人は誰でもフィルターを通して他者を見る。でも、その像をどこまで膨らませるかは別の話だ。
私たちは、他人を「その人そのもの」として見ているつもりでも、実際にはそうではない。
誰かを見るとき、そこには必ず自分自身のフィルターがかかっている。
これまでの経験、価値観、好み、記憶、期待、恐れ、関心。
同じ人物を見ても、見る人が変われば、そこに映る人物像も変わる。
Aさんを見た私と、Aさんを見たBさんでは、同じAさんを見ているはずなのに、まったく違う人物像を持っているかもしれない。
それは、人間である以上ある程度は仕方のないことなのだと思う。
ただ、ここで一つ分けて考えたいことがある。
「フィルターを通して見ること」と「理想化すること」は同じではない。
「この人のこういうところが好きだ」
「この人はこういう考え方をする人だと感じる」
というのは、自分の主観を通して相手を見ている状態だ。
一方で、
「この人は絶対にこういう人だ」
「この人なら絶対にそんなことはしない」
「この人は本当はこう思っているに違いない」
となると、そこには相手の実像だけでなく、自分の期待や願望まで入り込んでくる。
そして、その像が膨らみすぎると、
「私が見たその人」から「私が作ったその人」へと変わっていく。
◆「思っていた人と違う」の正体
理想化されている間は、その人物像はとても魅力的に見える。
「この人は特別だ」
「この人は自分を理解してくれる」
「この人はこんなに素晴らしい人だ」
そんなイメージを持つこと自体は、必ずしも悪いことではない。
誰かを高く評価することも、その人の魅力を見つけることも、人間関係の中では自然なことだ。
問題は、現実の相手がそのイメージから外れたときに起こる。
人間は、優しいだけでもなければ、冷たいだけでもない。
賢いところもあれば、愚かなところもある。
理解してくれることもあれば、まったく理解してくれないこともある。
矛盾していて、気分も変わり、失敗もする。
だから現実の人間は、心の中で作った理想像には収まりきらない。
そのとき私たちは、ときどき、
「こんな人だと思わなかった」
と言う。
けれど、その言葉の中には、
「相手が期待を裏切った」
という意味だけではなく、
「自分が相手について作っていたイメージと、現実が違っていた」
という可能性も含まれている。
変わったのは相手ではなく、自分の認識だったのかもしれない。
◆ 相手を見ることと、相手を作ること
考えてみれば、私たちは人を見ながら、無意識のうちにその人についての物語を作っている。
そこには相手の実際の特徴だけではなく、
「こうであってほしい」
「こういう人だったら嬉しい」
「自分にとって、こういう存在であってほしい」
という自分自身の願望も混ざる。
だから、心の中にいる「その人」は、相手そのものではない。
相手の姿に、自分の経験や価値観や願望が重なったものだ。
それを自覚しているかどうかで、他者との関係は少し変わるのではないだろうか。
「私にはこう見える」
と、
「この人はこういう人間だ」
は、同じではない。
人は誰でも、自分のフィルターを通して他者を見る。
それは避けられない。
だからこそ必要なのは、フィルターをなくすことではなく、
自分が見ているものが「自分から見た相手」にすぎないと知っておくことなのだと思う。
理想化しないことが、冷たさなのではない。
相手を一人の人間として見ようとすることなのだ。
「私にはこう見える。でも、私の知らないあなたもいる。」
その余白を残しておく。
そうすれば、相手が自分の期待から外れたときにも、
「思っていた人と違う」
ではなく、
「私はこの人のことを、まだ全部知らなかったんだな」
と受け止められるかもしれない。
そしてそれは、自分自身にも向けられる。
誰かの理想の中にいる自分ではなく、誰かの期待から外れることもある、矛盾も失敗も含んだ自分。
人は、誰かの中で完成された人物になるために生きているわけではない。
見る側も、見られる側も。
相手を自分の物語に閉じ込めないこと。
そして、自分自身もまた、誰かの物語の中だけに存在しなくていいこと。
その小さな余白が、他者を「自分のイメージ」ではなく、一人の人間として見るための余白になるのだと思う。
◆あなたは、誰を見ているのだろう
ここまでを綴って、少し立ち止まって考えてみたい。
あなたの身近にいる人を一人、思い浮かべてみてほしい。
あなたがその人について「こういう人だ」と思っていることは、本当にその人自身の言葉や行動から生まれたものだろうか。
それとも、あなた自身の経験や価値観、期待や願望が、知らないうちに重なってはいないだろうか。
そしてもう一つ。
誰かについて「思っていた人と違う」と感じたことがあるなら、そのとき変わったのは相手だったのか、それとも自分の中にあった相手のイメージだったのか。
逆に、自分自身についてはどうだろう。
誰かから「あなたってこういう人だよね」と言われたとき、
「そうそう、よく分かってくれている」
と感じるだろうか。
それとも、
「いや、私ってそんな人じゃないんだけどな」
と感じることがあるだろうか。
もし後者なら、そこにはあなたがまだ言葉にしていない、何か大切な感覚があるのかもしれない。
私たちは皆、誰かを見る側であり、誰かから見られる側でもある。
だからこそ、ときどき自分のフィルターを覗き込んでみる。
「私は今、この人を見ているのか。それとも、この人について私が作った物語を見ているのか。」
そんな問いを持っているだけでも、目の前の人は少し違って見えてくるのかもしれない。
