タイトルにある「7は7か?」という言葉はかなり大きな意味を持っています。
「AはAである」という当たり前のことが実は人間社会では受け入れられないことがあるのです。
「7は7か?」という問いも社会では、多くの人が7だと言えば7になるし、多くの人が6と言えば6になるのです。
で、「7は6である」という命題が多くの人の意見で成り立ったとしましょう。
するとどうなるか?
計算が合わなくなるのです。10-7が4になってしまうのです。
この「7は6である」などと言うことを哲学的には同一律の崩壊と言います。論理の最も根幹にある原理が同一律なのですが、それが崩壊してしまうのです。
理性の声は7は7であると言っているのに、社会の同調圧力に負けて、7は6であるということを言っていませんか?
多くの人が時と場合によって答えは変わると言います。
しかし、この考えでは、自分の良さ悪さが他力本願になってしまい、世の中が7は7だという社会にならないといつになっても間違ってしまい、しかもそこから抜け出せないことになってしまうのです。
しかし、こんなことはみなさんわかっているはずです。問題は大多数の7は6だと言う人たちから足抜けしたときの孤独と迫害です。
これが嫌だから、正しい方向に向かえないのです。
誰か、大多数を正しい方向に導いてくれないかなとずっと待つだけなのです。
7は7であって7以外ではないという人は私のブログが参考になると思います。
理不尽な社会の意味も「時と場合によって答えが変わる」からです。
精神的殺人が精神的殺人になる世の中を願っています。