ごきげんよう〜。

 

ブログの更新が遅くなり、申し訳ございません。

精神的に参っており、生活が止まっておりました。

就活が決まった四年生あるあるなんでしょうか。

友人と遊びに行くと最近は死生観の共有で盛り上がるばかりです。

 

現在は抗うつ剤を飲みながら、なんとかバイトや遊びには行けるようになりました。

本領発揮できているか、楽しめているかといったらうーんという感じですが笑

 

私は変な人間です。

どこがどういうふうに変なのか、自分では把握しきれていないと思っています。

 

幼少期から、写真であっても、肉親であっても人間の顔を見ることが苦手でした。

動物じゃないんだ。体毛が薄いのが気持ち悪くて仕方がありませんでした。

 

親が教育熱心で欲しいものを買ってもらえなかったり

独特なボーイッシュな服を着せられていたり。

逆に授業参観は大人数で来て1番前で見ていたり。

海外旅行にめちゃくちゃ行ったことがあったり。

それがなんだか情けないから家庭環境や自分のことに関して嘘をついたりして、

物心ついた時からありのままで人と関わるということをしてきませんでした。

 

ずっと好きだった男の子が母子家庭で、

憎いと思われたくない気持ちもありました。

 

中学高校の時は部活動に勉強に人間関係に突っ走るばかりで。

いまだに後悔するようなことを口走ってしまったりもしました。

初めて本気で人やものに向き合っていました。

 

転期は高校一年生の秋。

あることを決めるオーディションのようなものと部長など幹部を決める選挙に一度に落ち

そのタイミングで成績までガクン!と落ちたことがありました。

 

その時、初めて自分の行いを振り返りました。自分の価値について考えました。

走馬灯のように、今まで忘れていた自分の行いが鮮明に思い出されました。

自分は信頼がないのだと悟りました。ひどいことをしてきたから。自己中心的だったから。

 

今思えば当時の私は、人の話を聞かない、面倒なことを避ける、遅刻する、

でも威張っているから舐められてはいなくてちやほやしてもらえる

 

相当甘えて、調子に乗っていたように思います。

まだまだだけど、あの時より本当に成長した。

 

また、上下関係が厳しい部活動で、後輩から神様みたいに扱われていることが余計に辛くもありました。カスなのに。

自分はここにいるのに十分ではない、いない方が良いと毎日考えていました。

 

私は本気で部活動や勉強に向き合うようになった中一から、毎日寝る前に泣く習慣がありました。

親や友達に弱音を吐いたことがありませんでした。女子中学生なので悪口はすこぶる言いましたが笑

 

でもその時は辛くて辛くて、一度だけ、面談のタイミングで担任の先生に相談したことがありました。

この世の苦しみ全てをわかっている顔をした、よく病んでいる美術の先生でした。

先生はこう言いました。

 

「自分のために続けなさい。勉強も部活も。」

 

不快でした。学校や部活動を辞めたいと話す私に、

そんなことないよ

あなたは必要な人材だ

と、肯定して欲しかった。

そうでなければ辞めさせて、私をどこかへ逃して欲しかった。

そしたら私は宝塚を受けて、落ちたら(当たり前に落ちるわ)就職していたと思います。

宝塚に入るか、エッセンシャルワーカーになって分かりやすく社会貢献したかったから。

当時はコロナ禍で、エッセンシャルワーカーの大切さが社会全体に明確に認識された時期でしたから。

 

でもなんの慰めの言葉もなく、嫌な言葉を言われました、

だから成長できた。少し歪んで、歪んだら大人になっていた。私は変わりました。

 

それからずっと、自分が許せません。また、感情がありません。

定期的に死にたくなります。でも一度も現実のことで泣いたことがありません。

サークル活動に注力したり、就活があったりしましたが、

喜びも、怒りも悲しみもあまりありませんでした。

指定校推薦で大学に来ているのですが、周りを蹴落として母校の力で大学に受からせてもらったのに大した成績も修められず、

母校に合わせる顔がありませんし、たまに高三の時の担任の先生が夢に出てきてとび起きることがあります。

いとこが同じ高校で、私の高三の時と同じ担任の先生で、定期的に話を聞くのでしょうがないのです。

両親がPTAのトップをやっていて、当時の噂もあり、コネで大学に入った感覚がまだ拭えていません。

 

今日は何かに貢献できたかを毎日考えています。

大学生の社会貢献なんてたかが知れていますので、自分が生きる意味がわからなくて悲しいです。

 

命の重さは皆同じというのなら

目の前のミルクティーにたかっているコバエと一緒だということで

最初から生きる意味や命の価値ってゼロに近しいのだということ

それなら、単純に人生を楽しめば良いと思うんですよね

 

それが頭ではわかっているのにずっと生きる意味を考えて鬱々としている自分は、

まるで五角形なんかに関する算数の宿題に「こんなこと勉強して何に役立つんですか!」と反抗する小学生のよう。

私も小学生の時はそう思っていたけど、受験を前にすると今では暗号にしか見えない漢文読解なんかも意欲的にやったものです。

つまるところ先なんて何も見通せておらず、ただ目の前のことをこなすことに音を上げているだけなんでしょう。

 

とにかく悶々としている。

あと、自分のことを好きな人や、自分のことをよく知っているのに一緒にいてくれる人が理解できなくて、

定期的に人間関係をリセットしてしまいます。

中高ずっと一緒にいていろんなことを共有してきた部活動の同期とは連絡を意図的にとっていなくて、

クラスで5番目くらいに仲がいい、ギリ休みの日に遊んだことがないくらいの子とばかり今は会っています。

 

自分に恋愛感情を持ってくれる人に対しては、騙しているような気分になり、

目を覚まそうと、わざと口調を荒くしたり相手を不快にさせるような行動に出たりします。

正義感でやっているのに、ふとした時に罪悪感に苛まれて、結局すぐに関係を切ってしまいます。

その時、既に相手のことを好きになってしまっていたなら地獄です。

 

大学で仲良くしてくれる友人たちも、これからも仲良くしていけるだろうか。

好きで一緒にいたい気持ちと、私を精算していい人生を歩んでほしい気持ちで板挟みです。

 

どうしたらいいのかなー。

どうしようもなくなった時、私は献血に行きます。

少しは人の助けになった、という点で自己肯定感が上がるのと

腕に採血の何倍も太い針を刺して血を抜く作業が自傷意欲を満たしてくれます。

無料でWi-Fiもる暇つぶしスポットだし。

今度は骨髄バンクでも始めようかな。

 

あと、体が動くときは自然や歴史に関する文化に触れています。

大きな宇宙の中で、また、長い歳月の中で自分がちっぽけであるということを認識し続けて

あんまり考えすぎないように言い聞かせています。

それでも調子が悪いときには

テーマパークに行っても海外に行っても、いや家にいてもなんかずっと帰りたいと思ってしまうから

困ったものですね。

死にがいを求めて生きているの。