私はいつも自分は二の次で
他人の価値観で生きてきたように思う

それは自分に自信と信頼がなかったから
それに気づかないままそうだったから

今、やっとわかってきたところなんだと思う

他人の価値観っていろいろあるから
その都度いろいろ揺れていた

「自分」がまったく無い状態だ
シーソーだったらずっと傾いたまま




「自分を最優先する」ということが
外側へ向けてではなく内側でのことというのは
「共感力」においての自分軸の在り方と同じで
とてつもない大きな愛だと思うんだ