恐いのは犬ではなかった!? | ドーベルマンボルドー裏ブログ

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というより、いまや本館(笑)

 

今回のこの世メモは、愛犬シェリーママの運動時中(過去)の出来事です。
(過去の日記より抜粋)


 

シェリーの自転車引き運動の時にあった事です。

この日、私はちょっと見に行きたい場所があり、 

シェリーの自転車引き運動の際に、その場所をコース内に入れたのです。

その場所までは思ったよりも距離があり、ある事が起こる場所にきた時には

自転車に付けているメーターの数字は、走り始めてから既に7キロを超えておりました。

なので、ちょっと速度をダウンさせて、のんびりめに走っていたのです。

 

すると、前方に集団下校する小学生のグループの姿が見えてきたので、

 

車がきていない事を確認し、歩道に近い隅の車道から少しズレて

 

車道の真中を使い、小学生の団体を通り越そうとした その時です!

 

私が通り過ぎる際に 『おかえり~』 と小学生の集団に声を掛けると

 

高学年から低学年まで7~8人いるとみられた集団の数人からは

 

『ただいま~!』 という声が返ってきました。

そして、その中の一人が走っていたシェリーを見て

 

『大きい犬だ! こわ~い』 と言ったのです。

 

ここまではいつもある事なのでよかったのですが・・・

 

その言葉に反応した小学生集団の中の2~3年生位の男の子が

 

どこからか拾って持ち歩いていた、割と太目の角材を振り回しながら

『こんな犬 恐くないわぃ!!』 と、猛ダッシュで

 

私とシェリーの自転車を追いかけ始めた!

 

 

在りし日のシェリーママ その運動直後裏庭にて

 

 

追いかけるだけならまだしも、角材を振り回しては          

 

シェリーにそれを叩き付けるような真似を始めたものだから

 

ただ大人しく走っていたシェリーは、その行動に驚き恐怖を感じ

 

パニクリそうになりながら蛇行し始める。 アブナイ!

 

私は、走りながらシェリーに 『落ち着け!』 子供には 『危ないからやめて!』 と言うも

 

どちらにも聞こえてなかったのか利かなかったのか、やめない。 (#・∀・)オィコラ


 

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・ ブチッ

  ↑Coo堪忍袋決壊音

 

 

『シェリー ストップ!』 と、自転車を半強制的に停め、男の子に振り返り

ゴ━(# ゚Д゚)━ルァ!! 

やめろというてるやろがぁぁ やろうがぁぁ やろうがぁぁ…


まじにコダマしてましたね(汗)

 

 

そして、その大声にビックリした男の子は、シャキーンと棒立ちになり

 

鳩が豆鉄砲喰らったような表情で私を見ていた。

そこですかさず鼻息荒くしてお説教。

 

『この犬、君たちに何かした!? 
ただ大人しく走っている犬にそんな事したら駄目だろ!
この犬だけじゃなく、他の犬にもつながれてるからと思って
いい気になってそんな真似してたら、そのうち痛い目にあうよ!
君たちだって、ただ走ってる時に棒を持った知らない人に追いかけられ、
それでぶたれそうになったら恐いだろ~が!?
これから絶対そういうことするな!!分かったか!?』


男の子、よほど(私が)恐かったのか・・・

『わかった・・・ごめんなさい (´;ω;`)ウッ…』


あちゃ~泣かしてしまったょ。

この子たちにとっては、今この時が恐いのです!って感じになっちゃったょ (;´Д`)

すると、小学生集団の中の高学年くらいの女の子達が、その男の子の傍まできて

 

『そうだよ~動物には優しくしなきゃアカンで~』 とか何とか優しく諭し始めたので

 

それでは鬼婆はそろそろ退散するとしますかぁ~とシェリーの方を見ると・・・



シェリーも ふるえてました UTェTU ブルブル



た、たぶん、、、シェリーのふるえは、私に対してではないと、、、思いますが、、、

 

はっきりそうだと言える自信はありません。(;´∀`)ハイ

 

 

木枯し紋次郎風シェリーママ

 

ボルドーパパは小さな子供も大好きでした

 

 

今の世では、話の流れを知らず大の大人が見知らぬ子供たちを

 

大声で𠮟りつけているところだけを見た第三者からは、

 

モラハラおばさんとかパワハラおばさん出没!とかで訴えられそうですよね(笑)

ネット上には傍観してるだけではなく稚拙な批判や誹謗中傷などを含む

 

投稿が集中するような炎上も頻繁に起きていたりして、

 

高みの見物だけではとどまらない世の中になってますものね(悲しいねぇ)

 

こんな世の中を思い感じ考えるとき、最後に行きつく言霊はデカルトの

 

我思う故に我あり

 

世の中のすべてのものの存在を疑ったとしても、

それを疑っている自分自身の存在だけは疑うことができない、ということ。

コトバンクより出典


自分の機嫌は自分でとりながら、

今日も一日自分らしく生きようと思います。