜ、あのときそうしなかったのか。
なぜ、もっと理解させなかったのか。
なぜ、大学まで行かせたのか。
…言うのは簡単です。
今だから、
いろいろ言えるんです。
でも、そのときそのときで、
私は悩んでいました。
考えていました。
どうすればいいのか、
必死になって答えを探していました。
何も考えずに放置していたわけではありません。
それでも、
結果はこうなった。
それが現実です。
そして、友人と話を続けていくうちに、
あることにも気づきました。
この友人は、
自分の家族が幸せであることを、
私に伝えたいのだろうな、と。
別に、
それを皮肉だとは思いませんでした。
ただ、話を聞いているうちに、
自然とそう感じ取れるようになったんです。
以前の私だったら、
どうだったのでしょう。
何か思うところがあったかもしれません。
でも、今は違う。
「ああ、この人は自分の家族が幸せなんだな」
そう受け止められる。
それ以上でも、それ以下でもない。
つらいことが続くと、
人は仙人になるのかもしれない!
人って、つらいことが続くと、
一周回って、
仙人みたいな感覚になるのでしょうか?笑
腹が立たないわけではありません。
悲しくないわけでもありません。
納得できないことだって、
山ほどあります。
でも、すべてに反応していたら、
こちらの身が持ちません。
いちいち腹を立てて、
いちいち傷ついて、
いちいち説明して。
もう、そんなことを続けていられない。
そんな感覚に、
少しずつなってきたのかもしれません。
もちろん、
何も解決したわけではありません。
娘との関係がよくなったわけでもない。
夫婦の考え方の違い問題が、
解決したわけでもない。
ただ、
いろいろなことを経験してきたからこそ、
以前とは少し違う受け止め方ができるようになった。
そんな気がしています。
なんとも不思議な1日でした。
人間って、いろいろありますね。
本当に…