精神の不調が長く続く原因は誰かによって人生妨害に遭っているからです。
では、どうやったら、他人の人生を妨害することができるのでしょうか?
例えば、心が未熟で、自分の心に至らなさがある人がいるとします。その人が人格がほぼ完成しているような善人を見たとします。
そのとき、その心の未熟な人は人生の進む方向を間違っていれば、その善人に対して無限の嫉妬を始めます。
その心の未熟な人の心の中では以下のような心の動きがあります。
はじめ見たとき、「この人はなんて善いんだろう」と認識します。次に、「人間は他人と自分を比較して自分を知る」生き物だから、その善人と自分を比べて、劣っていると感じます。そのとき、自分の価値が脅威に晒される感覚を抱きます。この脅威に晒された感覚はとても苦しいので、なんとか回避しようとします。本来、人生の方向が善に向かっていれば、自分の心の方にベクトルを向けて、善人から学ぶ姿勢を持てばよいのですが、人生の方向が自分中心に生きる人では、それは起こりません。そして、そういう人がどういう回避策をとるかというと、その善人の存在自体を否定しようとするのです。このとき、世の中の法さえ許せば、殺すことも厭いません。その例がアダムとイブの子のカインのアベル殺しです。殺すことが許されないとなると、どうするかというと、その善人に呪いをかけて、できるだけ失敗するように、うまくいかないようにと念をかけて、人生妨害するのです。
これが他人の人生を妨害する心理のメカニズムです。
そして、これは一時では終わりません。関係が続く限り無限に続きます。なぜなら、善人を許してしまう、つまり、肯定してしまうと、自分が否定されて、脅威に晒された感覚が戻ってくるからです。
この心理の解決方法ですが、まず、他者基準で生きる生き方をやめなければいけません。他者からの評価は参考程度にできる心理状態が必要です。そのためには、神基準で生きる必要があります。神という絶対者からの評価を基準にして生きれば、善いものは善いと言えるし、悪いものは悪いと言えるのです。そして、自分の心に未熟さがあるなら、それを課題として、神に喜ばれるように改善していけるのです。
神基準ができないと言うのなら、そこには、迫害に遭いたくないとか、世の中の基準とズレるとか、みんなと違った生き方になるからという甘えがあると思います。
神様がこの世に与えた法律(律法)では、「神を冒涜する者は殺さなければならない」と書いてあります。その理由はこの世でみんなが平和に幸せに生きていくためです。神に反する者が1人いるだけで、秩序が崩れるので、1人残らず排除しなければなりません。
精神疾患の原因はわかりましたが、この世から精神疾患を無くすことはできるでしょうか?


